カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

猫はドラマの主人公

2018-08-20 16:37:02 | 日常あれこれ
 隣家の猫の物語は意外に早く続編が展開することになった。

 二階の窓が少し開いていて猫の顔らしきものが見えた。

 一昨日の場合は一階の窓だったので脱出が可能だったが、さすがに今日は二階なので様子を覗っている。

 
 

 何度か様子を見に窓から首を出したものの、あまりの高さに少しびびっている。

 以前は一階と二階の境の部分には中間に屋根が有ったのだが、今度の家はストレートに地上までなので高く見える。

 

 なかなか諦めきれないらしく、何度も覗いていた。

 やがて部屋の中に姿を隠した。

 ところが、やがて昨日脱出した窓の直ぐ上の共用部分と思える場所の小窓に猫が移動してきた。

 窓のさんに乗っかると如何にも自然に手を伸ばして網戸を開けた。

 

 やっと猫が網戸を開ける現場を目撃することに成功した。

 猫は網戸の網の部分に爪の先を引っかけて少し動かすと、少し出来た戸の隙間に手を入れてサッと開けてしまった。

 自分が出入り出来る程に開けると、それ以上には開けようとはしない。

 ただ前回の飛び降りた直ぐ上の階なので、見える風景が同じということもあって、飛び降りる態勢を何度も何度も執拗に繰り返した。

 ほとんど、お尻と後ろ足が残っているだけで身体の半分以上は壁沿いに乗り出すという動作を繰り返してはやめる。

 屋根の上に昇ることも考えて立ち上がったりもしたが、とうとう諦めた。

 さすがに猫でも、二階からの直接ダイビングは危険と判断したのだろう。

 その後、全ての窓は閉められていたから、猫の脱出未遂事件は発覚するところとなり、ガラス戸まで閉められたようだ。

 今後は人間のうっかりミスを見逃さない、猫の執念がどこまで通用するかということになる。

 両者の奮闘を期待したい。

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情報弱者候補生

2018-08-19 10:44:37 | 日常あれこれ
 去年のブログに、耳が聞こえ辛くなったとか大袈裟に情報弱者になりつつあるなどと嘆いている。

 情報は五感を通して入手するが、耳からの情報は割合的には目には遠く及ばない。

 やはり百聞は一見にしかず、なのだ。

 いずれにしても、情報の収集には目と耳が90%あるいはそれ以上の重要性をもっていると思う。
情報弱者になりつつある
 この頃耳の聞こえが悪くなった。 大勢の会話の中で特定の相手の会話を聞き分けるのが難しくなった。 以前はガヤガヤの中でも何とか対応できていたのだが、最近は近くに寄って再度聞......


 文字が見えなきゃなんぼ説明書をみても判らないわけで、眼鏡は年寄りの必需品。

 ついでに、眼鏡で文字が見えてもそもそも何を説明しているのか判らないでは話にならない。

 

 最近やたらとスマホを勧めるパンフレットがやってくる。

 それも私の心を見透かすような、年寄り向けのスマホだという。

 確かに時代はスマホ決済などと言いだし兼ねない空気も漂っている。

 相方などやっと1年前にガラケーを手に入れて、「携帯のかけ放題っていいね」などと喜んでいるのに・・・。

 とにかく何が良いのか、どんなプランがあるのか、料金はどうなるのか、直接店頭で聞くことになって予約した。

 貰ったパンフレットでは夫婦だと更にお得などと言っているが、そのお得さ加減は相方の鋭すぎる金銭感覚を揺さぶるほどの説得力を持っているものなのか、私一人では状況に流されやすいので相方と二人三脚で説明を受けることにした。

 ま、相方も息子が設置していった相方専用の簡単なPC端末で検索やメールなどをやり始めたので抵抗感は少なくなったようだ。

 いずれにしても年老いて来ると、情報の弱者になることは避けられないが、遅ればせながらでも新しいツールに馴染んでいくのも必要な気もする。

 ツールを利用する事と、中に溢れる情報の真贋を判断することとはまた別の問題。

 などと、相方に説明しつつ自分を納得させつつ・・・。

 「情報の海に手漕ぎの舟を出す」

 
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窓と猫の物語

2018-08-18 15:05:17 | 日常あれこれ
 たまたま窓の外を覗いたら、隣との境界ブロックの上でこちらを伺っている猫がいた。

 用心深いが野良猫ではないようだ。

 おどおどしながらこちらを窺っている。

 

 相方が言うには、隣の窓が少し開いていて、そこから猫が出てきて飛び降りるのを見たという。

 立ち去ったかと思うと暫くするとまた戻って来て、こちらを覗くという動作を繰り返している。

 

