きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

神鍋高原マラソン全国大会の後のこと

2012-10-14 17:11:46 | 大会回顧録
今日は、休日出勤し、ゆるりゆるりと半日仕事。
急かされずにぐだぐだ考えながらできるので、苦ではない。

子どもたちも、模試か何かよく分からんが、出ていたらしい。
で、ヨメさんは、友人とドッグランカフェに行くとか行ってたらしい。
らしいばっかの記述。家庭環境バレバレやな。

4号も連れて行こうかみたいなこと言っていたからもしかしてと思ったら、いた。
車酔いするから結局あきらめたのかなと。

先日の峠探訪記(もとい峠越えの通勤ラン)のドッグラン併設のカフェのところを書いていて、ふと気付いたのが、我が家の犬たちはどこまで遠出をしたことがあるのかということ。
今は、1号2号は歳を取ったし、4号は車酔いするしで、動物病院に車で行くのさえめったにしない。まあ、年に一度双方(儂とヨメさん)の実家には連れて行くが、そんなに遠距離ではないな。4号は3号と同じ海に近いブリーダーさんとこで育ったから、そこから連れて帰ったのが最も遠距離のはず。
ただ、1号2号は、結構遠くまで行ったことがある。

閑話休題。
大会参戦記、ではないな正式に云えばこれは。8月最後の日曜日に行われる、兵庫県北部の神鍋高原でのマラソン大会に、ムスメとムスコと儂の3人でエントリーしたことがある。6年前だったか。最初で最後の貴重な親子参戦である。1回でも一緒に走っといてよかったなあ。
この大会、ハーフの大会で自己記録もたいしたことない、というか反省の多い大会だった。やはり子どもと一緒ってことで力が入ったのだろう。最初突っ込みすぎて後半ばてばてになり、2時間弱ぎりぎりでのゴール。何せ一度は2時間のペースメーカーに追い越されたから。それもまあ良き思い出か。

そして、親子参戦したというのともう一つ大きな出来事があった。
この時一緒に行った1号2号は、日本海を見た(たぶん見たはず)。それが、このマラソン大会の帰りのこと。


1号2号真夏の砂丘よくもまあ歩いたもんだ。
子どもたちもマラソン後でよく歩いたもんだ。

何だかんだといいながら、子どもたち様子は気になるもんです。
会話少なくなったけど。

4号の写真が今回ないので、カットしてでおすましのを一枚。

内容には関係ないですがいいでしょう。
今日は大会参戦記のカテゴリーに入れるのも何だかなあって内容だから関係ないつながりで。
それからこの頃の1号2号も一枚。

さて、今日2回目の散歩に行くかな。

新米

2012-10-13 17:53:16 | 徒然に2010-2013
実家にもらいに行く。行きはよいよいしかし対向車線を見る。
高速で事故があったらしく国道にえらい量の車が流れ、渋滞している。だいたい行程の1/3ぐらい。後から後から車が増えている。思い切って遠回りをして帰る。

初めて走る別の山道。この9月からいつもより車を使うことが多かったが、ランと似たようなところを走っているなと思った。

一応、停止して撮影してます。ガソリン少なめだったので、ビクビクしながらとりあえず帰宅。米をつきに行く。

ほお、清く正しく美しく使うのか。清くというのはどう解釈するか。

実家では久々に立ち話ができた。田圃がイノシシに荒らされたらしい。
山の方はイノシシだけでなく猿までがが近くに降りてきているらしい。
「こんなこといままでなかった」ってことが、どうも最近多いらしい。
明日の祭りは、年寄りの多い田舎の方だからなかなかたいへんらしい。

それだけでなく実家のことを考えるといろいろねえ。親子の年齢を考えると、今の日本の課題そのままって感じですが。とりあえず今年も新米がいただけることに素直に感謝せねばと思う。

今日はゼロゼロいいながら4キロ走ったのみ。痰がからんでかなり調子悪い。週明けから仕事が結構ハードになりそうだから明日も抑えめにせんとなあ。

そういえば、以前は走って治そうなんて時期もあったかな。
昨日の3000は良く効いた。体が欲しているものを注意深く探っていかないかんと思う。
まあ、走ってでも治ると判断したのなら結局そういうことなんだろう。欲しているのだから。
新米、待ち遠しい。

