やはり古書展で購入した
きものの老舗「志ま亀」の店主
武内俊子さんの自伝
「きものと心」を読みました。
平成5年の刊。
きもの業界の推移など
興味深い内容が満載。
私は特に「志ま亀」きものの
ファンではないのですが、
シャネルの洋服は買えなくても
シャネルという人物やファッション業界
には興味が
あるので、この手の自伝は大好きです。
俊子さんが「志ま亀」に嫁に行った経緯は、
彼女の兄が、当時の倉敷レイヨンに勤めていた
関係から。
散歩の途中で撮った写真が当主の目に留まり、
倉敷社長の大原氏を通して、
縁談が持ち込まれたとのこと。
俊子さんは京都生まれ。
当時の生業は記してありませんが、
先祖は公家武士。
当時の写真館は、
縁談のいいきっかけになっていたのですね。
そっちですか。
大原孫三郎氏といえば、
かの岡山の大原美術館の創設者。
関西の大富豪として名を馳せていた方。
中国電力とかね。
彼の「志ま亀」への肩入れはすごくて
ある年の年商が、
全体の半分もあったというほど。
彼の仲人で、婚礼が行われ~~。
そのときの衣装。
扇面黒振袖に亀紋。
右側は志ま亀に今も残る一目絞りに亀紋の振袖。
扇面黒振袖着用~~。
志ま亀からの結納。
こちらはもう一つの色振袖。
老舗の呉服屋に嫁ぐにあたり、
父親を亡くした生家は、
心を痛めたそうす。
庶民ながらわかるわ。
婚礼時のきものはすべて
「志ま亀」で求めたとか。
まあ、そうですよね。
式当日、病気で欠席となった大原氏は、
再度、自費で披露宴をやらせたそうです。
すごいね。
結婚するにあたり、相手は
「結婚前の写真はすべて持ってこないくれ」
と希望。
これは何を意味するのでしょうか?
過去は清算、真っ白な気持ちでということ?
当時の富豪の結婚式はすごくて、
関西の資産家の嫁入り時には、
きものを見せるために、
店のすべての畳変え、
香を焚き、まずは茶室へと案内。
華燭当日の式服だけではなく、
生涯着用のきもの、布団、蚊帳まで
用意したのはご存知の通り。
呉服屋にとって結婚式を任されるのは
大きな商売だったのです。
老舗呉服店の姑は終日針仕事、
という地味な毎日~~。
無事に出産。
戦中、戦後の大変さ。
シラミに悩まされたり。
戦後は高級呉服店から、
大原氏の要望により、
「ビニロンきもの」なるものを作る。
ご主人は「大原氏のためなら、
老舗看板も捨てる」
というほどだったという。
老舗ながら、新しいビジネスもいとわず、
それが生き残った理由かもしれません。
型染の芹沢銈介氏との縁も深いのはご存知の通り。
芹沢銈介氏に依頼の本店の型絵。
はい、紫苑も行ったよ。
というわけで、
さらっと済ますつもりが
つい長くなったのは、
それだけ貴重な話が多いから。
それにしても大原氏など、
当時の金持ちは
文化面への支援もすごかった。
こんな金持ち、増えるといいね。
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