スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&帰納的証明

2008-01-25 19:06:31 | 将棋
 王将戦七番勝負第二局。今日はアクセスした時点で将棋が終っていました。毎日新聞のサイトと僕のPCの相性の悪さはいっかな改善されませんが,更新されない状態で棋譜を追うことはさほど問題がありません。
 羽生善治王将の封じ手は▲1三龍でした。手の広い局面での封じ手でしたが,久保利明八段の読みの本線ではなかったようです。ここから39手目の▲3五馬まで,後手としては避けようのない手順に思えますが,これで先手優勢ということですので,すでに封じ手の時点で先手が優勢であったものと思います。羽生王将も55手目に▲7七桂と跳ねて,優勢を自覚したとの感想です。
 先手はこの後も,手堅く,しかし緩みなく指したという印象で,67手目の▲8八桂もそんな一手。後手は最後は形こそ作ることができましたが,居玉の先手に迫ったという感じでもなく,先手の快勝。羽生王将の2連勝となっています。
      
 △5四歩に関しては,明日,別の形で記事にする予定ですが,この手にしても封じ手前の△9五銀にしても,善悪どうこうをいう前に,捌きを身上とする久保八段の棋風にそぐわない感じの手。第三局以降は,自分らしい将棋での巻き返しに期待したいところ。第三局は来月の6日と7日に指されます。

 第四部定理三二は,これで十分に証明されているといっていいと思います。しかしこの証明は,そもそも事物の本性というのがどのようなものでなければならないのかという観点から,演繹的に証明されていますので,証明の具体性に関してはやや欠けるようなきらいがあるのではないかとも思います。そこでこの定理を,今度は具体的な人間の本性という観点から,帰納的にも証明しておくことにします。
 このために,ここでは第三部定理五一に訴えることにします。この定理により,たとえば人間Aと人間Bがいた場合,ある物体Xにより,このふたりが別々の仕方で刺激される場合があり得るということが理解できます。もちろん,人間がある物体Xによって刺激されるとは,この人間がある働きを受けること,すなわちこの人間にとっての受動です。これはたとえば第二部定理一七により,この刺激による人間の精神によるXの表象に関して,人間は部分的原因にすぎないということから明らかだといえるでしょう。
 したがって,この場合に人間Aと人間Bは,ともにある受動状態にあるといえます。このことは正しいでしょう。しかし,Aの受動状態とBの受動状態が同一であるかといえば,AとBはXによって異なった仕方で刺激され得るわけですから,必ずしも同一であるということはできません。これがちょうど,AもBもCではないということに関しては共通であるけれども,AがCではないということの真の意味と,BがCではないということの真の意味は,必ずしも同一ではないということと同様の関係にあたることになります。よって人間は,受動に従属する限りでは,一般的な意味で同一の本性を有するということはいえないということになるのです。
コメント
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