1日の終わりに ~森真理マンドリン教室~

マンドリンと共に暮らす日常のあれこれを、ほぼ毎日綴っています。

自分の音&自分らしい演奏

2015年05月26日 | Weblog

画像は今日の記事の内容とは無関係なんですが、椿屋珈琲に行ったときのもの。
どちらも大好きな器で1人で大喜びしたのでした。

さて、
研究所の発表会が近づいてきて、そわそわした日々を送っています。
今週末は、リハーサルがあります。
発表会当日のリハーサルは、あってないようなもの(持ち時間3分とか)。
本番の2週間くらい前のリハーサル(本番のホールとは別の会場です)が正念場なのです。
このリハーサルが毎年かなりのプレッシャー。
事情通の生徒が部屋にぎっしり、加えて先生の鋭い眼光。
自分の仕上がりの遅さにがっかりするのです。
わかっているのに、毎年同じことの繰り返し。ふー。

先日、友人からこのような話を聞きました。
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大人数のアンサンブルに参加しているだけで、先生からは「音が荒くなった。」って注意されることがあります。。。
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私も指摘されたことがあります。
それがきっかけということではありませんが、大規模合奏からは遠ざかっています。

「参加しているだけで」荒くなるとは思いません。
大音量の中にいる、大人数で演奏する、その結果として、自分自身の音に対する意識が散漫になることはあると思います。

でも自分だけの音を聴く時間を大事にすれば、大合奏でもやっていける(というのも変な言い方ですが)。

私がとても感銘を受けたのは、柴田先生が「自分の音を探す作業を毎日している」と言っていたことです。

自分の音。
自分がいいと思う音。

必ず確認するんだそうです。
こういう時間はとても大事だと思う。

そういうことができれば、どこで誰と弾いても芯の部分がぶれることはないんじゃないかと。
そんな風に思っています。

レッスンを受けていてもうひとつ気になるのは、「自分らしい演奏」ということです。

「自分らしさ」とはなんだろう。

それは自分が思うことなのか、人が感じることなのか。

片岡先生のレッスンで「ここをそんな風に弾いたら、シルベスさんらしくない」と言われることがあります。
察するに私らしさとは「思いっきりの良さ」のようです。

中途半端なことはせず、当たって砕けよ

そういうことなのかな。
どんな曲であっても、中途半端は良くないと思います。
でも秘めた想い、のような表現が必要なときもありますね。
中途半端でなく秘めれば、それは私らしいのか。

だいたい、私って何?
それは30年前からずっと変わらないものなんだろうか。

なんて思っていると、先生からは
「考えていないで手を動かしなさい」と適切なご指摘をいただくのです。

コメント
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