画像は今日の記事の内容とは無関係なんですが、椿屋珈琲に行ったときのもの。
どちらも大好きな器で1人で大喜びしたのでした。
さて、
研究所の発表会が近づいてきて、そわそわした日々を送っています。
今週末は、リハーサルがあります。
発表会当日のリハーサルは、あってないようなもの(持ち時間3分とか)。
本番の2週間くらい前のリハーサル(本番のホールとは別の会場です)が正念場なのです。
このリハーサルが毎年かなりのプレッシャー。
事情通の生徒が部屋にぎっしり、加えて先生の鋭い眼光。
自分の仕上がりの遅さにがっかりするのです。
わかっているのに、毎年同じことの繰り返し。ふー。
先日、友人からこのような話を聞きました。
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大人数のアンサンブルに参加しているだけで、先生からは「音が荒くなった。」って注意されることがあります。。。
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私も指摘されたことがあります。
それがきっかけということではありませんが、大規模合奏からは遠ざかっています。
「参加しているだけで」荒くなるとは思いません。
大音量の中にいる、大人数で演奏する、その結果として、自分自身の音に対する意識が散漫になることはあると思います。
でも自分だけの音を聴く時間を大事にすれば、大合奏でもやっていける(というのも変な言い方ですが)。
私がとても感銘を受けたのは、柴田先生が「自分の音を探す作業を毎日している」と言っていたことです。
自分の音。
自分がいいと思う音。
必ず確認するんだそうです。
こういう時間はとても大事だと思う。
そういうことができれば、どこで誰と弾いても芯の部分がぶれることはないんじゃないかと。
そんな風に思っています。
レッスンを受けていてもうひとつ気になるのは、「自分らしい演奏」ということです。
「自分らしさ」とはなんだろう。
それは自分が思うことなのか、人が感じることなのか。
片岡先生のレッスンで「ここをそんな風に弾いたら、シルベスさんらしくない」と言われることがあります。
察するに私らしさとは「思いっきりの良さ」のようです。
中途半端なことはせず、当たって砕けよ
そういうことなのかな。
どんな曲であっても、中途半端は良くないと思います。
でも秘めた想い、のような表現が必要なときもありますね。
中途半端でなく秘めれば、それは私らしいのか。
だいたい、私って何?
それは30年前からずっと変わらないものなんだろうか。
なんて思っていると、先生からは
「考えていないで手を動かしなさい」と適切なご指摘をいただくのです。