スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高松宮記念&田島の比喩

2023-03-27 19:12:42 | 中央競馬
 昨日の第53回高松宮記念
 少しばかりの先行争いからキルロードが抜け出しての逃げ。2番手にウォーターナビレラとダディーズビビッドとオパールシャルム。5番手にメイケイエールとアグリ。7番手にトゥラヴェスーラとロータスランドとファストフォースとウインマーベル。11番手にヴェントヴォーチェとナムラクレアとピクシーナイト。14番手にナランフレグとトウシンマカオとディヴィナシオン。17番手にボンボヤージで最後尾にグレナディアガーズという隊列。前半の600mは35秒6のミドルペース。
 早めに外から捲るようなレースになったアグリが直線の入口では先頭に。そのすぐ内から追ってきたのがファストフォースで外から追ってきたのがナムラクレア。先に追ってきたファストフォースがアグリを差して先頭に立つと外からムラクレアもアグリの前には出ましたが,ファストフォースには届かず,優勝はファストフォース。ナムラクレアが1馬身差で2着。内を回って直線も内から伸びてきたトゥラヴェスーラが半馬身差で3着。
 優勝したファストフォースは一昨年のCBC賞以来の勝利。重賞2勝目で大レース初制覇。CBC賞を勝ったときはレコードタイムでしたが,軽い斤量を利した上で,絶好の馬場状態を生かしての逃げ切りでしたので,大きく評価できるものではありませんでした。その後は重賞で2着が2回,3着が1回あったものの二桁着順も目立っていて,ここでは伏兵。2回の2着が共に中京競馬場でのレースでしたから,コース適性は高かったのでしょう。馬場状態も味方したのかもしれませんが,この馬の優勝は僕には驚きの結果でした。父は第43回を制したロードカナロアで父仔制覇。母の父はサクラバクシンオー。6代母がコランディアで5つ上の半兄に2016年の新潟記念を勝ったアデイインザライフ
 騎乗した団野大成騎手はデビューから4年で大レース初制覇。管理している西村真幸調教師は開業から8年で大レース初制覇。

 『スピノザという暗号』の中で,田島正樹は観念ideaをパズルのピースに喩えています。パズルのピースはそれひとつだけでは何であるのか不明です。しかしパズル全体の中でひとつのピースとして嵌ると,そのピースが意味していることも判明します。田島はこれを十全な観念idea adaequataと混乱した観念idea inadaequataの比喩に用いています。つまり,ある観念はそれ単独では観念対象ideatumと一致しない混乱した観念であるけれども,その他の観念と結合してひとつの全体を構成すると,観念対象と一致する十全な観念なのです。いい換えれば,十全な観念というのが完成したパズルのひとつのピースであるとすれば,混乱した観念というのはバラバラに放置されている状態におけるパズルのピースなのです。
                                        
 僕はこの比喩は,人間の精神mens humanaのうちにXの混乱した観念があって,第二部定理七系の意味によりその観念がDeusのうちにあるとみられる限りではXの十全な観念であるということの比喩としては,一定の理があると考えます。第二部定理三六はこの場合のXの観念について,まさにこの比喩でいわれようとしていることが示されているとみることができるからです。Xの観念は,神がある人間の精神の本性essentiaを構成する限りでは混乱した観念であったとしても,神がその人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りでは十全な観念であるのであって,これはその人間の精神のうちではバラバラに放置された状態のピースが,神のうちでパズルとして完成しているとみることができるからです。
 しかし基本的に僕はこの比喩に対して否定的です。この比喩はある人間の精神のうちにある観念についての比喩であるからです。すると同じ人間の精神のうちで,バラバラな状態になっていたピースが,完成したパズルの中のピースとなるということを意味します。これは人間の精神のうちにある混乱した観念が,十全な観念になるという意味の比喩になります。第四部定理一により,同じ人間の精神のうちに,Xの十全な観念とXの混乱した観念が同時にあるということは僕は肯定します。しかしそれは,混乱した観念が十全な観念になることを意味しません。パズルの同じピースではないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする