夏目家も篠本家も元は武田家の家臣であったということのほかに,別のエピソードも篠本は著しています。

この当時,学校からの帰途に,漱石はガキ大将の一派にいじめられることがあったようです。そこで漱石は篠本に相談し,かれらを懲らしめることにしました。大将は漱石と篠本より4つか5つ年上の鍛冶屋の息子だったので,さしあたりその大将を懲らしめれば,この一派からいじめられることはなくなるだろうという考えの下に,漱石と篠本はこの鍛冶屋の息子がひとりでいるときに懲らしめることにしました。
あるとき,漱石と篠本がふたりで遊んでいると,その大将がひとりでいるのを目撃し,これは絶好の機会が到来したと判断しました。篠本はすぐに家に戻り,何の分別もなしに2本の短刀を持ち出し,漱石とふたりで1本ずつ持ちました。ふたりが大将に近寄ると,大将は恐れ慄き小路に退却しました。そこで漱石は短刀は鞘に納め,杉の垣根に大将を押し付けました。ですがそこでこの大将の家の鍛冶屋の弟子が現れ大将を助けました。しかしこの一件があってから,漱石がいじめられることは一切なくなったそうです。
時期は廃刀令の前後で,確かに篠本家にはこのときに日本刀があったのです。もしかしたら夏目家にもあったのかもしれません。一方,鍛冶屋は町人階級でしたから,士族に対する恐れ,いわゆる切り捨て御免といわれる行為に対する恐れがまだ残っていました。だから,たとえ年が上で,身体も漱石や篠本よりずっと大きい子どもでも,その子どもが町人階級であれば,士族のこともが刀の1本をちらつかせるだけで容易に懲らしめることができたのだと篠本はいっています。
篠本は廃刀令の前後のこの時代には,士族の子どもが平民の子どもを抑圧する度合いが甚だしかったといっていました。これはその一例であるとみることができるでしょう。そしてその背景として,単に士族の子どもが平民の子どもに対してもっている意識だけが作用したのではなく,一般に町人の子どもが士族の子どもを恐れていたという事情も作用していたのです。
12月25日,金曜日。換気扇の交換の工事の日でした。これまで使用していたものを取り外し,新しいものを設置するというのが作業の過程で,工事が始まったのは午前9時。概ね1時間半ほどですべての作業が完了しました。請求書はこの工事の後で受け取り,この日のうちに口座に振り込みました。224000円でした。
12月28日,月曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日が妹の2020年の最後の作業の日でした。ですから週末は迎えに行かず,この日に迎えに行って,年末年始は家で過ごせるようにしたものです。
1月4日,月曜日。この日は妹の2021年の始業の日でした。なのでこの日に妹を通所施設に送りました。
1月6日,水曜日。O眼科へ網膜症の検査に行きました。目には変化はなく,異常はありませんでした。帰りがけに同じビルの同じ階にあるI歯科に立ち寄り,歯科検診の予約を入れてきました。I歯科では患者の重複を避けるという措置を採っていたため,わりと先の予約になりました。帰宅したのは午前11時55分でした。
1月7日,木曜日。この日から関東地方の一都三県に2度目の緊急事態宣言が発令されました。このことについてはもうすでに記述しましたから,詳しいことは繰り返しませんが,この宣言自体は遅きに失したと僕は考えていますし,たとえ表面上のことであったとしても,外食することや旅行をすることを推進した政策については,誤りを認めるべきであったとも考えています。
1月9日,土曜日。この日は土曜レクリエーションがありました。ですからこの週は妹を迎えに行っていません。また,緊急事態宣言の発令を受け,通所施設とグループホームの個別支援計画に,追加事項が発生しました。その書類はすでに受け取っていましたので,サインをしてこの日に郵送しました。サインをするだけであれば簡単で,郵送はすぐにすることができるのですが,僕はこの種の書類についてはよく読解してからサインをしますので,たぶんほかの人と比べると時間が掛かるのではないかと思います。