1000か3000か

2012-10-12 22:00:00 | 徒然に2010-2013
タウリンの話。右が1000(指定医薬部外品)で左が3000(第2類医薬品)。

結局3000にする。

風邪かもしれんなアレルギーではなくてこの体調の悪さは。
でも。

週末の慰労ができなくなるのはいやなのでそうではないことにしていつも通り走ることにする。
でも。

この休みは少し安静にしとこかね。2時間の「ケース」が終わって息切れしているのでは仕事ができん。話にならん。

しんどいしんどい云うたらいかんいたいいたい云うたらいかん

2012-10-11 21:46:47 | 徒然に2010-2013
とはいえ。

体がだるい。昔からこの時期は体調管理が難しい。疲れてくると、昔は口内炎ができていたが、口内炎だけでなく、鼻のてっぺんや中にでき物ができたり(親に「めんちょう」は気いつけんと、といわれたことがある)もしていた。数年前に職場を変わってから、口内炎はなくなったが、最近また時々出るなあ。加えてここ数日、息苦しさとともに走り始め、楽になったかどうなんだかという感じで普段なら5キロぐらいで慣れてくるのが10キロ過ぎてもなかなかきつい(夏は別のしんどさがあったがそれとは違う)。このきつさは、春でいえば花粉の時期と同じ。今は稲刈りの季節だからか。ムスコは少し前がしんどそうだったからアレルゲンが違うのかもしれない。
まだ元気だった10月の初っぱな、調子にのって出勤ランでサブフォーペースで走り、途中息切れしてからおかしいから、それがきっかけなのかもしれん。あの日は、職場に着いたらくたくたで、というか酸欠のような感じで息が上がって座り込んだ(通勤ランでそんなことになったのは珍しい。そんな走り方したらいけません)。


加えて。

腰の所、擦過傷。あまりきれいな画ではないので拡大してみないように。ウエストバッグが当たっているから、これはもう走っている限り仕方がないが。


体に違和感がないのを健康というなら、走れていてもやはり健康ではないのだろう。案外というより絶対に、年中しんどいとかいたいとか云っているのは確か、だと思う。だったら止めりゃあいいのにと云われないように、そういうことを云わずにできるようにならなければと思ってはいるが、これを打っている時に、すでに口の中は痛い肩は重い。

なかなか、ねえ。まあ、気持ちが沈むよりはましかと。いろいろあるんだけれども。誰でも抱えているいろんなことがあって、それはは云わない方が良かったりすることの方が多いから、せめて体の違和感は云いたくなるのかもしれないなあと。

とはいえ。

パトカーに呼び止められる

2012-10-10 21:30:49 | 徒然に2010-2013
今朝、いつもの通り出勤ランしていたら、家から10分もしないうちに、パトカーの回転灯が目に入る。こんな朝早く(6時前)から何があったか大変やなあと思っていたら、すれ違いざまに止まり、助手席の警官が降りてくる。

