カンチャン狂騒曲

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両シチリア連隊に迷い込む

2016-03-11 09:47:50 | 本と雑誌
 題名に引かれて読んでしまった一冊、「両シチリア連隊」。

 
 「両シチリア連隊」アレクサンダー・ホレーニア(著)垂野創一郎(訳)2014.9東京創元社(刊)

 外国の読み物の特徴は、登場人物の名前のややこしさと異常なまでのその繰り返しにある。

 例えば日本のものならば、少数の登場人物なら男女の言葉の使い分けや立場の違いによる言葉遣いなどで、一度その場面で使った名前などは一々説明しなくとも読者は分かる。

 ところが外国の読み物となると、たった二人の会話で登場人物も十分過ぎるほど分かっているのに「〇〇は言った」すると「そうでもないわ、と△△は答えた」といったあんばいに、会話のたびに出てくる。

 日頃見慣れている英語圏ならわりと素直に名前が記憶に残るのだが、これが英語圏以外のヨーロッパとなるとややこしい。

 特にドイツ語・フランス語・ロシヤ語などが入り乱れる地域ではややこしさも最高潮に達する。

 コンスタンティン・イリイチ・プフェンドルフや、ジルヴァーシュトルペなどという名前が次々に出てくると、名前だけで行数と相当部分の字数を使っていることになる。

 まあ、今日のところはこれくらいで勘弁してやることにしよう。

 「両シチリア連隊」という題名におやっと思ったのは、そもそも私に「両シチリア」の基礎知識が無かったからである。

 イタリア半島の先端の狭い海峡を隔てた隣り合う「シチリア王国」と「ナポリ王国」を総称した呼び名で、1816年フェルナンド1世の元で「両シチリア王国」という一つの国になった。

 かつての君主国、地中海世界、今は無き「神聖ローマ帝国」への追慕など、ヨーロッパ人が何処かに持つアイデンティティの一端の仄かな香を嗅ぎ取れということか。

 日本人にはややこしい七面倒くさい話だが、題名の根底に流れるものは説明なしで彼らには理解出来るのだろう。

 しかし、物語の中心はこの連隊が役目を終え解散し消滅したあと生き残った7将兵が次々と死んでいく事件である。

 ナチスドイツの勃興記に書かれた小説ゆえに、そこにはミステリーではない必然性が求められた時代背景もある。

 登場人物の語りが長く、例話が一人歩きして進行を複雑にする。

 ゴードン警部の謎解きは、ある意味「動機はつくられる」とも言える、二つの意味で。

 一つは「時代に向けて」そしてもう一つは「読者に向けて」

 不思議な気分にさせられた小説だったが、あるフレーズだけが妙に印象に残っている。

 ”結局のところ、神の何を信じるべきだろう。もっともテルトウリアヌスならこうも言えただろう。「キリストが架刑となり死亡し埋葬されたことを、私は信じている。なんとなればそれは不合理なことだから。キリストがそれにもかかわらず復活昇天したことは確実だ。なんとなればそれは不可能なことだから」・・・・”

 この本に「不思議な気分にさせられたで賞」を贈呈したい。

 
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