優勝馬にJBCスプリントの優先出走権が付与される第47回東京盃。三村展久騎手が病気でブレーヴキャンターは山中悠希騎手に変更。
セレスハントは出負け。飛び出したのはオーセロワで,ハードデイズナイトとタイセイレジェンドは離れず追走。少し開いて内にサイオン,外にアドマイヤサガス。ティアップワイルド,テスタマッタの順になりました。前半の600mは34秒4で,ハイペースですが,不良馬場であったことも考慮に入れれば,それほどでもなかったといえそう。
オーセロワは4コーナーでは一杯。ハードデイズナイトとタイセイレジェンドの追い比べになりましたが,直線半ばではハードデイズナイトが力尽き,ここで抜け出したタイセイレジェンドが差し馬の追撃も許さずに3馬身半差の圧勝。2着争いは大混戦になりましたが,内目をうまく捌いたテスタマッタ。外目を回ったアドマイヤサガスが半馬身差で3着。その外のティアップワイルド,大外を追い込んだアイディンパワー,出負けしたセレスハントまで,差のない入線となっています。
優勝したタイセイレジェンドは昨年のJBCスプリント以来の勝利で重賞3勝目。ここ2戦は59キロを背負っていたこともあり,2着に負けていましたが,今日は58キロで,能力的にも最上位でしたから,負けられなかったところ。単に勝ったというだけでなく,激しくなった2着争いを尻目に差をつけての勝利ですから,JBCスプリント連覇に向けて視界良好といったところではないでしょうか。父はキングカメハメハ。母の父はメジロマックイーン。4代母はクレアーブリッジ。祖母の従弟に1995年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬のサクラチトセオー。その半妹に同年のエリザベス女王杯を勝ったサクラキャンドル。
騎乗した内田博幸騎手は第37回と第41回を制しているので6年ぶりの東京盃3勝目。管理している矢作芳人調教師は東京盃初勝利。
月が変わって6月1日。この日は母と妹が美容院に行っています。そして2日の日曜日にピアノのレッスンでした。
3日の月曜日は午前中に本牧へ。この帰りにI歯科に寄りまして,検診の予約を入れてきました。予約は電話でも可能ですが,根岸駅はよく通る場所ですから,僕はこのようにすることの方が多いです。基本的に電話をするということがあまり好きではないということもあるからです。午後は石川町でした。
その予約を入れたのは5日の水曜日。この日は午前中はオフでしたから,何時でもよかった,個人的にいえば早い方がありがたいですが,ほかの患者の予約の関係から11時に。僕は歯科検診にせよ眼科検診にせよ,終日オフであるか,そうでなければ午前中はオフであるという日の午前中に済ませています。実は水曜というのは午前中にオフになるというのが少ない曜日で,たぶん水曜に検診をしたのはこれが初めてであったのではないでしょうか。この日,I歯科はI先生のほか,歯科助手がひとり,歯科衛生士がひとりの3人でした。たぶん在籍している歯科衛生士というのはこの時点ではふたりいて,そのふたりの交替制になっていたように思われます。この日はクリーニングの後,I先生から虫歯の治療の勧告を受けました。右上の最も奥の歯で,この歯の噛み合わせによって生じた溝に沿うような形で虫歯が発生しているとのことでした。手鏡でその部分を見せてもらいましたが,変色しているのは確かでした。僕が見たところで治療が必要であるのかそうでないのかは分かりませんが,I先生が勧めているわけですから断るような理由は何もありません。なのでその治療のための予約を入れて,この日は帰宅しました。家に着いたのは12時過ぎ。午後は穴守稲荷の近辺,産業道路と環状八号の交差点の近くまで出ています。
翌6月6日の木曜日に,母と妹が渡米しました。伯母の夫の母親の容態は安定していますが,いつ何が起こるか分からないのも事実です。ということでこれまでの渡米と渡米との間隔よりもやや短い間隔で渡米しているのです。この日からまたひとりでの生活がスタートしました。この日は長者町でした。