なんだなんだなんだ、とちょっと緊張する。

「どうぞ」と何かを渡された(はじめの言葉が聞き取れなかった)。

注意されたわけではないが動転する。
「どうも」とすぐに開け肩にかける。
確かに見えにくいのは危ないな。分かっていながらつけてなかったもんな。

帰りも、きちんとつけました。

別件その1。
zakzakにこんな記事が。
気持ちは分かります。

別件その2。
zakzakにこんな記事も。
応援したくなります。

身を削って頑張っている人には頭が下がります。



ダートを走るマドノトウゲを越える

2012-10-08 21:33:35 | 近場の異邦人
風は強かったが、それに逆らうようにして山へ向かい、連敗は免れたという感じ。

基本的には、山道は走らない。ただ季節はいい時期かもしれない。蛇や虫は少なくなっているはずだ。強いて云うなら、台風が続いた後なら斜面や路面の心配はしなければならないのと、野生動物が里まで下りてくることも多いようだから、そういうリスクはやはりある。それをどう解釈するかは、その日の気分と天気である。
昨日、ふとしたことからM市近辺の山道をウェブで調べていたところ、いつもいぬのおはかまいりで走る国道とは別の県道って通れるのかと疑問に思い、ググってみた。この道、20数年前に友人の車で、ゴールデンウイークの大渋滞で国道が動かない(当時は高速が通ってなかった)ため、迂回路として地図ではつながっているこの道を行ったのが最初。あともう一回単車で越えた記憶がある。しかし、台風後には、時々通行止めが出ることもあるぐらい荒れた道なので、日々単独ランの儂にとってはやや危険が高く、これまであまり行こうとは思ってなかった。すると、車や単車だけでなくMTBとかでいろいろな方が超えている方が何名かおり、その中でM市内にお住まいと思われるぴょん吉さんというランナーさんのブログに、この峠を越えた記事があった。この記事が約1年と少し前。で、走っていった人がいるなら行けるだろうと思って決行。

しかし、出発がやはり遅い。昨日の動き始めよりさらに遅い時間に家を出ることになり、どうなることかと思いながら、国道を進む。風が強い。帰りはバス利用としてトラブルがなければ夕方までには帰宅できる予定だが。

国道から、峠に向かう県道に入る。稲を刈っている。多分次の週が秋祭りのはず。

この辺は、道路が広い。ダンプやらトラックやらミキサー車やらばんばん走っている。右手はすぐ川で、川遊びの場所もある。

この堰の上を毎年鯉のぼりが泳ぐ。今年はその時期に来てないなと思う。この近くの自販機で「お守り」代わりの飲料一本購入。

御所と呼ばれるところ。この橋の向こうにはまだ行ったことがない。

川も道路も広い。穏やかな感じがする。傾斜は緩やかに上っている。

橋の向こう、以前、犬と蛇に挟み撃ちにあった所に向かう道。

昼過ぎ、空も穏やかで雨の心配もない。但し風が冷たい。大丈夫だろうか。

採石場。稼働しているようだが、今日は止まっている。近くで見ると迫力がある。


少し先、以前小学校だったところ。

この辺りがこれまでで最も奥に来たところ。ここまで来たのは3年ぐらい前かな。ここから先は、ランでは初めての領域になる。

烏ヶ嶽城趾。国道の方にある街道が整備される前は、こちらがメインルートだったみたいな説明が書いてあった(記憶がやや曖昧)。ということは、中世はこちらの往来の方が多かったということか。

河原にはススキ。強い風。

だんだん山の奥らしくなり道幅も狭くなるが、まだ終点ではない。

と、思ったらさらに道幅がせまくなり、川を渡るとバスの終点だった。

道はここから二叉に分かれている。

四輪バギー(小型特殊で乗れるヤツ)積んできた若い連中がバーベキューをしている。休憩とか取らず目指す方へ向かう。ここには自販機とかなかった気がする。

予想していたとはいえいきなりこんな感じ。

水の量が思ったよりあって靴を濡らす。声が出る。
ここで、携帯が圏外になっていることに気付く。写真は50枚ぐらい撮った感じだが、電池残量の目盛りが一つ減る。もうすぐ2年だからなあ。

山道をさらに進む。二叉に分かれている。標識はない。何となくこちらかなという程度の判断で進む。

川が近くなる。

と思ったら再び沈下橋状態(道の手前には「沈下橋がある」と看板があったがこれのことだろうか)。河原に降りてジャンプする。

見事成功。足を捻ることもなく。さらに進む。

段々と道が荒れ川が迫る。でも道の荒れ具合は、峠を越えた側の方が酷いと聞いているが。
遠くに山が見える。

再び二叉。予想以上に迷う。

左に行くと川に出たようだ。

さらに山奥。こんなとこ早朝夕方は遠慮したいぐらい山の奥。

山の斜面も、結構荒れている。

とはいえそれでもここまでは舗装されていた。ここからいよいよダート。

ダートになって何が変わったかというと、標高が高くなっているのに汗をかくようになった。それから、写真を撮る余裕がなくなった。実をいえば、ここからが思ったより長くて、結構気持ちのゆとりはなかった。まだかなまだかなと思いながら、観光案内板の最後に記されてあった何とか化石の碑に着く。

