ネットのアンケート結果だか、雑誌のアンケート結果だか忘れましたが、吉祥寺が人気があるようです。ちなみに儂は大学生の時、吉祥寺からやや多摩寄りの「むさこ」に住んでました。吉祥寺は中央線で200円ぐらいで行けたのではないかと思います。単車に乗るようになってからは、本当に近所でした。意味なくサンロードをぶらぶらしましたし、500円の名画座にも行きましたし(でも映画は性に合わんようでしょっちゅうではなかったです)、ダンキンドーナツで無駄にぼけーっとしてたこともあります。大学の同級生ながら1歳年上のOさん(女子・某短大を卒業して儂の通っていた大学に来た方)におかまさんがやっている居酒屋に連れて行ってもらったことも懐かしい思い出です。もちろんいせやも。
ヨメさんは大阪に泊まりがけの講習に出かけ、決して親の云うことは素直には聞かない年齢の子どもたちは早々に部屋へと上がり(というか父親をガン無視のムスメは・・・はあ)、久々にリビングのチャンネル権が自動的に儂のモノになり、5年ほど前にスーツを2着買った紳士服店からの「お誕生日プレゼント」
に職場のロッテS君からいただいた「ツシマヤマネコ」
をいただきながら、ボンビーガールを見ていました(ロッテS君、筑波での学会発表お疲れさん、またいろいろ教えてください。そういえばK君の発表は明日ぐらいでしょうか・・・)。
どれもこれも儂にとっては今なら充分住める物件なんですが、悟るまでにいかんせん25年。遅かったかという感じです。学生の時は、部屋の快適さを求めてロフト付きのそこそこ高い物件に住んでました(反面食うことに関しては無頓着でエンゲル係数は低い生活をしていました)。そうそう駅から20分ぐらいかかりましたが。
自分が、今でも大学の前後の頃のことをよく覚えていて、そして結構は失敗もしたけどいろいろやってみていろいろ感じてそして今の自分の基を創っているということを感じますから、子どもたちの進む方向はやはり気になります。ただまあ、自分がそうだったように、親の云うことはこの時期聞かんもんで・・・。
儂自身将来の夢とか将来設計の重要さを語る立場であり年齢ではありますが、大学一つにしても(あるいは就職というかそういうのがなくても)単に東京に行ってみたいというだけでいいんじゃないかと思うのは甘いのかなといえばそうでもなくてそれでいいじゃないかと。行ってみたいときにかじるすねがあれば別にそれを使うのは悪いことではないし、なければ自分で何とかすればいいし。
ただまあ、大学生になってからは受験の時よりよく勉強していました。自分の田舎の友達は就職していましたから、何か仕送りもらいながら大学に行ってモラトリアムを得ることに抵抗があったんでしょう。実際は、想うだけで自分に対してはかなり甘々だったとは想うのですが、いわゆる世間の人よりもまじめに学問しなければならないという意識はありました。
人それぞれいろいろな背景をかかえている以上、自分がストイックに道を進んでもそれが免罪符にはならないなということが分かってきたのばずいぶん後です。元議員のSというタレントがテレビの画面で仕事しています。ああいうのも充分アリなんだろうなと今では想います。儂も似たようなもんだなと思ったりするわけです。でも当時は、そういうのはいかんないやだなと青臭く想っていたりしました。
ツシマヤマネコ、癖がなくていいな。ただ、少し酔うと「クセ」が出ていかんな。
吉祥寺、どんなになっているかな。儂がいたアパートも。
住んでみたいな、だけでスタートするのもアリだと思います。ただ、働かざる者食うべからずっていうのは、たぶん今でも譲れないんじゃないかと想います。
ヨメさんは大阪に泊まりがけの講習に出かけ、決して親の云うことは素直には聞かない年齢の子どもたちは早々に部屋へと上がり(というか父親をガン無視のムスメは・・・はあ)、久々にリビングのチャンネル権が自動的に儂のモノになり、5年ほど前にスーツを2着買った紳士服店からの「お誕生日プレゼント」
に職場のロッテS君からいただいた「ツシマヤマネコ」
をいただきながら、ボンビーガールを見ていました(ロッテS君、筑波での学会発表お疲れさん、またいろいろ教えてください。そういえばK君の発表は明日ぐらいでしょうか・・・)。
どれもこれも儂にとっては今なら充分住める物件なんですが、悟るまでにいかんせん25年。遅かったかという感じです。学生の時は、部屋の快適さを求めてロフト付きのそこそこ高い物件に住んでました(反面食うことに関しては無頓着でエンゲル係数は低い生活をしていました)。そうそう駅から20分ぐらいかかりましたが。
自分が、今でも大学の前後の頃のことをよく覚えていて、そして結構は失敗もしたけどいろいろやってみていろいろ感じてそして今の自分の基を創っているということを感じますから、子どもたちの進む方向はやはり気になります。ただまあ、自分がそうだったように、親の云うことはこの時期聞かんもんで・・・。
儂自身将来の夢とか将来設計の重要さを語る立場であり年齢ではありますが、大学一つにしても(あるいは就職というかそういうのがなくても)単に東京に行ってみたいというだけでいいんじゃないかと思うのは甘いのかなといえばそうでもなくてそれでいいじゃないかと。行ってみたいときにかじるすねがあれば別にそれを使うのは悪いことではないし、なければ自分で何とかすればいいし。
ただまあ、大学生になってからは受験の時よりよく勉強していました。自分の田舎の友達は就職していましたから、何か仕送りもらいながら大学に行ってモラトリアムを得ることに抵抗があったんでしょう。実際は、想うだけで自分に対してはかなり甘々だったとは想うのですが、いわゆる世間の人よりもまじめに学問しなければならないという意識はありました。
人それぞれいろいろな背景をかかえている以上、自分がストイックに道を進んでもそれが免罪符にはならないなということが分かってきたのばずいぶん後です。元議員のSというタレントがテレビの画面で仕事しています。ああいうのも充分アリなんだろうなと今では想います。儂も似たようなもんだなと思ったりするわけです。でも当時は、そういうのはいかんないやだなと青臭く想っていたりしました。
ツシマヤマネコ、癖がなくていいな。ただ、少し酔うと「クセ」が出ていかんな。
吉祥寺、どんなになっているかな。儂がいたアパートも。
住んでみたいな、だけでスタートするのもアリだと思います。ただ、働かざる者食うべからずっていうのは、たぶん今でも譲れないんじゃないかと想います。