22日に北國新聞会館で指された第50期棋王戦五番勝負第二局。
増田康宏八段に先手で角換わりを目指しましたが,☗2六歩保留型だったために後手の藤井聡太棋王が拒否して雁木。先手も雁木に構える将棋になりました。
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ここで☗7五歩と打ったことにより大決戦に進みました。
☖同角☗同角☖同飛で角交換。そこで先手は☗5四歩と伸ばしました。
後手は☖5七歩☗同金☖6五桂と反撃。☗同銀に☖4八角と飛車銀両取りをかけました。
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このように進んで先手は苦しくなってしまいました。
上図ではAbemaのAIは☗1五歩☖同歩☗1四歩というのを示していましたが,これは茫洋としていてどういう効果があるのかが分かりません。解説で有力とされていたのは☗4四歩で,☖同銀なら☗3四歩☖2五桂☗4五桂,☖同飛なら単に☗4五桂でしたが,これは先手は自信がなかったようです。ということで途中の☗5四歩と伸ばしたところで☗6六角と打ってしまう手があり,そちらを選択するべきだったという結論になりました。
藤井棋王が連勝。第三局は来月2日に指される予定です。
受動感情は明瞭判然と認識されれば受動passioであることをやめるのですが,それは当座限りであって,それでもう受動感情に刺激されるafficiことがなくなるわけではないのは,第四部定理一にあるように,明瞭判然とした認識cognitioはそれが明瞭判然であるということをもって,誤った観念idea falsaに含まれる積極的なものを除去することができないからです。この定理Propositioの意味は,ある人間の精神mens humanaのうちにあるXの真の観念idea veraは,同じ人間の精神のうちにあるXの誤った観念を除去することはできないということであり,したがって同じ人間の精神のうちに,Xの真の観念とXの誤った観念が同時に存在する場合があるということですが,これは第一の意味であって,ある人間の精神のうちにXの真の観念があるからといって,その人間がXの誤った観念を形成するという場合もあるという,第二の意味も含みます。この定理に後者の意味も含まれるということはかつて考察してありますから,ここでそれを繰り返すことはしません。したがって,ある人間の精神のうちにあるXの真の観念は,同じ人間の精神のうちに現在するXの誤った観念を除去することはできず,また同じ人間の精神のうちにXの誤った観念が発生することを防ぐこともできないのです。
したがって,Xの誤った観念,吉田が示している例だと菊の花の表象像imagoがそれに該当しますが,このXの誤った観念がそれを認識するcognoscere人間のうちである感情affectusと結びついているとき,Xの真の観念は,その限りでその感情を受動であることをやめさせることができるのですが,それはXの誤った観念と受動感情の結びつきを破壊するという意味ではありません。むしろこの人間は,Xの誤った観念を形成するならその受動感情に刺激されることになりますし,かつXの真の観念はXの誤った観念の発生を防ぐこともできないので,Xの真の観念を有した後もこの人間はXの誤った観念を形成する場合があるのであって,そのときにはその誤った観念と結びついている受動感情に刺激されることになるのです。かくして第四部定理六にあるように,こうした受動感情は執拗に人間につきまとうことになります。人間がXを真に認識する力potentiaを上回っているからです。
増田康宏八段に先手で角換わりを目指しましたが,☗2六歩保留型だったために後手の藤井聡太棋王が拒否して雁木。先手も雁木に構える将棋になりました。
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ここで☗7五歩と打ったことにより大決戦に進みました。
☖同角☗同角☖同飛で角交換。そこで先手は☗5四歩と伸ばしました。
後手は☖5七歩☗同金☖6五桂と反撃。☗同銀に☖4八角と飛車銀両取りをかけました。
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このように進んで先手は苦しくなってしまいました。
上図ではAbemaのAIは☗1五歩☖同歩☗1四歩というのを示していましたが,これは茫洋としていてどういう効果があるのかが分かりません。解説で有力とされていたのは☗4四歩で,☖同銀なら☗3四歩☖2五桂☗4五桂,☖同飛なら単に☗4五桂でしたが,これは先手は自信がなかったようです。ということで途中の☗5四歩と伸ばしたところで☗6六角と打ってしまう手があり,そちらを選択するべきだったという結論になりました。
藤井棋王が連勝。第三局は来月2日に指される予定です。
受動感情は明瞭判然と認識されれば受動passioであることをやめるのですが,それは当座限りであって,それでもう受動感情に刺激されるafficiことがなくなるわけではないのは,第四部定理一にあるように,明瞭判然とした認識cognitioはそれが明瞭判然であるということをもって,誤った観念idea falsaに含まれる積極的なものを除去することができないからです。この定理Propositioの意味は,ある人間の精神mens humanaのうちにあるXの真の観念idea veraは,同じ人間の精神のうちにあるXの誤った観念を除去することはできないということであり,したがって同じ人間の精神のうちに,Xの真の観念とXの誤った観念が同時に存在する場合があるということですが,これは第一の意味であって,ある人間の精神のうちにXの真の観念があるからといって,その人間がXの誤った観念を形成するという場合もあるという,第二の意味も含みます。この定理に後者の意味も含まれるということはかつて考察してありますから,ここでそれを繰り返すことはしません。したがって,ある人間の精神のうちにあるXの真の観念は,同じ人間の精神のうちに現在するXの誤った観念を除去することはできず,また同じ人間の精神のうちにXの誤った観念が発生することを防ぐこともできないのです。
したがって,Xの誤った観念,吉田が示している例だと菊の花の表象像imagoがそれに該当しますが,このXの誤った観念がそれを認識するcognoscere人間のうちである感情affectusと結びついているとき,Xの真の観念は,その限りでその感情を受動であることをやめさせることができるのですが,それはXの誤った観念と受動感情の結びつきを破壊するという意味ではありません。むしろこの人間は,Xの誤った観念を形成するならその受動感情に刺激されることになりますし,かつXの真の観念はXの誤った観念の発生を防ぐこともできないので,Xの真の観念を有した後もこの人間はXの誤った観念を形成する場合があるのであって,そのときにはその誤った観念と結びついている受動感情に刺激されることになるのです。かくして第四部定理六にあるように,こうした受動感情は執拗に人間につきまとうことになります。人間がXを真に認識する力potentiaを上回っているからです。