スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

書簡四&面会

2020-03-09 19:25:09 | 哲学
 書簡三に対するスピノザの返信が書簡四です。この書簡にも日付は明記されていませんが,書簡三が1661年9月27日付で,書簡四を受けたオルデンブルクHeinrich Ordenburgからの書簡五は1661年10月21日付となっていますから,1661年10月中に書かれたものと推定することができます。遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。
                                        
 内容の大部分は書簡三の質問に対する解答です。第一の質問に対しては,一般にものの定義Definitioが与えられれば,そのものの存在existentiaがそこから帰結するわけではないというのが解答になっています。もしあるものの定義からそのものの存在が帰結するなら,そうしたものは自己原因causa suiといわれます。よって自己原因ではないようなものの定義からは,定義されたものの存在が帰結するわけではありません。一方,神Deusは自己原因なので,神の定義からは神の存在が帰結するのです。質問する段階でオルデンブルクがこれらのことを理解できていなかったということです。
 第二の質問に対しては,延長Extensioは延長である限りにおいては思惟Cogitatioではなく,思惟は思惟である限りにおいては延長ではないということさえ認めれば十分だという主旨の解答になっています。もしこのことさえ認めれば,もしも延長が思惟によって限定されたり,思惟が延長によって限定されたりすることがあったとしても,延長は絶対に無限absolute infinitumではないけれども自己の類において無限であり,思惟もまた同様であるということが帰結することになるからです。
 第三の質問に関しては,第一部定義三第一部定義五に着目することを要求しています。この定義さえ受け入れれば,第一部定理一,第一部公理一,第一部定理二,第一部定理三はいずれも明白だとスピノザはいっています。書簡三でオルデンブルクが公理Axiomaというとき,それが具体的に何を指しているのかは明白ではない部分もあるのですが,スピノザの解答の方から,その具体的内容を知ることができます。

 長崎に行くのは叔父と会うためです。叔父は五島列島の福江島に住んでいるのですが,Kさんが福江島まで行くのは大変なので,叔父に長崎まで来てもらい,そこで会うとのことでした。そのための飛行機の時間が迫っていましたので,Kさんはそれほど長くは僕の家にいることはできませんでした。来るときは僕の家の最寄りのバス停まで来てもらったのですが,僕の家から根岸駅は歩いて行かれる距離です。なので帰りは僕が根岸駅まで送りました。
 12月6日,金曜日。O眼科で網膜症の検査をしてきました。正常でした。
 12月7日,土曜日。妹の土曜レクリエーションでした。なのでこの週は妹は週末をグループホームで過ごしました。
 12月9日,月曜日。お寺の奥さんが来訪しました。
 来訪したのは午後1時15分で,面会したのは30分くらいです。会話の中心となったのは3点です。ひとつは2019年分のお寺に関係する収支の報告です。僕はお寺の檀家として必要となる経費を,事前に奥さんに払ってあります。これはK伯母が死んだ後は,母がしていたことで,僕はその方法を引き継いだだけです。ですから2019年にどれほどの経費が必要とされ,実際に使われたのかということが報告されたのです。もうひとつは,2020年分の経費の支払いです。これは事前には言われていなかったのですが,奥さんが来るということは分かっていましたので,僕の方で用意しておいたものです。
 最後が父と祖母と祖父の遺骨をお寺の中の会堂に移すのに必要な手続きに関係することです。3通の埋葬証明書が石材店から出されるかどうかはこの時点でも未確定でしたが,お寺からの受入証明書はこの時点でも出すことができるという主旨の説明を受けました。なのでもし可能ならそれは先に出してもらって構わないということを伝えました。ただし日野公園墓地の墓の名義人は父のきょうだいの長男でしたので,もし出すことができるのであれば,それはそちらの方に送付するように伝えました。これは後に分かったことですが,受入証明書はこの面会の直後に,伯父に送られていたようです。ただ僕がその事実を知ったのは,年が明けてからでした。
コメント
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