昔々、ここは海だったとか。貴重な化石だが、周りを見てもどれのことだかさっぱり分からん。
道はこれも思ったより傾斜があり、時にくねくねと曲がる。

林道の分岐。これは表示があった。

で林道側。北側の山の登山道にもなるようである。

目指す峠側。

表示がなければどちらがメインか迷うだろう。
で、植林地帯を抜け、林道の分岐を眺め、ようやく峠にたどり着く。バスの終点から30分余り。でも時間以上に長く感じた。
峠には、地元FM局の中継塔(?)があり、反対側にこの地域の名士の功徳碑があった。

こちらは展望が開けていた。ガードレールのない道からそっと覗くように眺めてみる。

結構高いところまで来ていた。びっくりする。後で調べると標高600メートル以上。
ダートにはなっていないが、傷みの激しい道を進む。下り坂でしんどくはないがその分気をつけて走る。斜面側は落石が、路肩側は転落が怖い。

ところどころで遠くの麓の景色が顔を見せる。

まだ陽は高い。

峠を越えた安心感だからか。この辺りは植林されている山のようだが、ところどころ「激しい」光景を目にする。

くねくねとした道。さらに高度を下げる。この間オフロードバイクが一台通っただけ。

杉(檜?よく分からん無知だな)から竹林のような感じになる。

もうすぐかなと思ったら、展望が開けた。

手前の黄色はセイタカアワダチソウ。まあ、そんなもん。
で、すぐに道が広くなった。こちら側は、結構山の方まで民家がある。みなさん山仕事畑仕事野良仕事。

さらに国道を目指す。
ここからも結構長く感じる。M市と山を隔てて反対側に広がる平野の山裾は扇状地になっていて、国土地理院発行の地図で見れば果樹園の記号が多いことが分かる。柿、栗、キウイ、蜜柑等々。さらに降りると、畑や田圃が混在し始め、お茶畑などもみられる。国道までもう一踏ん張りというところ。川で「お守り」を開封。

約4時間近くここまで補給一切せず。この点はよく頑張った。

国道に出てバス停近くのコンビニで235円セット。

たぶんあっちの方走ってきたんじゃないかと思うがよく分からんかった。

ここからは風は追い風になるが、バスで家路につく。

距離自体はたいしたことはないのだが、車で走るよりも、単車で走るよりも、強烈な峠越えだった。ダートは心細い。人間の器の小まさがもろに出るなあと思った。

風に負ける青空が目にしみる

2012-10-07 18:10:38 | 徒然に2010-2013
朝早くから起きてごぞごぞと用事を済ませたにもかかわらず、何故か出るタイミングを失い中途半端な時間になる。天気のいい日に限って、である。ゴミ出しが終わってからでないと出られないからとはいえ、テキパキ準備すれば出られるのだから、完全に自分の責任でしょって。この段階でもう気が滅入る。
それでも近場で面白そうなルート(山道)をネットで見つけたので行こうとするが、思った以上に風が強く、真逆の方向に進んでしまう。街は秋祭りのようなので、天気もよく気温も上がる予報だったからこの日こそは山道にトライすべきなのに全く違う方向に行ってしまう。
自分の意志が弱いだけなのに気分が上がってこず、5キロほどでランを止め、古本屋で面白そうな本を見る。地理関係、京都本(魔界案内みたいな奴)を見つけ、いつもなら充分ストライクのはずなのに買うのを止め、一旦帰る。ますます気が滅入る。

帰ってから、変換コネクタとUSBのハブをこの休みに探そうと思っていたことを思い出し、再び街へと向かうことにする。相変わらず風は強い。
風に背中を押され、街に着く。いつもの中古パーツ屋さんでジャンク品を物色するが目指すものは見当たらない。480円の無線LANカードとか、980円のワンセグのチューナーとかそれどうすんのというようなものを買い込みそうになる。誘惑が多い。結局ジャンクのビデオキャプチャアダプタ一つだけ200円で買う(あらこれMpeg1じゃないかまあいいか)。

