セントラル出入り
木曜日のトレーニング、この日のビッグニュースは、マルセロとメツェルダーが全体トレーニングに合流したこと。メツェ、いつ以来なのかもう定かではありませんが、遂に保健室脱出です。今日全体練習に合流できたといっても、さすがに今週末のサラゴサ戦にというのは無理かもしれませんが、ペペの長期離脱が決まり、冬のマーケットで動くかどうかもまだはっきりしていない今、心強いニュースのひとつと言えるかもしれません。かもしれませんなのは、メツェ、またいつ保健室戻りするかわからないから。
ところが、この日のトレーニングではバッドニュースも。程度がわからないのですが、トレーニング中に右の腕神経叢(el plexo braquial derecho)を強打したというニュースが。腕神経叢って、さすがにほとんど聞いたことがないような箇所ですが、ASによると、
「腕神経叢は、首の基底部、腋窩、上腕(胸鎖乳突筋の隣から始まる)の間に位置する神経構造。アルビオルは回復具合の経過観察中で、治療も受けている。」
という…首や肩の辺りを強くぶつけたとか、誰かに勢いよく圧し掛かられたとか、そんな感じでしょうか。どのくらい重そうなのか何ともないようなものなのかも、見当がつかなくてわからない。間に合わなかったら、ディフェンスラインどうするんだろう……。
○今日のトレーニングに呼ばれたカンテラーノスは、サライ(FW)とファナン(DF)。昨日の5人も継続して呼んでみても良いのに……(カスティージャの都合もあるんでしょうけど)
○グティ、カカ、ルートは室内調整継続です
手術終了
ペペは、本日、ポルトガルにて無事に右膝靭帯の手術を終了したとのこと。今後48時間、病院にて安静にし経過観察をした後に退院、長いリハビリが始まります。
ラス
ASからラスの記事。記事内にもありますが、元になっているのがフランスの「SO FOOT」という雑誌。一応それらしい記事も見つけたのですが、実際に雑誌に載った記事と同じかどうかわかりません。そもそもこれだけの分量のフランス語は……なので、ASの記事を日本語に。
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ラス:人々が僕をマケレレと比べたことが、僕を助けてくれた
ラスがレアル・マドリーの中盤に貢献するバランスは、もはや誰に対して秘密にすることでもない。このクラブに加入しておよそ1年、フランスの雑誌「SO FOOT」において、ラスは自身のキャリアにおけるさまざまなステージと、マドリーにおいて欠くことのできないピースの1つになるまでの道の中での、重要なものについて語った。
「僕のフットボール選手としての成功には、5つの基礎となる柱があると考えている。根本が謙虚なこと、カオスなキャリア、自分自身への絶対の信頼、モウリーニョ(チェルシー時代の監督)、そしてマドリーにやってきたことだ。」
ラスにとって、白のクラブへの加入は報酬だった。初めはその仕事への、そして後にはマスコミの行った比較に対しての。彼はこのことについて、次のように説明する。
「僕が“新しいマケレレ”の影の下でマドリーにやってきたことは、チャンスを得ること、そして僕がベルナベウでできることを示すのに良いことだったんだと思う。人々は、僕が本当に彼のようにプレイできるのかどうかを見たがっていたし、全体として満足させられたと僕は信じている。」
ラスは最大限まで到達したのだとは考えていない。むしろその逆だ。
「僕は、毎朝のチームのトレーニングで、バロンドーラーたちが隣に居るのを、そして彼らが誰よりもトレーニングするのを見ている。それが僕のモチベーションを大きく向上させる原因になっている。いつかマドリーで10番としてプレイすること? いいじゃないか、トレーニングすることですべてを手に入れられるんだ。」
(この場合の10番は、単に背番号の意味ではなく、試合を創る、チームのまさに中心という意味)
ラスは、パリのベルヴィユ地区(移民の多い下町、居住区)にルーツのある、自身の過去を振り返った。その始まりは荒れがちなものであったが、彼は既にフットボールの贈り物を示していた。彼を見出したGuy Hillionは、「SO FOOT」の中でこの12歳の少年について述べている。
「小さくてきゃしゃ、まるで赤ちゃんのようだった。でも、ボールと共に望むことを行っていた。」
しかしながらHillionは、その難しい性格を思い出していた。
「彼は問題を起こしていたね。勉強に興味が持てないでいたから。でも学校の女の子たちに対しては別だ。」 Hillionにとって、理由は必要ない。2年間で、ラスは2つのフットボール・アカデミーから放逐された(ナント、ルマン)。2003年、18歳になってより成熟したラスは、ル・アーヴルと最初のプロフェッショナル契約を交わす。Hillionによれば、これは彼の人間としての変化のためには決定的なステップだったのだと考えている。
「最終的に、彼は自身の抱負に従って、挑戦することを見つけた。そしてそれ以来、私たちが知る今のレアル・マドリーにいるラスのような人物として、彼を見始めるようになった。」
05/06シーズン、彼はチェルシーに移籍した。ここで、彼の成功の鍵の1つであるモウリーニョが登場する。ラスは言う。
「彼は重要な存在だった。彼は一貫して僕を見てくれて、最高のアドバイスをくれていた。まったく逆なのが、アーセナル(次に移ったチーム)のベンゲルだ。僕は何も学ぶことはなかった。僕が行った時に、ただ言葉をかけるだけだったから。彼とは、決して安定した境界(ポジション?)を持つことはなかった。アーセナルを出て、僕はそれを見つけるためにポーツマスへ行った。」