 我が家に遊びに来ていた子供達も気づいて、皆が窓辺に寄ってわいわい騒いでいたら猫がやって来た。

 随分馴れ馴れしくなって、手を窓ガラスに伸ばしたりする。

 

 首輪をしているし、隣の窓から出てきたのなら隣の猫だろう。

 隣りは、我が家のシロが亡くなった前後から猫を飼っていて、完全室内飼いである。

 我が家のシロと同じく真っ白な猫で、多分子供達がしろ猫を欲しがったのだろう、などと話していたものだった。

 地震で全壊しまう前の年に、隣家の屋根の上で産まれた野良猫の子供が屋根から地上に降りるのに親も四苦八苦していた。

 隣家は屋根の上での猫の物語は知らないが、降ろすために我が家の庭から隣の屋根の直ぐ下に脚立を立てて降りやすくしたりしたものだが、なかなか上手くいかず諦めていた頃になって、気づかぬうちに親子共々降りてしまっていたのだ。

 そのうち、どうやら子猫を隣の家の玄関に置いたまま、母猫は居なくなってしまったらしい。

 「朝起きたら玄関脇に子猫が2匹いたのでとうとう飼うことになってしまいました」と隣の奥さん。

 昔話はさておき、猫はそのうち居なくなってやや開き目だった窓も隙間が狭くなった。

 

 たぶん家に入れて貰ったのだろう、などと皆が思っていた。

 ところが夕方になって、窓から猫が降りたような気がすると相方などが言い始めた。

 

 見れば窓の隙間がさっきより少し広くなっている。

 よくよく庭を見渡せば、金柑の木の根元にこちらを覗く猫を発見。



 なんと又出てきていて、今度は悠々と我が家を一周するコースを歩き始めた。

 所々に首筋を擦りつけて、どうやら自分の守備範囲を主張したいらしい。

 窓には網戸がある筈で、普通なら風通しを良くするため少し開けておいたにしても、猫が通ることは出来ないはず。

 網戸まで開けてあったのだろうか。

 そう言えば隣家では、二階などは網戸も開けっ放しでカーテンが窓の外にヒラヒラしていることもあるから網戸も開けるのかも知れない。

 もしちょっとの隙間を、猫が自分で広げて外出しているのであれば、今後はその外出頻度は高まるかも知れない。

 お隣の猫と窓の不思議な物語は、ひょっとすると続編が期待出来るかもしれない。

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百合の花

2018-08-17 13:22:58 | 日常あれこれ
 新聞を取りに庭に出ると、ちょっと最近では珍しい清々しい空気。

 清々しいといっても、ムッとする蒸しかえるような朝ではなかった程度なのだが・・・。

 空は中途半端な雲が広がっているのに、肌に当たる太陽光線の強さは真夏のそれ。

 

 庭には、今年の春菜園から移植した百合の蕾が開いているのが見えた。

 立てば芍薬・座れば牡丹・歩く姿は百合の花ともいわれるが、どうも歩く姿はイメージしにくい咲きようである。

 

 もっと俯かずにスッキリと咲いて欲しいものだ。

 私の年代だと、百合と言葉でいわれると「吉永小百合」が頭に浮かんでくる。

 ただ、百合の花を見てもさほどの灌漑も湧いてこない。

 頂き物の花束などでは、百合の花心の部分は取り除いてあって、無闇に服などを汚さないようにしてある。

 ユリは見かけによらず厄介な花なのだ。

 

 久々に北側の窓から風が入ってきて、幾分涼しい。

 夏は北風、冬は南風がよろしい。

 月遅れのお盆を過ぎて、いきなりクマゼミの鳴き声が少なくなった。

 そして、この夏なりを潜めていた「蚊」が少しではあるが顔を出すようになってきた。

 真夏日と熱帯夜は当分続きそうな感じではあるが・・。

 
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雲(蜘蛛)をつかむような話

2018-08-16 10:09:51 | 日常あれこれ
 毎年、今年の夏はどうのこうのと例年より厳しい話になるが、確かに今年は別格だろう。

 まず気温が違う、豪雨が半端な量じゃない、台風のコースが前代未聞で長く逗留する。

 ざっと思いつくだけでも気分が優れなくなる。

 
 (入道雲)

 先日久しぶりに入道雲を見た。

 これだけの暑さなら上昇気流で必ず入道雲が発生し、雷が鳴ったり夕立が来たりしたものだが、今年は少ない。

 この日の入道雲もここまでで、大きくなれずそのまま平らになり消えてしまった。

 空の雲が駄目ならと、庭では蜘蛛が頑張っている。

 
 (庭の蜘蛛)