店を出て、100均の店でUSBハブが300円で売っていることを確認し、ひげそりの替え刃の値段を調べに電器屋さんに寄る。プリンタ4800円とか、相変わらず誘惑が多い。が何も買わず。
もう一つ、ヨメさんに頼まれていたパン屋でパンを買う。

以前揚げパンをよく買った店。小さいドーナツを買い占める(といっても時間が遅かったので5コ)。
このパン屋は駅が近いから来やすいなと思う。ウチの家でよく利用するもう一軒の郊外のパン屋は駅が遠すぎて、土産代わりに買うにはちょっと二の足を踏む(店の名前忘れましたが、ラウンド食パンで有名な大きな店です)。
収穫はないに等しかったが、帰りは電車と決めていたので、もう冬かよと思いながらコンビニで買う。

うまく乗っかった。
目的の300円のハブ買わずに第3には金使って何やってんだかと思いつつ、まあ、日々の暮らしはこういうちぐはぐな形で終わるのだなということにする。
電車を降り、家に向かう。

秋の空は高いと云うがどうなんだろう。思うようにならんかった日は、奇麗に晴れていなくても高く見える気がするな。

何となく筋を一本外す

2012-10-06 21:03:01 | 近場の異邦人
休日出勤を昼過ぎに終え、市の北部にある職場から、市の南部にある大型ショッピングセンターまで走る。ルートが決まってしまっているので何となくつまらないと思い、初っ端の信号で、筋を外しにかかる。
すぐに踏切でつかまる。

JRの踏切は長い。ろくに下調べもせずに大丈夫かという感じで止められたように感じる。やがて、鈍行が結構な速さで通り過ぎる。
道が限られるので、何となく山の方へ行く。山へ行きすぎると、傾斜がきついのでほどほどの道を選びながら行く。

残念ながら行き止まりになりそうなので引き返す。

こちらは何となく行けそうなのでぐんぐん行く。

そこそこ高いところに来ているらしい。市内のお城の方が見えた。

峠を越えてやれやれと思っていると、突然道が狭くなる。

何とか、家があるところまで降りることができた。

この廃屋、味がある看板を残している。でこの直後、おおここに出たのかという感じのところに出る。JRの線路を越えていたので、もろにトンネルの上を通ったらしい(と思っていたら勘違いだった)。ネットでは確認するのが難しい道だった。
ここまででまだ4キロぐらいか。充分満喫したがまだ残り10キロぐらいはあるはず。
しばらくは、よく知っている道を行く。で、何となく外す。

京都に同じ名前の神社があった。懐かし。で、大きな道路に出て、再びこの道の一本脇を走る。

川沿いを行く。これは橋の上から。転落防止の網と思われるが。

やがて空港へ行く大きな道を横切り、再び狭い路地を行く。ただまあここは何回か通っている。そして、この次は何となくではなく、そういえばと思いついて方向を変える。この日唯一の思いついて、である。

古い家がたくさんあるから、以前はメインルートだったのだろう。ちなみにこの道を空港の方へ向かう。これぐらいかなというところで曲がり、南下する。きょろきょろと辺りを探しながら走る。
あった。

はじめは分かりにくかったが、少し前の新聞で紹介されていて注意してみていたので分かった。何度か通ったことがあるのにそれまでは全然分からなかった。

戦争時に戦闘機を敵の攻撃から守るために格納したという「掩体壕(えんたいごう)」である。松山空港近辺には3基残っているらしい。予定はしていなかったが、よく思いついて、この目で確認することができた。満足。
掩体壕を見てからはそのまま大きな道を行ってもよかったが、また何となく道を外れ、さらに南下する。

再び橋の上。遠くに空港近くの工場が見える。
やがて、行き止まりになる。

大きな川なので幾つも橋が架かっているわけではない。橋の方まで川沿いを進む。

川を渡り、ここも何度か走ったことがある道を行く。

私鉄の古い駅舎を過ぎると、国道に入るのがいつものパターンだが、まだ出たくない感じで何となく国道から遠い方へと足を向ける。
田圃の中、高架の道路をくぐる。でかい道路だ。
くぐると行き止まりになっていたので右に折れ、左に折れして、ぼちぼち到着かなというところでまた踏切に捕まる。私鉄の踏切は短いはずだが、案外長い。

