スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

長良川鵜飼カップ&差し押さえ

2024-09-24 19:02:32 | 競輪
 岐阜記念の決勝。並びは青野‐小原の神奈川,深谷に三谷,村田‐笠松の中部,松浦‐阿竹の中四国で坂井は単騎。
 スタートは笠松と小原で取り合い。外の小原の方が誘導の後ろに入って青野の前受け。3番手に村田,5番手に松浦,7番手に深谷,最後尾に坂井で周回。残り3周のバックから深谷が上昇していくと,坂井も続きました。誘導との車間を開けていた青野が突っ張ると深谷は引きました。切り替えた坂井が笠松の後ろの7番手に入り,深谷が8番手の一列棒状になって打鐘。ここから村田が発進。これが猛スピードで笠松が離れ,青野も追うことができなかったので大逃げに。青野が第二先行のようなレースに。バックから深谷が捲っていきましたが,その前に松浦も発進。直線にかけて徐々に逃げる村田との差が詰まっていき,差し切った松浦が優勝。深谷も外から届いて半車身差で2着。大逃げの村田が半車輪差の3着に残り,深谷マークの三谷がタイヤ差で4着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は2月末から3月初めのの玉野記念以来の優勝で記念競輪21勝目。岐阜記念は一昨年に優勝していて,昨年は実施されなかったので連覇となる2勝目。このレースは近況から深谷が有力とみていましたが,位置取りの関係で松浦が逆転。このところ怪我なども多く明らかに不調だったのですが,これが復調の契機となるかもしれません。復調すれば脚力は記念競輪ならいつでも優勝候補でしょう。単騎になってしまいましたが村田はいいレースをしたと思います。

 繰り返しになりますが,スペイクと面会したレベッカRebecca de Spinozaは,自身がスピノザの遺産の相続人であると申し出ました。しかしレベッカが葬儀費用と借金の前払いを承諾しなかったので,スペイクは公正証書を作らせ,その証書を基にレベッカにその代金を請求しました。正確にはレベッカとダニエルDaniel Carcerisに請求したのです。ところがレベッカもダニエルもその請求に従いませんでした。これが法的に問題なかったのかどうかは分かりません。ただ,相続した遺産が葬儀費用および借金を上回れば,それを支払うことはできるわけですから,先に相続できる遺産の額をレベッカが知りたかったという点は,理解できないわけではありません。したがってレベッカは,もしも葬儀費用と借金を支払った後に残る遺産の額が僅かであったり,むしろ支払わなければならない額の方が多くなった場合には,当初から遺産を相続する権利そのものを放棄するつもりであったものと僕は思います。
                            
 レベッカが請求を拒絶している間に,スペイクはハーグDen Haagの裁判所から,スピノザの遺品を公売所で競売に出す権限を与えられました。なので実際に多くの品物を競売に付しました。コレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaによれば,この競売が行われたのは1677年11月4日であったとされています。つまりスピノザが死んでから9ヶ月弱後のことになります。レベッカとダニエルが請求に応じなかった期間というのも,それと同じだけのものであったと考えてよいでしょう。この競売の売上金はスペイクに届けられたのだけれども,その場でレベッカに差し押さえられたと書かれています。これがどういう意味なのかも分かりません。文章の全体からは,スペイクが依頼して公売所で競売が行われ,その売上金がスペイクの家に届けられたというように読めるのですが,その届けられた売上金をレベッカが差し押さえたのだとすれば,スペイクの家で差し押さえたということになりますが,そんなことが可能なのかとても疑問に思えるからです。したがって差し押さえたということの意味は,その売上金をスペイクが使うことを禁止したとか,そのような法的命令を用意してスペイクに伝達したというようなことなのかもしれません。
コメント
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