スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&遺産目録

2024-09-17 18:53:10 | 将棋
 14日に指宿温泉で指された第4期白玲戦七番勝負第二局。
 西山朋佳白玲の先手で三間飛車。9筋で戦いが始まってから後手の福間香奈女流五冠が向飛車に振っての相振り飛車になりました。
                            
 ここで先手は☗6六香と打ちました。
 後手は☖2六歩☗同銀☖2二飛☗2五歩と2筋に手を付けてから☖7二金と6筋を受けました。先手は6筋を破るのは難しくなったので☗3六歩と突いたのですが,☖6四歩と突かれ,打った香車を目標にされてしまいました。
                            
 これで先手が苦しくしてしまいました。第1図では☗8四歩と攻めていくか☗6六歩と突いておくのがよかったようです。
 福間女流五冠が勝って1勝1敗。第三局は21日に指される予定です。

 スピノザの葬儀について記述するにあたって,コレルスJohannes Colerusがどの程度の裏付けをとっているかは分かりません。ただ,その規模がどれほどのものであったかを知っている人がまだいた時代のことですから,誇張するにしてもスペイクとしてもあまり大袈裟なことは言えなかったであろうと推測されます。ですから,あくまでもいくらかの誇張が含まれているかもしれないということは心得ておかなければならないと思いますが,その葬儀が大きな規模のものであったことは疑う必要はないのではないかと思います。したがって,葬儀費用というのもそれなりに高額だったと推察され,スペイクが肩代わりした葬儀代も高額であったでしょう。逆にいえば,それだけの代金を一時的にとはいえ肩代わりするだけの経済的な余裕がスペイクにはあったということになります。
 スピノザの葬儀が終わった後で,スペイクはスピノザの遺産の目録を作らせました。それを請け負った公証人は,その目録を作ったことの代金をスペイクに請求しているのですが,領収書は1677年11月14日付となっていて,スピノザが死んでから9ヶ月ほど経過しています。これは僕には時間が掛かりすぎているように思えるのですが,実際にそういう記録が残っているのですから,このこと自体は事実です。スピノザの遺品があまりに多岐にわたり,それに値をつけるのに時間を要してしまったか,そうでなければ何らかの事情があってその代金を支払うのをスペイクが遅らせたかのどちらかだと思われます。
 レベッカRebecca de Spinozaがスピノザの遺産相続人であるとスペイクに申し出たことは,その直後に記述されています。前にもいっておいたように,弟の家で申し出たとありますので,レベッカがスペイクの家に現れてそのように主張したということでしょう。いつかは分からないのですが,葬儀にかかった費用と残された借金の前払いを承諾しなかったとありますので,おそらく葬儀は終わった後のことです。一方,リューウェルツJan Rieuwertszが送った葬儀費用は,3月6日にはスペイクに届いていると思われますから,その請求があったということは,2月26日から3月6日の間のことだったのではないかと思われます。
コメント
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