渡ると駅がすぐ近くにあった。だからか。
で、無事終了。

別に写真撮りまくるほどでもないのですが、道を一本外すだけで、全く違う光景になるのは事実。
行き止まりにビクビクしながらも、時々は思い切って外すのもよし、ですか。

観覧車’12【改めて】

2012-10-05 19:00:00 | 徒然に2010-2013
甲斐バンドにそういうのがあったはず。
・・・って、ここまでで止めて予約投稿の状態で放置してました。失礼しました。改めて「観覧車」です。

甲斐バンドのは有名な「観覧車’82」。ただ儂はどちらかというと遊佐未森の「雨上がりの観覧車」の方が色んなものがフラッシュバックしてしっくりくる。リリースは90年らしいから納得できる。

M市にも観覧車がある。それも街のど真ん中。百貨店の屋上。
毎年のように一度は必ず利用するその百貨店のビアガーテンでは(安いし交通の便がいいからか)、麦酒のおまけとしてその観覧車の100円優待チケットがもらえる。
が、ここ3年ぐらい使ったことはなかった。子どもは乗るわけないし、一人で乗るのも何だかなあだし。一枚しかないから、使い勝手が悪いといえば確かにそう。
が、今年は思い切って使ってみた。まあ一人でも乗ってみようかと。期限切れ直前のある日の退勤ランの途中でふと思った。思ってからキロ5分半ぐらいにペースが上がった。街に観覧車の灯りが見えた。

観覧車には飲食物持ち込み禁止なので、几帳面に乗る前に呑む。
若いアルバイト君にチケットとワンコイン渡す。夜の観覧車は久しぶりだ。

しばらく景色が見えない間の、この光が宇宙っぽくて子どものように立ち上がって見ていた。ゴンドラはゆっくりと上がり、やがて景色が見えるようになる。


週末の街は、灯りが元気なように見える。

20分弱の空中散歩が終わる。

アルバイトさんに迎えられる。
いいトシのおっさんが、という感じだが、ビアガーデンのチケットだからこういうのもありかなと思う。

帰りの電車では、まだ遊佐未森が聞こえている。
だからまだやくそくははれたそらうかんでる。
いつだってごんどらはぼくをのせのぼってく。

気動車

2012-10-03 22:00:00 | 徒然に2010-2013
先日、ウチで取っている地方紙に鳥取聾学校写真部の記事が載った。
素人が恥の上塗りのように云うのもどうかとは思うが、彼らの写真は、決して時間を切り取るだけのものではなく、被写体とのコミュニケーションの中で成立している。表情があり、味がある。きこえない、しゃべれないことだけが(しゃべれないというのは随分昔のとらえ方なんだが・・・)ファインダーを覗いて風景に対峙することへの特性を生み出しているわけではないと思う。そこに聞こえるとか聞こえないは、基本的にはない。
鳥取聾学校へは、もう二十年近く前にとある研究会の全国大会で出かけたことがある(その大会では研究発表もした)。確か働き始めて3年目。岡山から急行で中国山地を越えた。今でも時々お世話になるSさんと一緒だった。いろいろなことをどん欲に吸収しようとしていた時期だった。確かその時に入手した写真集が「水あそび」だったと思う。デジタルの前の時代。今改めて写真集を見ると、ラフさの中になかなかこんな表情撮れないなと思う作品がやっぱりあって、すごい。そしてその時の記念講演は、こうした大会では珍しく、この「業界」とは関係のない徳永進さんというお医者さん。この方の著書には、本当に影響を受けた。何が縁かは本当によく分からんなとつくづく思う。

