
(つづき)
「キリン」「鶴」「熊」「馬」「猫」「鹿」「鳥」「魚」「犬」「なまず」「亀」「鼠」「牛」「猪」「蟹」「ライオン」「鮟鱇」「千鳥」「猿」「ハブ」「海老」「かわせみ」「アマガエル」「怪獣」「鷺」「チキン」「ひばり」「鵜」「蛭」に引き続き、福岡県遠賀郡遠賀町に居る「虫」。
西鉄グループのバス停の中で「虫」の字が入る名称はここだけである(「虫へん」の字が付くバス停はありますけどね)。
読みは「むしょうづ」だが、西鉄のサイト上では「むしょうず」である。
「虫」…なんの虫だろうか。
「虫も生きている」という意味では、「一寸の虫にも五分の魂」的なものも感じるが、由来については全く知らない(それとも「虫が生まれる」なのかな?)。
でも、「津」ということは、遠賀町には「鬼津」「島津」などもあるので、この付近も以前は海だったということなのかもしれない。
ここには現在「遠賀川駅前~虫生津~鞍手役場~中山口~京の上~コスワエ~直方PA口~植木~直方バスセンター」を結ぶ「68番」のみが停車する。
遠賀川駅から、東(水巻町~北九州市方面)、北(芦屋町方面)、西(岡垣町~宗像市方面)に向かう西鉄バスは既になくなってしまったが、南(鞍手町~直方市方面)に向かうこの「68番」だけがなんとか残っており、「75番」(宗像市~鞍手町~直方市)、「69番」(中間市~鞍手町~直方市)などとともに、自治体の境を超えたバス路線ネットワークの維持に寄与している。
これらの路線を「虫の息」だと言うつもりはないし、決してそうあってほしくはない。
「五分の魂」の踏ん張りを願いたい。
(つづく)
「キリン」「鶴」「熊」「馬」「猫」「鹿」「鳥」「魚」「犬」「なまず」「亀」「鼠」「牛」「猪」「蟹」「ライオン」「鮟鱇」「千鳥」「猿」「ハブ」「海老」「かわせみ」「アマガエル」「怪獣」「鷺」「チキン」「ひばり」「鵜」「蛭」に引き続き、福岡県遠賀郡遠賀町に居る「虫」。
西鉄グループのバス停の中で「虫」の字が入る名称はここだけである(「虫へん」の字が付くバス停はありますけどね)。
読みは「むしょうづ」だが、西鉄のサイト上では「むしょうず」である。
「虫」…なんの虫だろうか。
「虫も生きている」という意味では、「一寸の虫にも五分の魂」的なものも感じるが、由来については全く知らない(それとも「虫が生まれる」なのかな?)。
でも、「津」ということは、遠賀町には「鬼津」「島津」などもあるので、この付近も以前は海だったということなのかもしれない。
ここには現在「遠賀川駅前~虫生津~鞍手役場~中山口~京の上~コスワエ~直方PA口~植木~直方バスセンター」を結ぶ「68番」のみが停車する。
遠賀川駅から、東(水巻町~北九州市方面)、北(芦屋町方面)、西(岡垣町~宗像市方面)に向かう西鉄バスは既になくなってしまったが、南(鞍手町~直方市方面)に向かうこの「68番」だけがなんとか残っており、「75番」(宗像市~鞍手町~直方市)、「69番」(中間市~鞍手町~直方市)などとともに、自治体の境を超えたバス路線ネットワークの維持に寄与している。
これらの路線を「虫の息」だと言うつもりはないし、決してそうあってほしくはない。
「五分の魂」の踏ん張りを願いたい。
(つづく)
75番で思い出したのですが、その昔、宗像に住んでいたとき(今からもう20年前)に、泉ヶ丘には20番という番号で黒崎までいけたのですが、記憶にはありますか??
>75番で思い出したのですが、その昔、宗像に住んでいたとき(今からもう20年前)に、泉ヶ丘には20番という番号で黒崎までいけたのですが、記憶にはありますか??
私がリアルタイムで知っている「20」は、「赤間~折尾~黒崎」を走っていた「20」です。
ここからはリアルタイムでは知らないのですが、この20番は、昔は「西新~天神~香椎~福間~赤間~折尾~黒崎~小倉~門司」を走っていたそうですが、その後、赤間で分割され、福岡側は、市内電車の代替路線の番号として「20」が使われるようになって、「26」となったそうです。
「黒崎まで行けた」20番というのは、北九州側の路線ということなりますが、それが一時期、赤間ではなくて泉ヶ丘まで行っていたのかもしれませんが、私の記憶には残っていません。すみません…。
たぶん種別は「急行」だったのではないでしょうか。その以前には山口行きがあり、それが特急だったはずですから。
祖父の話をはっきり憶えていますが、「途中からはワシひとりじゃもん。運転手が、空気ば運びよるようなもん、って言いよった。」と。
祖父も西鉄全線の株主用定期で乗っていたので、正に空気と同じです。
たしか昭和50年頃のことと思いますが、この時期すでに一般道経由の長距離バスは存在価値を失っていたのでしょう。なにしろとっくに鹿児島本線が電化、複線化されていましたから。
むしろ、50年頃までよく生き延びていたと言えるかもしれません。
でもその後の高速道路開通でほぼ復活しました。
冷房車投入は他路線では在来車に混じって数本ずつでしたから、26は格段の扱いだったのではありますが。
貴重なお話をありがとうございます。
私自身、リアルタイムでの記憶がないので、気の利いた返信ができなくてすみません…。
でも、鉄道や道路との関係の中で、衰退と復活を繰り返しているということがよくわかりました。
次のターニングポイントは、来年の九州新幹線全線開通でしょうか。
また構図が大きく変わるかもしれませんね。