この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

世界一恩着せがましい男、それが私です。

2022-03-26 20:51:25 | 日常
 今日は純度100%の愚痴です。
 そういうのを読むのが苦手な人は読まない方がいいと思います。

 土曜日は棚卸しで休日出勤でした。
 棚卸し、要はひたすら商品の数を数えるだけなのですが、どうしてこうも帳簿上の数と実数に差異が生じるのでしょうか。
 不思議でなりません。
 まぁ帳簿上の数と実数に差異が生じることがなければ棚卸しをする必要はないのですが。

 さて、この日は自分も含め、休日出勤で弁当を持ってきていない人が多かったので、近くの弁当屋まで注文した弁当を取りに行くことになりました(土曜日に配達してくれる弁当屋はないので)。
 誰かが行かなくちゃいけなかったので自分が行くことになり、6人分の弁当代、3120円を自分が立て替えて払いました。
 会社に戻り、弁当を食べ、それから弁当を頼んだ人の元へ弁当代の取り立てに行きました。
 本来であればこちらが取り立てに行く前に払いに来て欲しかったのですが、自分から払いに来たのは一人しかいませんでした。

 5人とも小銭で弁当代を払ったので、自分の財布は小銭でパンパンになりました。
 財布が小銭でパンパンになっても気にならないという人は気にならないのかもしれませんが、自分は気になるんですよね。
 現金客のお釣り用の現金で小銭を千円札に両替しようしたら、経理のおばちゃんから「数えるのが面倒なので両替はやめてください」と釘を刺されました。
 正直、これも釈然としなかったんですよね。
 個人的な目的で両替をするなというならまだわかるのですが、自分は弁当を持ってきていない人のために弁当買いに行って、その結果小銭がたまったんですよ。
 それで両替するな、というのは理不尽だと思いました。
 ちなみにその経理のおばちゃんの分の弁当も買ってるんですけどね。
 そしたら追い打ちで別の事務のおばさんから、「いいじゃないですか、〇〇さんは自分の食べたい弁当を食べられたんだから、それ(財布が小銭でパンパンになること)ぐらい我慢したって」と言われました。
 弁当屋に弁当を注文することを言い出したのは確かに自分だけど、それは誰かが言い出さないといけないことだから自分が言い出しただけなんだけど?
 それに弁当を買いに行った人間が何かしら我慢しないといけないっておかしくない?
 そのやり取りを見ていた、唯一自分から弁当代を払いに来てくれたAさんが「自分、二千円ぐらいなら小銭をもらってもいいですよ」と言ってくれました。
 二千円分の小銭が札になったので、これでとりあえず問題が解決したかな、と思ったのですが、更なる追い打ちで「それぐらい我慢したって」と言った事務のおばさんが「〇〇さん、Aさんに感謝しなくちゃいけないですよ」って言うんですよ。
 この一言にカチンときた自分はこう言い返しました。
「自分は弁当を買ってきて、Aさん以外の誰からもありがとうって言われてないですけど」
 この言葉におばさん二人が声を合わせて「うわ、〇〇さん、恩着せがましい!」ととどめの言葉を放ちました。
 
 自分は弁当を買ってきて、誰かに「おい、弁当を買ってきてやったぞ」なんて言ってないですよ。
 ただ、「(両替してもらって)感謝しなくちゃいけないですよ」って言われたから、売り言葉に買い言葉で言い返しただけであって。
 それで自分が恩着せがましい人間になるっていうなら、いいですよ、自分は世界一恩着せがましい男で。

 とりあえず、半年後の棚卸しの時は弁当のことのことは自分からは言い出さないつもりですし、買いに行くのも別の人に行ってもらうつもりです。
 と言っていることを件の二人が知ったら、「うわ、〇〇さんって根に持つタイプなんですね」と言われそうですが。
コメント (4)
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