2月18日(金)晴れ。
あららぼやっとしていたらもう月が替わったというのにまだ2月のブログを書いている。気合いを入れなければ。「暗くなるまで待って」から、おもむろに特大のホッケの干物を肴に一人世を罵り、悲憤慷慨の酒を飲む。傍から見れば気楽なものよ、と笑われそうだ。「黒霧島」で日々酔っているうちに、ロシアがウクライナに侵攻し、核攻撃をちらつかせながら、首都キエフに迫っていてる。容赦なく民間施設などを攻撃しつつ停戦交渉も行っている。先日書いたブログではないが、核を持ったならず者、泣く子と地頭には勝てない。
かつて日露戦争の講和のために米国のシアトルに上陸したのが、当時の外相の小村寿太郎一行である。汽車でニューヨークに向かう途中、山岳地帯の小さな駅に停車した。そこに粗末な服を着た日本人の移民、五人が日の丸を手に立っていた。小村が問いかけると、小村らがここを通ることを耳にし、枝を切って日の丸を作り、夜通し歩き続けて来たという。汽車が動き出すと、彼らは頬に涙を流しながら一行を見送ったという。吉村昭の『ポーツマスの旗』の中の感動的な場面である。
その後、講和条約は締結されるが、交渉で日本が賠償金の放棄など譲歩を余儀なくされたことに対し、「日比谷暴動」が起こったり新聞社などが焼き討ちされた。日露戦争に勝利したとはいえ、もし講和が決裂したならば、日本はこれ以上戦う国力はなかった。ロシアとウクライナの停戦交渉、ウクライナに小村ほどの交渉力を持った政治家、外交官がきっといると信じている。