白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『国民新聞』が休刊かぁー。

2015-03-23 11:54:18 | 日記
三月二十日(金)曇り。地下鉄サリン事件から20年。

午後から事務所へ。『国民新聞』の最新号が届いていた。思えば発行人の山田惠久先輩とは長いお付き合いをさせて頂いている。会合や運動の直会ではいつも一緒になるので、どちらかと言うと運動の場よりも酒席の方が顔を合わせる回数は多かったのかもしれない。

その山田先輩の発行する『国民新聞』の一面に驚くことが書いてあった。最新号は第一九二〇二号と言うのだから凄い。その伝統のある新聞が休刊すると言うのだ。その理由が書かれていた。

「冠省 明治二十三年に徳富蘇峰が「言論報国」の理念を掲げて創刊した小紙『国民新聞』は、この程つひに矢玉尽き、刀折れ、「言論千早城」は落城。三月二十五日付発行をもつて休刊することになりました。リーマン・ショック以前からの超過債務が重しになり、もうこれ以上前に進める状況ではなくなりました。挙句に一月末にわたくしが悪性脳腫瘍に罹患してゐることも判明し、小紙の発行は残念乍ら断念せざるを得ません」。

全く他人事ではない。民族派の機関誌・紙の中で読者の購読料のみで発行をしているものは少ない。いや例え購読料を頂いているとしても、そのほとんどが赤字経営であると思う。もちろん私の発行している『燃えよ祖国』だって同じだ。ではなぜ発行を続けているのかと言われたら、「意地」であるとしか言いようがない。また先に逝った人のことを思ったならば、資金はともかく体が健康である限りは、私のその戦いを放棄するわけには行かない。山田先輩も今回の決定は断腸の思いだったに違いあるまい。

愚痴のようになって申し訳ないが、来月からクロネコ・ヤマトの「メール便」が廃止され、通常郵便で発送しなければならない。そうなると今までの郵送費に加えて三万円以上の出費となる。何とかコストダウンと考えていたら、お世話になっている人から印刷機のリース会社を紹介された。何枚印刷しようが一定の金額で済むと言う。メンテナンスもインク代も料金に入っていると言うので、今までの印刷機よりは多少画質は落ちるが背に腹は代えられない。三月に一度トナーの交換をすると四本で十万円近い。これがクリアーになるだけでも助かる。もちろん今まで以上に努力をしてより多くの人たちに理解と支援をして頂く以外に道はない。何と言っても人に頼まれたわけでもなく、商売でやっている訳でもない。運動の一環として機関誌を発行しているのだから頑張らなくては。山田先輩も私も政治家の仲介をしてキックバックを貰うほどの大物でもないしなぁー。コツコツやるしかないか。

地下鉄サリン事件から二十年か。その時は新橋駅から地下鉄に乗って赤坂のみすじ通りにあった野村事務所・二十一世紀書院へ行く途中だった。出勤が遅かったこともあり、その惨事に巻き込まれることはなかったが、けたたましいサイレン、慌ただしく行き交う人を見て、凄いことが起こったと言う緊張感を感じたのを覚えている。結局、道路が混んでいたこともあって新橋から赤坂まで歩いて行った。オウムの事件もそうだが、イスラム国や今回のチュニジアでの無差別テロ。本来は衆生救済を理念とする宗教が、無差別に何の関わりもない人たちを殺害する。一生やっていろと正直思うが、日本と日本人が無関係でいられないことが、何とも歯がゆい。

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またイスラム過激派の手で日本人が・・・。

2015-03-20 18:32:08 | 日記
三月十九日(木)曇り後雨。

朝のテレビでチュニジアの首都、チェニスの博物館にて見学のツアー客をイスラム過激派が襲撃、日本人を含む観光客二十名が死亡すると言うショッキングなニュースが流れた。まったく何の抵抗も出来ない人たちを宗教の名において無差別に殺害することに、何の大義があると言うのか。観光資源が外貨獲得の大きな国家の収入となっている国で観光客を狙って無差別なテロを行う。彼等の狙いは、こういった無差別テロを繰り返し政情不安を引き起こし、再びイスラム革命を起こそうというものらしいが、現実にイスラム過激派のテロや紛争が中東やアフリカに広がっている。これからは日本人も対岸の火事と知らぬ顔を決め込むことはできなくなるのに違いあるまい。

我々の世代は、チェニスと言えばすぐに頭に浮かぶのが「カスバの女」である。「ここはチェニスかモロッコか、泣いて手を振る後ろ影、外人部隊の白い服」。そして映画「ペペルモコ(望郷)」や「カサブランカ」「外人部隊」「モロッコ」といった映画の中に描かれた外人部隊とのラブストーリー。若い人はともかく、六十過ぎの人たちにはチュニジアやモロッコ、アルジェリアを旅するときには、前述の映画のシーンが重なるのではないだろうか。またジャズファンには、トランペット奏者のディジー・ガレスピーが、ピアニストのフランク・パパレリとの共作で作曲した「チュニジアの夜」が聞こえてくるかもしれない。

しかしながら、そういった郷愁や思い入れが、イスラム過激派の無差別テロによって一瞬に消え去り、単に「危ない国」というイメージが定着してしまう。正に彼らの思うつぼである。楽しいはずの旅先で、非情にも彼らの手によって亡くなられた方々が気の毒でならない。と思ってテレビを見ていたら、次に始まったのが、テレビタレントの離婚会見。頭が大丈夫なの。いくら無料のテレビとはいえ、この程度の女の離婚会見を、わざわざテレビで流さなければならないのか。どうでもいいことじゃないのかねェ―。平和だね日本は。思わずテレビを消してラジオのスイッチを入れた。