 どこに居るのか頭を捻るような写真だが、中央付近に偽装しながら映っている。

 以前は噴霧の水まきくらいではビクともせずに巣の中央に陣取っていたが、先日は水に反応してサッと枝の方に移動した。

 よく見たら、小さな子供の蜘蛛がいたので、きっと子供を庇うためにとった行動だと思う。

 蜘蛛の母性愛なるものにちょっと驚いた。

 家の中にも蜘蛛はいる。

 
 (家の中の蜘蛛)

 巣をかけない蜘蛛で、非常に小さくて面白い。

 増えすぎても困るので、見つけると両手で包んで外に放り出すか、追い立てて自分から窓の外に跳び出させる。

 普通は歩くが、追うと10センチくらいジャンプするので、ぴょんぴょんを繰り返させて窓の方へ誘導する。

 結構誘導されて自分から跳び出して行く愛嬌者なのである。

 先日、室内の変な蜘蛛ということで、とあるご婦人にこの話をしたところ、「私の家の蜘蛛は凄いです」と我が家の蜘蛛の話より格段に面白い話をされた。

 何でも、寝ている布団の上を蜘蛛が歩いていたので追い払おうとしたが、普段はさっさと逃げる蜘蛛が布団の端で動かないので追い立てたら、暫くして小さな蜘蛛が追いかけてきて動かない蜘蛛の背に乗ると、途端にサッサと逃げ出したという話である。

 「蜘蛛にも親子の愛情があるんですねえ」と話す方も、聞く方も呆れながらの蜘蛛談議になってしまった。

 家の外には巣を張る蜘蛛、家の中には巣を張らない蜘蛛と棲み分けているようだから、いまのところ蜘蛛とはトラブルは無い。

 空の「雲」といい、「蜘蛛」の親子の話といい、いわゆる雲をつかむような話で、なかなか落ちない話は本日これまで。

 「送り火に火傷しそうなカンナ燃え」

 
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戦争調査会の話から結婚記念日まで

2018-08-15 14:38:54 | 日常あれこれ
 戦後73年となる、終戦記念日を迎えた。

 毎年、戦没者の追悼式が開催され天皇陛下もお言葉を述べられた。

 「深い反省」という言葉で、先の戦争に対する自分の思いを表現されている。

 次の天皇へもこの考え方は継承されていることだろう。

 明治維新から73年で太平洋戦争となり4年後の終戦から73年が経過して平成も終わろうとしている。

 不思議な数字の因縁を感じさせられてしまう。

 そうした折りに、これまた不思議なタイミングで一冊の本に巡り会った。

 
 「戦争調査会」(幻の政府文書を読み解く)井上寿一(著)2017.11講談社現代新書(刊)

 1945年(昭和20年)11月、幣原喜重郎内閣は「敗戦の原因及び実相調査の件」を閣議決定し、これに基づいてふたたひ戦争の過誤を犯さないようにと、政治・外交・軍事・経済・思想・文化など多角的な視点から、敗戦の原因と実相を明らかにするための政府機関として「戦争調査会」というプロジェクトを立ち上げた。

 40回以上におよぶ会議、当事者への意見聴取、資料の収集等により「文明の裁き」や「勝者の裁き」とは異なる、日本人の手による「戦争原因探求」だった。

 しかし同時に進行していた「極東軍事裁判」や占領各国の思惑などが交錯し、最終的にはGHQの命令によりプロジェクトは中止され、事後を引き継ぐ民間機関の設置も認められなかった。

 「歴史認識」や「戦争責任」など、今も尾を引く負の遺産となってしまっている。

 これらの資料は、今頃発見されたわけではなくてちゃんと公文書として保管されている。

 資料に目を向けようと思えば誰だって利用できるわけで、誤った歴史であってもちゃんと資料はそのまま保管されることが極めて重要であることがわかる。

 モリ・カケだの忖度だの文書改竄だのは、歴史に対するというか後世の人々に対する冒涜以外のなにものでもない。

 とまあ、かなり盛り上がったが、今一つ8月15日は記念すべき日でもある。

 なんと、我が夫婦の結婚記念日なのである。

 結婚式は12月15日だったが、入籍は4ヶ月ほど前に絶対に忘れようとしても忘れられない日にしようと、8月15日にした。

 かくて終戦記念日は、我が家では開戦記念日となったのである。

 こっちの記念日はもう49回目を迎えてしまった。

 
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江津湖の夏日

2018-08-14 22:37:02 | おでかけ
 川柳同人誌の編集会議ということで、朝から出かけた。

 10時からなのだが、混み具合とか暑さの問題もあるので江津湖畔を汗をかかない程度にゆっくり歩くため少し早めに家を出た。

 
 (朝方の江津湖)

