スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典黒船賞&従妹

2020-03-10 19:13:29 | 地方競馬
 第22回黒船賞
 デュープロセスは発馬のタイミングが合わずに1馬身の不利。すぐにラプタスが先手を奪い,2番手にはサクセスエナジー。3馬身ほど開いて巻き返してきたデュープロセスが3番手で4番手にサクラレグナムで1周目の正面を通過。2馬身差でワンダーリーデル,スペルマロン,オオオヤブンの順で続き,4馬身差でウォーターマーズ,アースグロウ,テーオージーニアスの3頭。2馬身差でイルティモーネ。ナラは大きく取り残されました。ハイペース。
 3コーナーを回るとラプタスがサクセスエナジーとの差を広げにかかりました。サクセスエナジーも何とか追い掛けていき,内にサクラレグナムで外からデュープロセス。ラプタスはここで広げたリードをそのまま保ち,鮮やかに逃げ切って優勝。内のサクラレグナムと外のサクセスエナジーで競り合っているところ,向正面から追い上げを開始し,最後まで外を伸びたテーオージーニアスがまとめて差して3馬身差の2着。サクセスエナジーが半馬身差の3着でサクラレグナムは1馬身差で4着。
 優勝したラプタスは重賞初挑戦で初制覇。4戦目で初めてダート戦に挑むと初勝利を挙げ,そこからとんとん拍子に1勝クラス,2勝クラス,3勝クラスと勝ち続けてオープン入り。前走のオープンでは8着に敗れましたが,これはスタートでミスがあった後に先手を奪ったためで,はっきりとした敗因がありました。ここはデュープロセスも逃げたい馬なので,先行争いになるとどうかと思っていたのですが,デュープロセスの発馬が悪かったために労せず先手を奪えました。これが勝因でしょう。したがって楽に先手を奪えないというケースでは大敗もあり得る馬と判断しておくのがよいかと思います。父は2011年の東京スポーツ杯2歳ステークスと2012年の日本ダービーを勝ったディープブリランテでその父はディープインパクト。5代母がバウンドトゥダンスとファーストアクトの祖母にあたる同一牝系。Raptusは衝動。
 騎乗した幸英明騎手は第9回以来14年ぶりの黒船賞2勝目。回数と年数の差が合っていないのは2008年は実施されていないからです。管理している松永昌博調教師は黒船賞初勝利。

 12月10日,火曜日。福江島に住む叔父,母の弟の娘,僕からみると従妹から電話がありました。午後6時ごろです。
 僕がこの従妹と最後に会ったのは,祖母の法事のとき,おそらく一周忌のときだったのではないかと思います。2012年の12月ですから,この電話の時点でいえば7年前になります。それ以降は会っていないどころか,連絡を取ることもありませんでした。僕の従妹にはなるのですが,叔父は離婚していて,この従妹と叔父の関係はさほど良好とはいえませんでしたので,僕とも次第に疎遠になっていったのです。なのでの入院中も従妹は見舞いに来ませんでしたし,母の通夜や葬儀にも来ませんでした。
 叔父は離婚する前は大和に祖母も同居して住んでいました。これは僕の母の実家になります。ですから子どもの頃は僕も母に連れられてよく行っていました。横浜から大和ですから帰省という感覚は稀薄ですが,近い分だけ頻度は高かったのです。従妹は僕より2つ下でしたから,小さい頃は一緒に遊んだことも多々ありました。つまり会った回数だけでいうなら,小学生くらいまでが圧倒的に多いので,僕の印象としてもその頃のことが最も残っています。
 それからもうひとつ,これは大人になってからですが,偶然に会ったということもあり,これはエピソードとしては僕の記憶に残っています。といっても,長野でオリンピックをやっていた頃のことですから,もう20年以上前のことではあります。僕はその当時,大和市内のある倉庫で勤務していました。最寄りの駅は小田急江ノ島線の鶴間駅です。その頃,鶴間駅の近くにコンビニエンスストアがありました。これは僕の勤務地に行くのには反対側の出口になるので,僕は滅多に利用することはありません。ところがあるとき,理由は忘れてしまいましたが,なぜかその店舗を利用する機会があったのです。このときにレジを打っていたのが従妹でした。僕は最初は気付かなかった,というか思いもよらなかったのですが,従妹の方から声を掛けてくれたので,僕も気付きました。これは僕の人生の中でもかなり印象的なエピソードです。
 とはいえこのときは急な電話で,驚きました。
コメント
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