カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

木の実あれこれ

2017-12-10 09:26:52 | 日常あれこれ
 毎年師走になるとどこからともなく柚子の実が集まってくる。

 今年ももう2個ほどが冷蔵庫の中に鎮座している。

 例年趣味の謡曲を一緒にやっている方が練習出席者の分を小分けにして持って来てくれていた。

 冬至に柚子湯をどうぞというわけだが、さて今年はどうだろう。

 じつは今年は我が家の庭にも姫柚子だか花柚子だかという種類の柚子の木が小さな可愛い実をつけている。

 
 
 小さな木だが10個以上は実をつけて、黄色く色づき始めた。

 今年の冬至は、自家製の柚子湯も夢ではない。

 確かに庭に生り物があるというのは楽しいので、サクランボの小さな苗を植木市で買ってきて植えておいたがどうなるのだろう。

 子供の頃に住んでいた庭には「長十郎」という二十世紀梨の原種という甘い梨の木があった。

 隣の家には柿や無花果・ナツメ・ザクロなど珍しい木があって子供の頃は遠慮無く食べていた。

 先日ウオーキングの途中に実が成っている植え込みを見かけた。

 

 植え込みだから刈り込んであるのだが、上手く生き伸びたのだろうが何という木の実かは知らない。

 知らないのだが先ず始めに思ったことは「食べられるか?」だった。

 思いだしてみれば、子供の頃から数々の木の実を食べてきた。

 お宮のムクノキの実、桑の実、泳ぎに行く川っぷちの榎のような木になっていた木の実、長崎では海岸の岩場に生えていたピンク色の実、椋の実以外は名前も知らず食べられることさえ知らなかったのだが、その土地の友人や子供達が教えてくれて一緒に食べていた。

 共通しているのは素朴な味というところと、あまり食べ過ぎるなというところだ。

 子供でもちゃんと限度を知っていて誰も腹をこわすということもなかった。

 おそらく食べられはしないであろう「生け垣の木の実」をみて、食べられるかと思ってしまう自分が可笑しくなった。

 子供の頃知りもしない木の実を食べた情景がダブってしまった。

 庭のサクランボには、子供達に伝えたい思いも込められているのだ。

 「次世代に核のゴミより里の山」

 
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コメント (2)
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