夜は、東京より友人が来訪。西横浜の「加一」にて一献。スタートが遅かった分、ここ一軒で解散。いい酒だった。

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嘘つきはドロボーのはじまり。

2015-03-19 14:30:30 | 日記
三月十八日(水)晴れ。

朝食は、アコウ鯛の粕漬け、もやしのさつま揚げ、ナスの味噌汁。正しい日本の朝食だ。午後から私が役員の末席を汚している大行社の役員会議があり出席した。挨拶の中で、政府が出すと言う「七十年談話」に対して、大行社としての「七十年談話」を発表したら良いと発言した。

そう言えば、中国が、自国制作の地図に尖閣諸島が日本の領土として書かれていたことに対して、中国の領土であるというものを千枚でも出してやる。とほざいていたのを聞いて、うーん「嘘つきはドロボウの始まり」と言うが、ドロボーにそれを言っても意味がないと思った次第。国連の創設期から参加している。と言ったり、日本との戦争における「戦勝国」など、嘘ばっかり。困ったお隣さんだ。

五時過ぎに友人二人が来訪。寿司や刺身、それと「農林二号」という焼酎まで持参してくれた。子供の合格祝いと言うのが口実であることは、ミエミエだが、そんなことはどうでも良い。人、酒、肴の三拍子がそろえば言うことなし。久しぶりに大破・轟沈の夜でした。

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伊勢ブラ。

2015-03-18 10:09:47 | 日記
三月十七日(火)晴れ。

五月の初旬のような暖かい今日のヨコハマ。午前中に細々とした用事を済ませた後に、四月一日の大学の入学式までのんびりとしている上の子供を連れて昼食と買い物を兼ねて伊勢佐木町に出た。伊勢佐木町も最近は横浜駅周辺やみなとみらいの賑わいに押され気味で一時期の華やかさがない。

伊勢佐木町は、関内駅に面した一丁目からオデオンのビルのある二丁目までが、歩行者天国となっていて人通りも多いが、その先になると下町の商店街とあまり変わらない。青江三奈のヒット曲「伊勢佐木町ブルース」の音楽碑などもあるが、その昔の賑わいを知っている者としては、一抹の寂しさを感じる。当然のようにお店も随分と様変わりした。無くなったお店は「おもちゃ屋」、「靴屋」に「デパート」。それでも老舗も頑張っている。書店の「有隣堂」、煎餅屋の「花見煎餅」、すきやきの「じゃのめ屋」、和菓子の「みのや本店」などは皆、創業が明治である。

子供と昼食は何処にするかと悩んだ挙句、決めたのは馬車道の「勝烈庵」。このお店の創業は昭和二年。棟方志㓛の絵でも有名なお店で、ハマっ子で知らない人がいないくらい有名なお店である。勝烈庵のトンカツ以上に美味しいお店は、私が知っている限りただ一件。大田区久が原の「自然坊」。でも最近は体調を気にして、揚げ物やラーメンなどを食べるのは年に二三度ぐらいか。「ロース定食」(千五百円)を二人前。第三火曜日はサービスデーとかで一割引きだった。食後は、子供の服を買いにGUへ。私は有隣堂で森林浴ならぬ書籍浴。電車の中で読む専用本として、大好きな平松洋子さんの「おとなの味」(文春文庫)を購入。

事務所に寄って手紙などを確認した後にツタヤで五枚千円のDVDをレンタルした後に帰宅。森繁久弥の「社長シリーズ」の「続・社長洋行記」を観たかったのだが、残念ながら無かった。「フューリー」「ゴジラ」「ヘラクレス」「新・仁義なき戦い」「喜劇・初詣列車」と相変わらず脈絡のないものを五枚借りた。これで千円。

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国会で追及することかよ。

2015-03-17 11:18:45 | 日記
三月十六日(月)曇り後雨。

テレビを見れば国会でNHKの会長がNHKのお金でハイヤーを使ったのかどうかと・・・。いい加減にしろよこの野郎。と画面に向かって怒鳴ってしまった。そんなことを国会の場でいうことかよ。もっと大事なことがあるだろうよ民主党の議員さん。小学生のアラ探しじゃないんだよ。全くレベルが低すぎる。国会議員に立候補するときに、知能指数と脳神経と、中学生程度の常識問題の試験をしてから立候補させなさい。日本に保守の二大政党が必要なのは言うまでもないが、クリミアに行った頭のおかしい鳩山や菅のいる民主党が自民党に代わって政権を担うと思っただけで寒気がする。思想はどうであれ、もう少しまともな人物はいないのかね。二日酔いの頭が余計に痛くなった。

一月十七日の「産経抄」に掲載されていたものを思い出した。それは俳人の長谷川櫂さんが、東日本大震災の直後、心情を俳句ではなく和歌に詠んだ。その歌と言うものが、「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭う 日本の不幸」というもの。まったくその通りだ。

こんな日は、出かけずに読書に専念。山平重樹氏が三浦重周さんのことを書いた『決死勤皇・生涯志士』を読みながら混濁の世に清明の光を見出すか。政治家は、野村先生の『さらば群青』と『決死勤皇・生涯志士』を必読の書として、命を賭けた男たちの心情に学びなさい。言っても無駄か。

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