カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

夢一夜

2017-12-17 10:03:27 | 日常あれこれ
 去年の12月12日、地震で崩落した墓から一次自宅に持ち帰った先祖の遺骨を、再び完成した墓に納めたことを書いている。

 その際、骨になっている祖父母の夢を見た話を書いているが、一年後の先日(まったく同じ日)に祖父が出てくる夢を見た。 

新しい墓に骨を収めた
 熊本地震で全壊してしまったお墓の建て替えがやっと完了して昨日は法要を執り行った。 我が家の仏壇に一時避難の憂き目にあっていた先祖の骨も、やっと定位置に落ち着くことが出来るとい......

 記憶にある祖父は、殆どの期間病の床の生活だったのだが、夢に出てくる祖父も祖母も随分若くて、見たこともないくらい元気であるところが夢の共通点である。

 盆・暮れそれに春・秋の彼岸、そして先祖祭の4月と最低でも年に5回は墓参りをしているのだが、その程度では私の潜在意識の中では不足だというのだろう。

 それとも本当に祖父は何かを伝えたくて夢に出てくるのだろうか。

 亡くなった人は夢に出ても喋ったりはしないと聞くが、私の夢の祖父はよく喋る。

 墓の前で祈ってもそこには私は居ない、私は「千の風」にのって漂っているから・・・。とは言わないが。

 
 祖母や母の夢は何年に一度くらいの頻度で見ることもあるが、祖父に比べると極端に少ないし殆ど喋らない。

 どうかすると夢の中でも母や祖母は私から文句を言われてしょげている。

 目が覚めて気の毒になったりして、なんとも妙な心持ちだ。

 どうやら、先祖の皆さんは迎えの車がいつ来ても対応出来るよう、心の準備だけはしておけよと注意喚起に来ているのではあるまいか。

 「はいわかりました」、という気持ちより「もう少し待って下さい」という気持ちの方が少し強いのだが・・・。

 「逆算をして人生の砂時計」

 
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