白雲去来

蜷川正大の日々是口実

霙か・・・。

2022-03-31 17:54:18 | 日記

3月22日(火)雨。

午前中に、長野の社友、伊藤明夫さんの奥さんから連絡があり、伊藤さんの訃報を知る。亡くなられたのは先月の20日で、肺炎とのこと。伊藤さんは、おそらく機関誌の購読者の中でベストスリーに入るくらい古い読者であり、群青忌や社友会の催しにはほとんど参加して頂いた。私と同じ歳と言うこともあり、残念至極である。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、か。合掌。

寒いと思ったら、この時期に霙となった。朝食は、下の子供が買ってきてくれた昨夜の残りの鰹、鶏のササミのカツ、ほーれん草の味噌汁。昼は、コロッケパンとコオヒイ。夜は、スープカレー、豊橋の餃子、マカロニサラダ。お供は「芋」という名の焼酎。酔狂亭にて独酌。

札幌の後輩から送って貰った「芋」。この焼酎を初めて飲んだのは確か亡くなられた菊水国防連合の三田忠充会長の勧めによるもの。懐かしかった。「芋」という名前の通り、ガツンとくる焼酎で、所謂、通好みの焼酎である。伊藤さんの弔い酒となった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海軍神雷部隊出撃の日。

2022-03-31 17:03:36 | 日記

3月21日(月)曇りのち晴れ。春分の日。誕生日。

早朝索敵の結果、都井岬の一四五度三二〇カイリ付近に二群空母を発見す。敵は相当大なる損害を蒙りたるもののごとく上空警戒も少し、加えるに天候快晴視界三〇カイリ、距離やや遠くなる
も神雷隊には問題たらず、十八日以来本特攻兵力の使用の機を窺い続け何とかして本法に生命を与えんとしたり。(中略)今神雷攻撃を行うにはと決意し、待機中の桜花隊に決行を命ず。

見送りのため飛行場に至る。さすがに心配顔なる岡村司令を激励す。神雷部隊は陸攻一八(桜花搭載一六) 一一三五鹿屋基地を進発せり。桜花隊員の白鉢巻滑走中の一機に瞭然と眼に入る。成功しくれと祈る。しかるに五五機も出るはずの掩護戦闘機は整備完からずして三〇機に過ぎず、一方索敵続行の結果は空母三、二、二の三群集結隊形にて南西に航するを報じ最初の考えより勢力なお大なるを知る。南大東島を攻撃制圧したる報もあり。壕内作戦室において敵発見、桜花部隊の電波を耳をそばだてて待つこと久しきも杳(よう)として声なし。今や燃料の心配を来し「敵を見ざれば南大東島へ行け」と令したるもこれまた何ら応答するなし。その内掩護戦闘機の一部帰着し悲痛なる報告を致せり。すなわち一四二〇頃敵艦隊との推定距離五、六〇カイリにおいて敵グラマン約五〇機の遊撃を受け空戦、撃墜数機なりしも我も離散し陸攻は桜花を捨て僅々十数分にして全滅の悲運に会せりと。嗚呼。これにて連戦五日にわたる九州東方対機動部隊戦闘を終結せり。

宇垣纏の『戦藻録』の昭和20年の今日の日記である。すなわち人間爆弾「桜花」を抱いた一式陸上攻撃機や直掩機が敵機機動部隊に特攻攻撃をかけるために編成された海軍神雷部隊が出撃した日である。ちなみに東京都の桜の開花基準木は、その神雷部隊の生き残りの人たちが靖国神社に植えた、通称「神雷桜」である。「後に続くを信ず」と散って行ったあの人たちは、「奴隷の平和と魂無き繁栄」に酔いしれている今の日本を見てどう思うのだろうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする