スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

瀬戸の王子杯争奪戦&遠縁

2020-03-08 19:12:36 | 競輪
 玉野記念の決勝。並びは新山‐佐藤の北日本,郡司‐柿沢の東日本,畑段‐東口の近畿,清水‐岩津の中国で吉田は単騎。
 佐藤と東口がスタートを取りに行き,内の佐藤が譲る形で東口が誘導の後ろに。前受けは畑段となって3番手に新山。5番手に清水,7番手に吉田,8番手に郡司で周回。残り3周のバックを出ると郡司が上昇を開始。柿沢の後ろに吉田がスイッチし,その吉田を清水が追走して残り2周のホームでは2列に。残り2周となったところで郡司が畑段を叩いて誘導は退避。コーナーでは清水が上昇していき,バックに入ったところで郡司を叩いて前に。さらに外から新山が上昇。清水を叩いて打鐘。吉田は佐藤の後ろを追走しようとしましたがこれを清水が阻止。3番手に清水,5番手に郡司という隊列になりました。ホームから畑段が発進。しかしこれもホームからコーナーにかけて清水が阻止しました。清水はバックから発進していきましたが今度は佐藤に牽制されて失速。郡司は清水の外から捲り追い込む形。直線は逃げる新山,マークの佐藤,捲り追い込んだ郡司と,清水マークから新山と佐藤の間を割りにいった岩津の4選手の争い。優勝争いは写真判定となり,最内の新山と大外の郡司で同着。外からふたり目の佐藤が8分の1車輪差の3着で内からふたり目の岩津は半車輪差の4着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は昨年9月の共同通信社杯以来の優勝。記念競輪はその直前の小田原記念以来となる7勝目。玉野記念は初優勝。青森の新山響平選手は昨年9月の青森記念以来の優勝で記念競輪4勝目。玉野記念は初優勝。このレースは力量では清水と郡司。清水の方がよい位置を取ることができたのですが,吉田をブロック,さらに畑段もブロックと,レース中に力を使わなければならない場面が多く,その結果として佐藤の牽制によってすぐに失速してしまったのではないかと思います。これだと展開有利は佐藤でしたが,新山を差すには至らず。逆に新山にとってはこのメンバーで打鐘から先行して,同着とはいえ優勝できたのは自信になるのではないでしょうか。郡司も清水のさらに外からの捲りでしたから普通は苦しいパターンで,力はみせたと思います。

 線香を立ててもらった後,自宅でKさんと話をしました。それで,Kさんと祖母の関係がどういったものかが分かりました。ただ,想像できないくらい複雑なものでした。
 祖母の父には何人かの妾がいました。このために祖母には親戚筋が増えることになったのです。
 祖母が育ったのを本家であるというなら,妾の家系はその分家ということになります。その分家のひとつにK家がありました。僕は祖母に何人の兄弟姉妹がいたのかということは知らないのですが,本家とは別に,分家には異母兄弟姉妹が何人か存在したことになります。しかしKさんとの関係が現在まで続いていることからも分かるように,異母兄弟姉妹は知り合いだったことになります。つまり本家と分家の間には交流があったということでしょう。それはつまり,本妻と妾の間に交流があったということを意味する筈で,僕にはちょっと考えられないのですが,時代背景的にはそれが普通だったのかもしれません。
 ややこしいのは,Kさん本人の出自はK家にはないということです。Kさんは小学校1年生の時に,K家に養子として入りました。それは本家と何の関係もない家系から入ったのかもしれませんし,本家からあるいはK家とは別の分家から入ったのかもしれません。ですから祖母とKさんの間には,血縁関係はあるかもしれないしないかもしれないのです。それはつまり,僕とKさんは親戚筋にあたるのは確かだけれど,はっきりとした血縁関係があるかないかは分からないということです。
 年齢から考えると,Kさんは祖母の甥,祖母の父の子の子にあたる筈です。よって僕のからみたとき,Kさんは従弟ということになります。血縁関係が複雑な上に,養子なので,僕たちが一般的に従弟とみなす関係とは大幅に異なりますが,従弟にあたるということはここまでのことから間違いありません。よってKさんは僕からみると,母の従弟ということになります。僕は父親の従兄弟姉妹,つまりの両親の兄弟姉妹の子どもというのはひとりとして知りません。ですから僕の親戚筋としては,Kさんはかなり遠縁にあたることになります。
 Kさんはこの後,長崎に行くとのことでした。
コメント
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