さらにこの日の夕刻に,緊急事態宣言中の通所施設への出勤に関するお知らせが郵送されてきました。

この当時,学校からの帰途に,漱石はガキ大将の一派にいじめられることがあったようです。そこで漱石は篠本に相談し,かれらを懲らしめることにしました。大将は漱石と篠本より4つか5つ年上の鍛冶屋の息子だったので,さしあたりその大将を懲らしめれば,この一派からいじめられることはなくなるだろうという考えの下に,漱石と篠本はこの鍛冶屋の息子がひとりでいるときに懲らしめることにしました。
あるとき,漱石と篠本がふたりで遊んでいると,その大将がひとりでいるのを目撃し,これは絶好の機会が到来したと判断しました。篠本はすぐに家に戻り,何の分別もなしに2本の短刀を持ち出し,漱石とふたりで1本ずつ持ちました。ふたりが大将に近寄ると,大将は恐れ慄き小路に退却しました。そこで漱石は短刀は鞘に納め,杉の垣根に大将を押し付けました。ですがそこでこの大将の家の鍛冶屋の弟子が現れ大将を助けました。しかしこの一件があってから,漱石がいじめられることは一切なくなったそうです。
時期は廃刀令の前後で,確かに篠本家にはこのときに日本刀があったのです。もしかしたら夏目家にもあったのかもしれません。一方,鍛冶屋は町人階級でしたから,士族に対する恐れ,いわゆる切り捨て御免といわれる行為に対する恐れがまだ残っていました。だから,たとえ年が上で,身体も漱石や篠本よりずっと大きい子どもでも,その子どもが町人階級であれば,士族のこともが刀の1本をちらつかせるだけで容易に懲らしめることができたのだと篠本はいっています。
篠本は廃刀令の前後のこの時代には,士族の子どもが平民の子どもを抑圧する度合いが甚だしかったといっていました。これはその一例であるとみることができるでしょう。そしてその背景として,単に士族の子どもが平民の子どもに対してもっている意識だけが作用したのではなく,一般に町人の子どもが士族の子どもを恐れていたという事情も作用していたのです。
12月25日,金曜日。換気扇の交換の工事の日でした。これまで使用していたものを取り外し,新しいものを設置するというのが作業の過程で,工事が始まったのは午前9時。概ね1時間半ほどですべての作業が完了しました。請求書はこの工事の後で受け取り,この日のうちに口座に振り込みました。224000円でした。
12月28日,月曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日が妹の2020年の最後の作業の日でした。ですから週末は迎えに行かず,この日に迎えに行って,年末年始は家で過ごせるようにしたものです。
1月4日,月曜日。この日は妹の2021年の始業の日でした。なのでこの日に妹を通所施設に送りました。
1月6日,水曜日。O眼科へ網膜症の検査に行きました。目には変化はなく,異常はありませんでした。帰りがけに同じビルの同じ階にあるI歯科に立ち寄り,歯科検診の予約を入れてきました。I歯科では患者の重複を避けるという措置を採っていたため,わりと先の予約になりました。帰宅したのは午前11時55分でした。
1月7日,木曜日。この日から関東地方の一都三県に2度目の緊急事態宣言が発令されました。このことについてはもうすでに記述しましたから,詳しいことは繰り返しませんが,この宣言自体は遅きに失したと僕は考えていますし,たとえ表面上のことであったとしても,外食することや旅行をすることを推進した政策については,誤りを認めるべきであったとも考えています。
1月9日,土曜日。この日は土曜レクリエーションがありました。ですからこの週は妹を迎えに行っていません。また,緊急事態宣言の発令を受け,通所施設とグループホームの個別支援計画に,追加事項が発生しました。その書類はすでに受け取っていましたので,サインをしてこの日に郵送しました。サインをするだけであれば簡単で,郵送はすぐにすることができるのですが,僕はこの種の書類についてはよく読解してからサインをしますので,たぶんほかの人と比べると時間が掛かるのではないかと思います。
さらにこの日の夕刻に,緊急事態宣言中の通所施設への出勤に関するお知らせが郵送されてきました。