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木曜日のトレーニング、この日のビッグニュースは、マルセロとメツェルダーが全体トレーニングに合流したこと。メツェ、いつ以来なのかもう定かではありませんが、遂に保健室脱出です。今日全体練習に合流できたといっても、さすがに今週末のサラゴサ戦にというのは無理かもしれませんが、ペペの長期離脱が決まり、冬のマーケットで動くかどうかもまだはっきりしていない今、心強いニュースのひとつと言えるかもしれません。かもしれませんなのは、メツェ、またいつ保健室戻りするかわからないから。
ところが、この日のトレーニングではバッドニュースも。程度がわからないのですが、トレーニング中に右の腕神経叢(el plexo braquial derecho)を強打したというニュースが。腕神経叢って、さすがにほとんど聞いたことがないような箇所ですが、ASによると、
「腕神経叢は、首の基底部、腋窩、上腕(胸鎖乳突筋の隣から始まる)の間に位置する神経構造。アルビオルは回復具合の経過観察中で、治療も受けている。」
という…首や肩の辺りを強くぶつけたとか、誰かに勢いよく圧し掛かられたとか、そんな感じでしょうか。どのくらい重そうなのか何ともないようなものなのかも、見当がつかなくてわからない。間に合わなかったら、ディフェンスラインどうするんだろう……。
○今日のトレーニングに呼ばれたカンテラーノスは、サライ(FW)とファナン(DF)。昨日の5人も継続して呼んでみても良いのに……(カスティージャの都合もあるんでしょうけど)
○グティ、カカ、ルートは室内調整継続です
手術終了
ペペは、本日、ポルトガルにて無事に右膝靭帯の手術を終了したとのこと。今後48時間、病院にて安静にし経過観察をした後に退院、長いリハビリが始まります。
ラス
ASからラスの記事。記事内にもありますが、元になっているのがフランスの「SO FOOT」という雑誌。一応それらしい記事も見つけたのですが、実際に雑誌に載った記事と同じかどうかわかりません。そもそもこれだけの分量のフランス語は……なので、ASの記事を日本語に。
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ラス:人々が僕をマケレレと比べたことが、僕を助けてくれた
ラスがレアル・マドリーの中盤に貢献するバランスは、もはや誰に対して秘密にすることでもない。このクラブに加入しておよそ1年、フランスの雑誌「SO FOOT」において、ラスは自身のキャリアにおけるさまざまなステージと、マドリーにおいて欠くことのできないピースの1つになるまでの道の中での、重要なものについて語った。
「僕のフットボール選手としての成功には、5つの基礎となる柱があると考えている。根本が謙虚なこと、カオスなキャリア、自分自身への絶対の信頼、モウリーニョ(チェルシー時代の監督)、そしてマドリーにやってきたことだ。」
ラスにとって、白のクラブへの加入は報酬だった。初めはその仕事への、そして後にはマスコミの行った比較に対しての。彼はこのことについて、次のように説明する。
「僕が“新しいマケレレ”の影の下でマドリーにやってきたことは、チャンスを得ること、そして僕がベルナベウでできることを示すのに良いことだったんだと思う。人々は、僕が本当に彼のようにプレイできるのかどうかを見たがっていたし、全体として満足させられたと僕は信じている。」
ラスは最大限まで到達したのだとは考えていない。むしろその逆だ。
「僕は、毎朝のチームのトレーニングで、バロンドーラーたちが隣に居るのを、そして彼らが誰よりもトレーニングするのを見ている。それが僕のモチベーションを大きく向上させる原因になっている。いつかマドリーで10番としてプレイすること? いいじゃないか、トレーニングすることですべてを手に入れられるんだ。」
(この場合の10番は、単に背番号の意味ではなく、試合を創る、チームのまさに中心という意味)
ラスは、パリのベルヴィユ地区(移民の多い下町、居住区)にルーツのある、自身の過去を振り返った。その始まりは荒れがちなものであったが、彼は既にフットボールの贈り物を示していた。彼を見出したGuy Hillionは、「SO FOOT」の中でこの12歳の少年について述べている。
「小さくてきゃしゃ、まるで赤ちゃんのようだった。でも、ボールと共に望むことを行っていた。」
しかしながらHillionは、その難しい性格を思い出していた。
「彼は問題を起こしていたね。勉強に興味が持てないでいたから。でも学校の女の子たちに対しては別だ。」 Hillionにとって、理由は必要ない。2年間で、ラスは2つのフットボール・アカデミーから放逐された(ナント、ルマン)。2003年、18歳になってより成熟したラスは、ル・アーヴルと最初のプロフェッショナル契約を交わす。Hillionによれば、これは彼の人間としての変化のためには決定的なステップだったのだと考えている。
「最終的に、彼は自身の抱負に従って、挑戦することを見つけた。そしてそれ以来、私たちが知る今のレアル・マドリーにいるラスのような人物として、彼を見始めるようになった。」
05/06シーズン、彼はチェルシーに移籍した。ここで、彼の成功の鍵の1つであるモウリーニョが登場する。ラスは言う。
「彼は重要な存在だった。彼は一貫して僕を見てくれて、最高のアドバイスをくれていた。まったく逆なのが、アーセナル(次に移ったチーム)のベンゲルだ。僕は何も学ぶことはなかった。僕が行った時に、ただ言葉をかけるだけだったから。彼とは、決して安定した境界(ポジション?)を持つことはなかった。アーセナルを出て、僕はそれを見つけるためにポーツマスへ行った。」
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