カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

災害は一瞬・復興は長期間

2019-10-17 20:48:17 | 熊本地震
 復旧工事がつづいて、しばらく上ることも出来なかった「木山城址公園」に行ってみたら入れるようになっていた。

 
 (建て替えられたトイレ)

 地震直後は建物全体が斜めに傾いて、壊れていた駐車場脇のトイレも、陥没していた地面を戻して新しく建て替えらえていた。

 ただ駐車場も車は1台もなく、人の姿はまったく無かった。

 城跡の西側下を走る国道443号をはさんで、工事中の文化会館が見える。

 
 (文化会館)

 文化会館の周りは擁壁が崩れ、応急の補強がなされているが復旧までは至っていない。

 会館本体と付属する事務所は、地盤の沈下などで少し傾き本体との間に隙間が出来ていたが、これらの修復もなされていることだろう。

 2年ほど閉館して、復旧工事をするという話だったが最近の話ではもっと閉館期間は延びそうだという。

 毎年ここで行われていた文化祭も、去年も今年も健康福祉センターで行われる。

 今年まで、臨時の会場で行い来年からは元の会館に戻って開催できると思っていたのだが・・・・。

 文化祭の会場準備や撤収は、結構きつい作業なのだ。

 施設や装置などが常設された施設がいかに便利かということが、なくなってみるとよく分かる。

 
 (本丸跡の水飲み場)

 中央付近にやや窪みがある石造りの水飲み場は、溜まったままの僅かな水を飲みに、小鳥がよく飛んできていた。

 誰も使わないので、水も溜まってはおらず鳥もいなかった。

 上部の平らな部分には「夏草やつわものどもが夢のあと」という句が彫ってあった。

 城跡だし、つわものどもが何らかの夢を託してここに集っていたことは間違いない。

 代々城主は変わり、阿蘇氏にあるいは清正に、はては島津氏にと、この小さな城はほんろうされ続けている。

 この本丸の周りの擁壁や、中央部分に建っていた記念碑のようなものは土台から崩れていて、まだ修復されていない。

 ひび割れた地面に地震直後にかけられた青いシートは、当時のまま今も広がっている。

 こうした風景を見ると、「兵どもが夢の跡」という言葉は、そっくりそのまま「人間どもが・・・」に読み替えられるような気がした。

 昨今の自然災害の激しさは、初めて経験するようなという言葉が必ず付くのが常である。

 水害も、風も、地震も、火山活動も・・・人智を超えた場所であったり・規模であったりする。

 
 (4車線化工事中)

 地震によって倒壊した家屋が道路を塞ぎ、救助活動や復旧活動に支障が出た。

 火災が発生しなかったのは幸いで、もし発生していれば幹線道路でも消防車も通れない状況だった。

 町の中央を東西に走る幹線道路の4車線化や、交差する県道・町道などの拡幅工事が計画されている。

 4車線化については、片側づつ数か所で工事が始められている。

 舗装などはまだなされていないが、拡幅される実態把握の意味を込めてか数か所に、このような表示板も設置されている。

 先日の新聞では、布田川断層や日奈久断層などが図示され、再び大地震が起こる可能性についての記事が掲載されていた。

 明日、18日付け科学面で詳報する旨の案内がなされていたので、明日の熊日新聞の科学面はよく見ておく必要がある。

 先日の日奈久断層帯のひずみの蓄積に関する記事も重大な内容だったが、明日の記事も含めて要チェックだと思う。

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