閃き

変化も気付く事も無い平凡な毎日の中にきっと閃きがあるはず。閃きを求めた記憶

宗教の勧誘

2015-11-13 07:20:07 | 閃き
久し振りにある友人から電話があり、夜、空いている時間は無いかと尋ねられた

何お話しか判らないが、唯一空いている日を告げた


当夜、友人は1人の男性を伴って自宅にやってきた

その男性はお世話になっている医者の先生であった

2人の赤子を育て、2人の幼児が暴れる自宅の中は、掃除しても直ぐにグチャグチャになってしまうので、見苦しい室内で恥ずかしかったが、仕方なくお通しした


お話しは、恐らくとある宗教の勧誘であると推測していた

暫く前にも、お誘いを受けたが、その時は丁寧にお断り申し上げた

ご近所の方からも熱心に勧誘を受けたことが幾度となくあり、凄まじく拡大して行く事実に驚いていた


勧誘を察知して、先制パンチとばかり、宗教に対する持論を述べた

私は、実質無宗教である

先祖の供養にはお世話になっているお寺があるが、それも葬式や年忌法要の時位の付き合いである

私に取ってはある一定の距離をおいた付き合いと言って良い


禅宗の場合、解脱する為には禅の修行を行わねばならないので、一般のものは解脱し彼岸に行くことが出来ない

しかし、布施を僧に行う事で僧と同じ修行を行う事ができるとしたので、布施を持って解脱できると説いた

布施とは役務や上納するお金や食物などの事を指すのだが、どの宗教もこれらの布施によって維持されている

問題になった宗教はこの布施を利用した資金集めであったり、詐欺まがいの商品を高額で購入させたりするし、盲信(洗脳)する事で家財一切を捧げさせる事態になることもある

勧誘されたものがそれらと同じとは言わないが、距離感を狂わせた結果と言えるのでは無いかと考えている


話は12時過ぎまで及び、様々な事について話し合った

実は、宗教の多くの教義は共通している

日本人が本来持っている先祖、年長者を尊ぶ心、家族や周りの者に対する慈しみ、自己を正し清く生活する事の大切さなどについては、あらゆる宗教に共通すると考えている

それが、裾へ広げて行くと違うものになってしまう事に気が付いてる

個人的には、心の拠り所になるものだと考えているのだが、現在の葬式仏教ではそんな気にさえならない


友人と先生は私の話に納得頂いた様だった

彼らは、彼らの宗教の教えに近い考え方を私が持っており、日々生活している事を理解し、私には未だ宗教の教えが必要になっていないのだと理解してくれた

親しい友人知人も、強引な勧誘によっておかしな関係になることもしばしばあるようだが、彼らとはこれまでと変わらぬお付き合いが出来そうである


自分が正しいと思っていても、他人からすれば正しい事では無いことは当然である

この価値観の違いが、世界中で起こっている宗教を基軸に争う原因であると思う

共通するところだけを見付けて仲良くすれば問題は無いのである
コメント
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