『全日本プロレス超人伝説』の第13章はジョー・樋口です。樋口については自著である『心に残るプロレス名勝負』を紹介していますし,樋口と三沢,また樋口と馬場のエピソードについても書いています。全日本プロレスでの樋口は外国人係を務めていて,団体としての重要性はそちらの方が大きかったかもしれません。ですが表舞台ではレフェリーでしたから,ここではレフェリーとしての樋口に限定して書いておきます。

樋口は力道山に誘われてレスラーを引退した後で外国人係として再びプロレスと関わるようになりました。1960年のことです。このとき,本名である樋口寛治は呼びにくいので,ブッカーも務めていたグレート・東郷の一声でジョーと命名されました。レフェリーを務めるようになったのは1965年の5月からで,そのときにはすでにジョー・樋口になっていたことになります。ただし,全日本プロレス協会時代にはレフェリーをやったこともあり,そのことを知っていた吉村道明の依頼でした。
日本プロレスには大物外国人レスラーも参戦していて,かれらが認めたために1967年にはアメリカにも呼ばれてレフェリング。このときにはNWAの世界戦も裁いたということですから,よほど信頼を受けていたと考えていいでしょう。
1972年に日本プロレスを退団。馬場に誘われて全日本プロレスに移籍。以後は全日本プロレスのチーフレフェリーとして多くの試合を裁きました。試合中に失神してしまうのは名物といっていいくらいでしたが,当然ながらあれは試合を終了させるための措置です。ギミックはレスラーだけにあるものではなく,レフェリーにもあるのです。また,ある意味ではプロレス的才能をも兼備したレフェリーであったといえるかもしれません。
1997年3月の三沢光晴とスティーヴ・ウィリアムスの三冠選手権を最後にレフェリーを引退。試合開始直前にこれが最後のレフェリングとアナウンスされ,ファンにとっては突然の引退でした。こうした発表の仕方は樋口の希望だったそうです。
持続duratioの終焉の同時性を示すにあたって第五部定理二一を援用しましたので,念のために次のこともいっておきましょう。
第五部定理二三は,一読すると,人間の身体corpusの持続が終焉してもその人間の精神mens humanaの持続が終焉するわけではないと主張しているように思えます。ですが実際にそこで主張されているのはそういうことではありません。これはこの定理Propositioにおいて,永遠なるaeternus「あるものaliquid」が残存するといわれていることから明らかです。
ここでいわれている「あるもの」が何であると考えられなければならないのかということからも,この定理が身体の持続の終焉とともに精神が持続を終焉するわけではないということをいっているのではないということは説明できます。ですがここでは,その「あるもの」が永遠aeterunusであるといわれている観点の方で説明します。というのは,こちらの方で説明する方が簡単だからです。なぜなら,永遠というのは時間tempusという観点から把握されるものではないからです。いい換えれば持続という観点から把握されるものではないからです。
持続には開始がありまた終焉があります。僕たちはそれがどのような原因causaによって開始され,それがどのような原因によって終焉するのかということについては十全に認識するcognoscereことができない,少なくとも十全に認識することができない場合があります。このために第二部定義五では,持続が存在の無限定な継続indefinita existendi continuatioといわれることになります。しかしたとえそれが無限定な継続であるにせよ,それが持続するdurareといわれるものである以上,その存在には開始があるし終焉もあります。他面からいえば,それが現実的に存在しないと考えるconcipereことが可能です。
これに対していえば,永遠であるものというのは存在を開始もしないし終焉もしません。他面からいえば,それが存在しないと考えることが不可能です。したがって,身体の存在が終焉しても,精神のうちの永遠なものが残るというのは,精神は身体の存在の終焉とともにその存在を終焉しないという意味ではありません。むしろ持続するとみられる精神は,身体がその存在を終焉したなら,それと同時に存在を終焉すると考えなければならないのです。

樋口は力道山に誘われてレスラーを引退した後で外国人係として再びプロレスと関わるようになりました。1960年のことです。このとき,本名である樋口寛治は呼びにくいので,ブッカーも務めていたグレート・東郷の一声でジョーと命名されました。レフェリーを務めるようになったのは1965年の5月からで,そのときにはすでにジョー・樋口になっていたことになります。ただし,全日本プロレス協会時代にはレフェリーをやったこともあり,そのことを知っていた吉村道明の依頼でした。
日本プロレスには大物外国人レスラーも参戦していて,かれらが認めたために1967年にはアメリカにも呼ばれてレフェリング。このときにはNWAの世界戦も裁いたということですから,よほど信頼を受けていたと考えていいでしょう。
1972年に日本プロレスを退団。馬場に誘われて全日本プロレスに移籍。以後は全日本プロレスのチーフレフェリーとして多くの試合を裁きました。試合中に失神してしまうのは名物といっていいくらいでしたが,当然ながらあれは試合を終了させるための措置です。ギミックはレスラーだけにあるものではなく,レフェリーにもあるのです。また,ある意味ではプロレス的才能をも兼備したレフェリーであったといえるかもしれません。
1997年3月の三沢光晴とスティーヴ・ウィリアムスの三冠選手権を最後にレフェリーを引退。試合開始直前にこれが最後のレフェリングとアナウンスされ,ファンにとっては突然の引退でした。こうした発表の仕方は樋口の希望だったそうです。
持続duratioの終焉の同時性を示すにあたって第五部定理二一を援用しましたので,念のために次のこともいっておきましょう。
第五部定理二三は,一読すると,人間の身体corpusの持続が終焉してもその人間の精神mens humanaの持続が終焉するわけではないと主張しているように思えます。ですが実際にそこで主張されているのはそういうことではありません。これはこの定理Propositioにおいて,永遠なるaeternus「あるものaliquid」が残存するといわれていることから明らかです。
ここでいわれている「あるもの」が何であると考えられなければならないのかということからも,この定理が身体の持続の終焉とともに精神が持続を終焉するわけではないということをいっているのではないということは説明できます。ですがここでは,その「あるもの」が永遠aeterunusであるといわれている観点の方で説明します。というのは,こちらの方で説明する方が簡単だからです。なぜなら,永遠というのは時間tempusという観点から把握されるものではないからです。いい換えれば持続という観点から把握されるものではないからです。
持続には開始がありまた終焉があります。僕たちはそれがどのような原因causaによって開始され,それがどのような原因によって終焉するのかということについては十全に認識するcognoscereことができない,少なくとも十全に認識することができない場合があります。このために第二部定義五では,持続が存在の無限定な継続indefinita existendi continuatioといわれることになります。しかしたとえそれが無限定な継続であるにせよ,それが持続するdurareといわれるものである以上,その存在には開始があるし終焉もあります。他面からいえば,それが現実的に存在しないと考えるconcipereことが可能です。
これに対していえば,永遠であるものというのは存在を開始もしないし終焉もしません。他面からいえば,それが存在しないと考えることが不可能です。したがって,身体の存在が終焉しても,精神のうちの永遠なものが残るというのは,精神は身体の存在の終焉とともにその存在を終焉しないという意味ではありません。むしろ持続するとみられる精神は,身体がその存在を終焉したなら,それと同時に存在を終焉すると考えなければならないのです。