 風があって、蒸し暑さは幾分和らげられていた。

 湖面の近くなのでたぶん気温そのものも街中とは違うのだろう。

 
 (湧水の小川で・・・)

 湧き出した水を、人工の小川を作って江津湖に流しているところが何カ所かあるが、もう親子連れが沢山訪れていた。

 小さな子供でも溺れない程度の小さな砂利を敷いた浅瀬も多いので、もう子供達は服までびしょ濡れになってはしゃいでいた。

 いつもの木杭の上には予定通り亀が整列して甲羅干しをしていたし、1m近くはあるような大きな鯉が悠然と泳いでいた。

 編集室はエアコンのフィルターを掃除した直後とかで、やたらと効きが良くなったらしく暫く居たら寒くなった。

 作業が終わって、暑いから駐車場まで車で送ろうという話を断って、もと来た湖畔の遊歩道を歩いた。

 どんな珍風景に出会うかも知れないので、いつもそれが楽しみで歩いているのだ。

 
 (夕方の江津湖)

 帰り道では何にも出会えなかったが、夕方でもまだ十分暑すぎる太陽光が湖面にギラギラ反射していた。

 反射する湖面を撮すつもりが太陽まで映ってしまい、結果的に周りが暗くなって夕方のそれらしい写真になってしまった。

 つまり今日の出会いは、夕日ということにしておこう。

 「氷水夏の光も飲み下す」

 
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新三種の神器

2018-08-13 19:59:40 | おでかけ
 一年前の今日、電子辞書を買った話をブログにUPしている。

 あれから一年して、電子辞書の機能を使いこなしているとは言い難いが、手放せない状態にはなりつつある。

 今日は噴煙吟社の8月句会が、市民会館で催された。

 作句から選者、編集から校正とあらゆる場面で電子辞書に頼ることになる。

 今日は句会の「当番」だったが、この場合も必要な場面があることが判った。

 一年前に購入して置いて良かったと、実感する昨今である。
電子辞書
 川柳の同人誌の校正を2回ほど手伝った。 誤字や読めない字、意味不明の字などもあろうかと国語辞典と漢和辞典の分厚く重い奴を鞄に押し込んだ。 例外なく皆さん「すごい!」と言い......

 「当番」という任務の細部というか、流れがよく把握出来ていなかったので最初は戸惑った。

 各選者の披講が終わって、秀作の中から互選によって優劣をつける作業や、各句について意見の集約等句会における司会進行が主たる任務であることが、半分くらい進んだ頃にやっと判ってきた。

 その際、自分の視点で読んでいるか、句の座りはいいか、使われている漢字はその句に相応しいものか、などなど電子辞書のお世話になりそうな場面も多々あった。

 選者をやってみると、読解力や想像力を試されるが、当番をやってみると例示・例話まで含めた国語力が試される。

 ある意味、句会の成否を握っているといっても過言では無いと思った。

 句会の会場は熊本城の直ぐ隣りなので、一応復興の一口城主として現況を覗いて帰った。

 
 (清正像と天守閣)
 
 (お堀)

 とにかく暑い一日だった。

 観光客もほかほかの揚げ物を横目で見ながら、冷たい飲み物やソフトクリーム・かき氷に列を作っていた。

 今日は38度を超えたそうで、大分の日田では39度越えという話もあり、41.1度の日本一の座も安閑としてはいられまい。

 そう言えば、明日は編集会議があることを思いだした。

 新三種の神器とも云うべき「電子辞書」「2Bのエンピツ」「老眼鏡」を駆使して、頭の中が38度超えにならないよう用心することにしよう。

 「軽口がやっと馴染んで仲間入り」

 
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暑つ~い、草刈り物語

2018-08-12 10:07:29 | おでかけ
 田舎の相方の実家に人が住まなくなって数年が経過する。

 相方の甥っ子が相続しているのだが、町で暮らしているし仕事もあって管理がままならない。

 仕方がないので我が夫婦で時々、思い出せば家の周りの除草程度は手伝っていた。

 ところが、先般お墓の掃除で一緒になった近所の人から、実家の建物から少し離れた場所の菜園に雑草が繁茂し、その草に虫がついて、付近にある隣り近所の菜園まで進出して、害を及ぼすので何とかして欲しい、と、苦情とも要望ともつかぬ話があった。

 その時は、同じ田舎に住む親類の者が対応してくれたのだが、先般通りかかったら境界の部分だけ草刈りをしてあるので、又もや親類がやってくれたのかとお礼の電話をしたら、草刈りをした覚えはないという返事。