セレスハントは出負け。飛び出したのはオーセロワで,ハードデイズナイトとタイセイレジェンドは離れず追走。少し開いて内にサイオン,外にアドマイヤサガス。ティアップワイルド,テスタマッタの順になりました。前半の600mは34秒4で,ハイペースですが,不良馬場であったことも考慮に入れれば,それほどでもなかったといえそう。
オーセロワは4コーナーでは一杯。ハードデイズナイトとタイセイレジェンドの追い比べになりましたが,直線半ばではハードデイズナイトが力尽き,ここで抜け出したタイセイレジェンドが差し馬の追撃も許さずに3馬身半差の圧勝。2着争いは大混戦になりましたが,内目をうまく捌いたテスタマッタ。外目を回ったアドマイヤサガスが半馬身差で3着。その外のティアップワイルド,大外を追い込んだアイディンパワー,出負けしたセレスハントまで,差のない入線となっています。
優勝したタイセイレジェンドは昨年のJBCスプリント以来の勝利で重賞3勝目。ここ2戦は59キロを背負っていたこともあり,2着に負けていましたが,今日は58キロで,能力的にも最上位でしたから,負けられなかったところ。単に勝ったというだけでなく,激しくなった2着争いを尻目に差をつけての勝利ですから,JBCスプリント連覇に向けて視界良好といったところではないでしょうか。父はキングカメハメハ。母の父はメジロマックイーン。4代母はクレアーブリッジ。祖母の従弟に1995年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬のサクラチトセオー。その半妹に同年のエリザベス女王杯を勝ったサクラキャンドル。
騎乗した内田博幸騎手は第37回と第41回を制しているので6年ぶりの東京盃3勝目。管理している矢作芳人調教師は東京盃初勝利。
月が変わって6月1日。この日は母と妹が美容院に行っています。そして2日の日曜日にピアノのレッスンでした。
3日の月曜日は午前中に本牧へ。この帰りにI歯科に寄りまして,検診の予約を入れてきました。予約は電話でも可能ですが,根岸駅はよく通る場所ですから,僕はこのようにすることの方が多いです。基本的に電話をするということがあまり好きではないということもあるからです。午後は石川町でした。
その予約を入れたのは5日の水曜日。この日は午前中はオフでしたから,何時でもよかった,個人的にいえば早い方がありがたいですが,ほかの患者の予約の関係から11時に。僕は歯科検診にせよ眼科検診にせよ,終日オフであるか,そうでなければ午前中はオフであるという日の午前中に済ませています。実は水曜というのは午前中にオフになるというのが少ない曜日で,たぶん水曜に検診をしたのはこれが初めてであったのではないでしょうか。この日,I歯科はI先生のほか,歯科助手がひとり,歯科衛生士がひとりの3人でした。たぶん在籍している歯科衛生士というのはこの時点ではふたりいて,そのふたりの交替制になっていたように思われます。この日はクリーニングの後,I先生から虫歯の治療の勧告を受けました。右上の最も奥の歯で,この歯の噛み合わせによって生じた溝に沿うような形で虫歯が発生しているとのことでした。手鏡でその部分を見せてもらいましたが,変色しているのは確かでした。僕が見たところで治療が必要であるのかそうでないのかは分かりませんが,I先生が勧めているわけですから断るような理由は何もありません。なのでその治療のための予約を入れて,この日は帰宅しました。家に着いたのは12時過ぎ。午後は穴守稲荷の近辺,産業道路と環状八号の交差点の近くまで出ています。
翌6月6日の木曜日に,母と妹が渡米しました。伯母の夫の母親の容態は安定していますが,いつ何が起こるか分からないのも事実です。ということでこれまでの渡米と渡米との間隔よりもやや短い間隔で渡米しているのです。この日からまたひとりでの生活がスタートしました。この日は長者町でした。