四日市競輪場で行われた昨晩のベイサイドナイトドリームの決勝。並びは三浦‐阿部の北日本,和田に諸橋,中井に小倉,瓜生‐佐藤の九州で牧は単騎。
瓜生がスタートを取って前受け。3番手に三浦,5番手に中井,7番手に牧,8番手に和田で周回。残り3周のバックを出てから和田が上昇。ホームで瓜生を叩きました。諸橋の後ろに牧も続いて3人がバックの入口では前に。ここから三浦が巻き返していき,瓜生がこのラインに続いて打鐘。三浦が和田を叩くと瓜生が発進。三浦と瓜生で先行争いに。この先行争いがバックまで続き,制したのは三浦。和田はバックで三浦と瓜生の中を割るように発進。そのまま先頭に立つとフィニッシュまで粘って優勝。和田マークの諸橋は和田の動きがトリッキーであったために離れかけましたが,和田にスイッチできる選手がいなかったため何とか追走。最終コーナーで阿部と接触して,阿部,小倉,三浦の3人が落車しましたが,直線は和田に迫って半車身差の2着。落車を避けた牧が5車身差で3着。
優勝した神奈川の和田真久留選手は前回出走の平塚のFⅠから連続優勝。2020年の小田原記念以来となるGⅢ3勝目。こちらもウィナーズカップの選出に漏れた選手による争いでしたから前走のF1で優勝している和田は当初から優勝候補。しかもこちらの開催は有力選手の脱落が多かったため,和田にとっては負けられないといっていいくらいの決勝メンバーになりました。先行争いをした両選手の間を突くという走行には驚かされましたが,優勝自体は順当なものといっていいでしょう。
では人間がネコを同類とみなすことがあるのかといえば,僕はあると答えます。このことは吉田が示している例,すなわち見知らぬ男がネコを虐待しているのを表象するimaginariと悲しみtristitiaを感じるという事態が,ネコに対する感情の模倣imitatio affectuumであり,感情の模倣を生じさせるということは第三部定理二七によりネコを自己の同類とみなしていることだということから明らかですが,それよりも論理的にスピノザがこのことを否定するnegareことができないということを示すことができます。

第二部定理三八系は,僕たちの精神のうちには共通概念notiones communesが必然的にnecessarioあることを示していますが,そのことの根拠とされているのが第二部自然学①補助定理二で,そこではすべての物体corpusはいくつかの点において一致するといわれています。したがって人間の身体humanum corpusもネコの身体も,いくつかの点では一致するでしょう。しかるにもしもAとBに一致する点があるなら,AはBを,またBはAを,自身に似たところがあると認識するcognoscere場合があるという条件を一般的に満たすと僕は考えます。ゆえに人間はネコを自分の同類とみなすことがあるのであって,かつネコが感情に触発されてる以上,人間はネコの感情を模倣することがあるということは,スピノザの哲学における論理的な帰結であると僕は考えます。
一方,地蔵については,地蔵が感情に触発されることはないとスピノザはいうでしょうし,スピノザがそのようにいうことができると僕は認めます。第二部定理一三備考から,地蔵にも精神があるということはスピノザは否定することができませんが,精神をもつということと感情に触発されるということは,すでに示したように別のことなのであって,第三部要請一を援用すれば,人間やネコは感情に触発されても,地蔵は感情には触発されないということが可能だからです。そして多くの人が地蔵は感情には触発されないと解するでしょうから,僕もここではその見解opinioに従うことにします。
しかしこのことは,だから人間が地蔵の感情を模倣することはないということを直ちに結論するというようには僕は考えません。というのは,たとえ地蔵自体は感情には触発されないとしても,表象imaginatioは別だからです。
瓜生がスタートを取って前受け。3番手に三浦,5番手に中井,7番手に牧,8番手に和田で周回。残り3周のバックを出てから和田が上昇。ホームで瓜生を叩きました。諸橋の後ろに牧も続いて3人がバックの入口では前に。ここから三浦が巻き返していき,瓜生がこのラインに続いて打鐘。三浦が和田を叩くと瓜生が発進。三浦と瓜生で先行争いに。この先行争いがバックまで続き,制したのは三浦。和田はバックで三浦と瓜生の中を割るように発進。そのまま先頭に立つとフィニッシュまで粘って優勝。和田マークの諸橋は和田の動きがトリッキーであったために離れかけましたが,和田にスイッチできる選手がいなかったため何とか追走。最終コーナーで阿部と接触して,阿部,小倉,三浦の3人が落車しましたが,直線は和田に迫って半車身差の2着。落車を避けた牧が5車身差で3着。
優勝した神奈川の和田真久留選手は前回出走の平塚のFⅠから連続優勝。2020年の小田原記念以来となるGⅢ3勝目。こちらもウィナーズカップの選出に漏れた選手による争いでしたから前走のF1で優勝している和田は当初から優勝候補。しかもこちらの開催は有力選手の脱落が多かったため,和田にとっては負けられないといっていいくらいの決勝メンバーになりました。先行争いをした両選手の間を突くという走行には驚かされましたが,優勝自体は順当なものといっていいでしょう。
では人間がネコを同類とみなすことがあるのかといえば,僕はあると答えます。このことは吉田が示している例,すなわち見知らぬ男がネコを虐待しているのを表象するimaginariと悲しみtristitiaを感じるという事態が,ネコに対する感情の模倣imitatio affectuumであり,感情の模倣を生じさせるということは第三部定理二七によりネコを自己の同類とみなしていることだということから明らかですが,それよりも論理的にスピノザがこのことを否定するnegareことができないということを示すことができます。

第二部定理三八系は,僕たちの精神のうちには共通概念notiones communesが必然的にnecessarioあることを示していますが,そのことの根拠とされているのが第二部自然学①補助定理二で,そこではすべての物体corpusはいくつかの点において一致するといわれています。したがって人間の身体humanum corpusもネコの身体も,いくつかの点では一致するでしょう。しかるにもしもAとBに一致する点があるなら,AはBを,またBはAを,自身に似たところがあると認識するcognoscere場合があるという条件を一般的に満たすと僕は考えます。ゆえに人間はネコを自分の同類とみなすことがあるのであって,かつネコが感情に触発されてる以上,人間はネコの感情を模倣することがあるということは,スピノザの哲学における論理的な帰結であると僕は考えます。
一方,地蔵については,地蔵が感情に触発されることはないとスピノザはいうでしょうし,スピノザがそのようにいうことができると僕は認めます。第二部定理一三備考から,地蔵にも精神があるということはスピノザは否定することができませんが,精神をもつということと感情に触発されるということは,すでに示したように別のことなのであって,第三部要請一を援用すれば,人間やネコは感情に触発されても,地蔵は感情には触発されないということが可能だからです。そして多くの人が地蔵は感情には触発されないと解するでしょうから,僕もここではその見解opinioに従うことにします。
しかしこのことは,だから人間が地蔵の感情を模倣することはないということを直ちに結論するというようには僕は考えません。というのは,たとえ地蔵自体は感情には触発されないとしても,表象imaginatioは別だからです。
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