 これはいかん!、完全に近所の人がやってくれたに違いないと、慌てて相方と二人で鎌や蚊取り線香・防虫スプレー・ア暑さ対策などを準備して草刈りへ出発。

 

 菜園は、以前は野菜などを作っていたが、今はミカン・柚子・柿などがあるだけ。

 それに隣の竹山から、竹が侵入してきて菜園のほぼ半分くらいは竹山の状態になっている。

 除草剤も考えたが、土手の部分の草まで枯らしてしまうと、大雨などで土が流されるのでむしろ土手の保護のためには草があった方が良いという話だったので、当分草刈りで凌ぐことになった。

 

 山羊などがとても好んで食べる種類の草なのだが、これにもの凄い数の虫がついている。

 草を揺すると、虫も自身の身体を激しくゆすって威嚇するというか警告というか、独特の動きをする。

 虫が好む対象の草を除草し終えたら汗ぴっしょり、面積からしてもう二度と鎌などでの除草はするものかという気分。

 帰りにホームセンタに寄って、刈り払い機を購入した。

 エンジン付だと燃料の購入・保管場所、それに現場までの乗用車に積んでの移動など問題が多すぎるので電動式にした。

 

 二つ折りになって箱に収まっているくらいだから、乗用車でも簡単に運べる。

 エンジン式のものに比べて、多分刈り払い能力や作業の継続時間などに問題はあるだろう。

 

 モーターが回転歯の直ぐ傍にあり、バッテリーは普通のエンジンがある部分に付けるようになっている。

 ちょうど中央付近が接合部分で、電極が着脱出来る仕組みになっている。

 組み立てて試しに回転はさせてみたが、実際の草の刈り払いはやっていないので、結果は次の除草の時期までおあづけ。

 なるべく雑草の若い時期に、サクサクと切れる状態のときに早めに取り掛かるのが多分いいはずだ。

 と、ここまでは捕らぬタヌキの話で、先送り・面倒くさがり・いい加減がモットーの我が家とすれば、かなりハードルは高いのだ。

 ここで、「草刈りをする日は、甥っ子に草刈りの招集をかけよう」と相方が言い出した。

 なるほど、当事者意識の涵養を図ることが我々のつとめであることを忘れていた。

 
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阿蘇・高森・月回り公園からの眺め

2018-08-11 09:53:59 | おでかけ
 瀬の本高原からの帰りは普通ミルクロードを経由して大津に降りるか、南阿蘇村を経由して益城に向かう。

 今回久しぶりに外輪山の東側を経由して高森に向かうコースを帰ることにした。

 根子岳の東を回って高森に近づくと、かなり以前に一度訪れたことがある小さな神社の横を通った。

 あの頃はパワースポットのはしりの頃で、神社の裏に大きな自然洞窟があって向こうの景色が見える不思議な場所だった。

 ところが昨今、SNSで口コミで広がったらしく付近には沢山の車が停まっていた。

 何でも最近は外国から訪ねてくる人も多いらしい。

 しばらく走ると毎年6月の梅雨の時期に「はなしのぶコンサート」が催されていた野草園がある。

 何年か中断していたが、今年からどうやら復活したらしい。

 
 (月回り公園から高岳・根子岳を望む)

 林の中の道路から急に視界が開けたと思った瞬間に眼前に展開するのがこの景色。

 阿蘇は、大観望を含む外輪山からの眺めもいいが、ここの眺めは天下一品のお勧め所。

 
 (根子岳)
 
 (高岳)

 スカッとした気分という表現があるが、まさしくここからの眺めはそんな気分にしてくれることうけあい。

 
 (山羊の群れ?)

 温和しい動物たちも放牧されていて、なんとなく心が和む。

 子供達が小さい頃はよく遊びに来たものだが、最近は足が遠のいていた。

 阿蘇大橋が地震で崩落し、観光で訪れる人達も少なくなって駐車場もがら空きの状態だった。

 遊具などはなにもない芝生の広場が広がっているだけなのに、若い家族連れはとても楽しそうである。

 実はここから少し高森の町に近づくと、もう一つパワースポットがあって、もの凄い枝が横に張りだした大杉が何本もある一角がある。

 牧場の中にあるので、入口の柵を開けて入った後は、チェーンでちゃんと門をしめてから奥へ進む。

 牛が寝て草を食んでいる横を通るときは、ちょっとおっかなびっくりというわけで、小さな子供のいる家族向けではないかも。

 この他にも北外輪山の「押土石」とか阿蘇はパワースポットだらけである。

 
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