ところで、写真の左端に「気動車」という冊子がある。これは鳥取とはちょっと関係ないが、ずっと残っているというか引っかかっているというか、まあ影響された絡みで。
富山ろう学校の生徒の短歌集。
印象に残っている歌が何首かある。書籍のタイトルに使われた「ろうあ者は機関士にはなれないか・・・」の句もその一つ。
自分の思うべき道に進めなかったという結果は、いろいろな人がいろいろな形で経験しているだろう。彼らだけではない。それでも恥の上塗りのように云うなら、それが様々なプロセスを経て自分で悟った結果なのか、初めから門戸が閉ざされていたからのかでは全く違う。

せめてスタートラインに立つ時ぐらいは同じにならんかな、と思う。

ついにハムが来た

2012-10-02 20:00:00 | 徒然に2010-2013
このブログ走る記録メインなので、ハムといえばハムストリングのはずだがそうではなく、日本ハムファイターズの話。
これ少しだけ以前に書いた
儂は、北海道に移転して最近強くなってからのファンではなく、新庄やら斎藤やらも関係なく、結構生粋の日ハムファン。これは自信もって云える。ファン歴35年ぐらいになるんじゃなかろうか。縞のユニフォームの時代、オレンジのユニフォームの時代。パ・リーグの野球中継などNHKが年数回するぐらいで、周りは巨人しか知らない小学生の時から、日ハムのユニフォームなど見れるか見れないかの時から。
そういえば、二つ前の職場の事務課には、これもかなり筋金入りの近鉄ファンのKさんがいて、儂と当時マイナーなパ・リーグの話をよくしていました。もう辞められて一度今の職場にお手伝いで来てくださったこともあるのですが、Kさんお元気でしょうか。

日ハムよくぞ成長しました。
今年度のペナントでは、まず栗山氏を監督にしていましたが、正直少し抵抗がありました。そして斎藤を開幕投手にするのはもっと抵抗がありました。しかしまあ、蓋を開ければ、です。ちなみに、栗山監督は儂の大学の体育科出身の方ですし(一度在学中に大学の生協で見ました。栗山監督、ウチの大学ではずっとエースで4番だったとか。そうだろうな)、斎藤選手も儂の知っている「すたどん」食ったことあるそうなので、理由の有無はともかく依怙贔屓にしたくなるのですが、それでも今年のスタート時の体制は疑問が残っていたわけです。
それがまあ。
ここまでやるとは思わんかった。
不振の中田を辛抱強く使い続け、吉川を復活させた。この二人がここにきて、です。しかも斎藤は、我慢して使いつつ、どうしようもなくなったら周囲が納得する形で二軍で調整させる(本人状況をあまり分かってないようなのが気に掛かりますが、でも持っている人は、自分が気持ちを変えて頑張るとかしなくても結果出すもんですからたぶんCSあたりですごい勝負強いところを見せるんでしょう才能というかそういうのを持っているというのはそういうことです)。シーズン通してここまでうまく回すと監督というより球団の眼力に恐れ入ります。

もう一つ贔屓にしている広島東洋カープがねえ、今年も失速してしまったから、ハムには頑張ってもらわんと。
アンチ巨人ですから、日本シリーズが楽しみです(もうCS勝つ予定でいます)。
やっぱり巨人を叩いてなんぼのプロ野球でしょう。努力は才能を凌駕するとは思わないけれども、四分六分ぐらいで勝負できるところまでは何とか持ってこれるのではないかと。才能があっても油断すればひっくり返るぞっていうところまで。それがチーム競技の面白さではありますよね。

MooN

2012-10-01 22:36:08 | 徒然に2010-2013
10月から3月というのは、基本的に暗い中を走る機会が多くなる。とはいえというかだからというかジョガーの多いこと。10月はまだ気温が高いので走りやすいのは確かだろう。
今日職場を出る頃、遠く市内の方を見ると、灯りがたくさん見えた。

灯りに誘われて、という感じで退勤ランは街中まで走った。ゆっくりだが姿勢に気をつけて走れた。
昨日が中秋の名月だったらしいが、今日の月も誘われてしまうぐらいいい感じだった。

夜の写真は旨く撮れない。まあ雰囲気だけ。
堀端では街の灯りといい具合に調和していた。

人灯りも月明かりもいい感じである。その中を走るのはいい感じである。