白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今年六十のお爺さん?

2022-03-16 17:33:48 | 日記

3月9日(水)晴れ。

頑張ってブログを4日分更新しました。よろしかったら今日から4日間遡って開けてみて下さい。

わが日本は長寿社会となった。私の子供の頃は、60歳と言えば間違いなく「爺さん」だった。本当に60歳を過ぎたばかリだと言うのに腰の曲がった爺さん、婆さんが近所にいた。そのころの60代と言えば、皆さん明治生まれの人。関東大震災、大東亜戦争の敗戦を経験した世代。当然ながら食糧状態も衛生環境も、医療事情も今よりずーっと劣っていた。長寿、健康と栄養状態とは正比例するとは、識者の指摘するところ。今の60代よりも老けていても、その人たちのせいではない。

戦前の童謡に「船頭さん」と言うものがある。日本が真珠湾を奇襲し、米英に宣戦布告をした昭和16(1941)年に発表された歌だ。その歌の一番の歌詞は、「村の渡しの船頭さんは、今年六十のお爺さん」。と言うもの。今は、60歳の人に「お爺さん」と声を掛けたら嫌な顔をされるどころか、怒られるかもしれない。

では、現代では、幾つから「お爺さん」と呼んでも差し支えないのだろうか。もちろんお孫さんのいる「ジイジ」ではなく、単に年齢的にだ。ちょっと資料が古くて恐縮だが平成20年、日本人の平均寿命は男が80歳、女性が86歳とのことであるから、80歳を過ぎたら「お爺さん」と呼んでもさほど抵抗ないかもしれない。

これはご本人から聞いた話だが、先輩の犬塚博英さんが古希を過ぎたばかりの頃のある日の夜、酔って帰宅しようとしたらマンションの下で足を滑らして転んでしまったそうだ。そこに通りかかったのがジョギング中の親切な青年が、「大丈夫ですかか」と声をかけてくれて、マンションの自室の前まで送ってくれた。インターホンを鳴らし、「はぁーい」という奥方の返事に対してその青年が「お宅のお爺さんが、マンションの下で怪我をされました」。犬塚先輩は、「親切は嬉しいが『お宅のお爺さん』とは何だと」憤慨していた。聞いていた我々一同は大笑い。そういう私も他人ごとではなくなった。


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新しい椅子が来た。

2022-03-16 16:58:33 | 日記

3月8日(火)雨のち曇り。

朝は、炊き立てのご飯にシラスをたっぷり入れた「シラスご飯」、宗八カレイ、豆腐の味噌汁。昼は抜いた、夜は「貰った」のキムチ鍋のスープを使った「豆腐チゲ」、キムチとオイキムチ。

先月の初めころから腰の左側が痛い。車の乗り降りにも難儀するほどだ。原因は、使っている事務用の椅子が壊れて左に傾いている。無理な姿勢がたたったのかもしれない。それでも何とか騙し騙し我慢して使っていたが、家族が見かねてちょうど今月が私の誕生日ということもあって新しい椅子をプレゼントしてくれた。子供たちのアドバイスでゲーム用のものが良いということで、届きました。座りごこちが良くて眠くなって困る。

取り寄せた『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬著・早川書房)が届いたので、新しい椅子での読み始め。そろそろ老眼鏡も買うか。

 


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春眠暁を覚えずと二度寝する。

2022-03-16 16:18:51 | 日記

3月7日(月)晴れ。

有名な孟浩然の『春暁』の一節に「春眠暁を覚えず」がある。春の朝の心地よさを表現する言葉で、「春の夜は心地よいため朝になったことに気づかず、思わず眠り込んでしまう」という意味で使われる。「暁」は夜明けを、「覚えず」は知らず知らずのうちに。私は、それを堪能している。と言っても、朝になったことを気づかないわけには行かない。私以外の家族は皆働いており、従って朝が早い。一応5時45分に目覚ましを掛けて起きる。「暁を覚えず」どころではない。上の子供が一番早く6時に起きてきて7時には出勤。下の子供と愚妻は7時起きてきて8時に家を出る。一応皆さんを玄関で見送ってから、お天道様と汗水流して働いている労働者階級の皆さんに、スマン、スマンのオスマンサンコンと心で詫びて再び布団に入る。ここからが私の場合「春眠暁を覚えず」となる。

今年になってから身についた悪弊であるが、古希を過ぎた老体では、6時前に起きて、そのまま夜まで起きているという自信がない。まあやることもないというのも事実なのだが。十時過ぎに再び起きる。大体11時ころから体のエンジンがかかり、昼過ぎには全開となる。しかしコロナ禍で自粛が続いている、会議も会合も飲み会もほとんどなくなった。自宅と事務所の往復と、夕方になれば、晩酌の肴を求めてウロウロするだけでほとんど外出らしい外出をしなくなった。紅灯の巷、傾国の美女とも随分と会っていない。慣れとは不思議なもので、何とも思わなくなった。一人っ子で育ったせいか一人でいることが全く苦にならない。新聞や週刊誌の書評で読みたい本があればアマゾンで取り寄せ、見たい映画があればネットフリックやアマゾンプライムで見る。音楽を聴きたければYouTube。今も、パソコンにボーズのコンポをつないでサイモン&ガーファンクルを聴いている。たまに、そんなことで良いのか。という天の声が聞こえるが、反省、猛省、疲労回復、飲む前には「ウコンドリンク一本」と三回唱えて、自身に活を入れている。


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プーチンの頭の中は、ミスドかよ。

2022-03-16 15:51:40 | 日記

3月6日(日)晴れ。

テレビをBGMにしてパソコンで仕事をしている。ディスクトップのパソコンは、テレビに背中を向けているのでほとんど画面は見ないので声だけ聴いている。某局のワイドショーの司会者がウクライナでの戦闘について話した。「プーチン大統領はいま何を考えているのでしょうか」と言ったとたんに「ミスタードーナツ」。エッ「プーチンの頭の中はドーナツかよ」と思って振り返ったらCMだった。一人で、ハハハと笑ってしまったが随分と間の悪いCMのつなぎである。そういえば、誰か亡くなった時のニュースで、「心からおくやみ申し上げます」と頭を下げたすぐ後にCMとなりお笑いタレントが出て、流行りのギャグを連発する。まあ彼らに責任はないが、関係者が見たら「なんだこのCMは馬鹿にしているのか」と思うかもしれない。

城山三郎の本のタイトルに『毎日が日曜日』と言うようなものがあった。長い間の浪人生活が身についている私も、城山さんとは違って、きわめて全く知的でない日々を過ごしているので、『毎日が日曜日』と聞くと、「気楽でいいね」と言われそう身がすくむ。何か建設的なことをしなければと思っているのだが、歳と共に「何かやる」と言うことがだんだん億劫になって、自堕落な日々を送っている自分が情けない。引退した張本さんから「喝!」を五回も貰いそうだ。机に片手を置いて「反省」。


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