6日と7日に日比谷で指された第27期竜王戦七番勝負第三局。
糸谷哲郎七段の先手で角換り相腰掛銀。森内俊之竜王は先後同型を選択。先手の定跡の仕掛けの中途に反撃に出るという指し方から激戦に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/cc/5a9db9cebeb5c970a98d805eb5f38910.png)
先手が4三から角を成り返ってと金を取ったのに対し,後手が銀を打った局面。ここで☗7六同馬と指せば,どちらが勝つかは別に,収束の段階に入ります。指し手が☗8六馬であったということは,先手はすぐに決着をつけるのは自身にとって好ましくなく,結論を引き延ばさなければならない局面であると認識していたことになります。その認識が,これ以降の先手の指し手の理解の前提となるでしょう。
☖7八馬☗同玉☖6七金☗8八玉☖8七歩☗9七玉☖7七銀不成の進展。9七に逃げることが優先になりそうですから,この間の先手の指し手はすべて必然であったと思います。
ここで☗8四桂と打ち☖8ニ王☗8三歩☖9三王☗9五歩と進めたのは,部分的には損な面もありますが,先手玉の兼ね合いからいえば,むしろ才能の発露といえると思います。後手は☖8六銀成☗同銀☖8八歩成と進めましたが,これは開き直った手順といえそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/66/852394e0718b8219b3d15f6646f66ff6.png)
先手は☗同玉。これでまた結論を引き延ばせると考えたものと思いますが☖7七角と打たれ,逆に決着をつけられてしまうことになりました。角打ち自体か,7一の飛車が利いてくることか,どちらかをうっかりしたのではないでしょうか。
森内竜王が勝って1勝2敗。第四局は20日と21日です。
今日からは第一部定義三をテーマに設定し,これについて考えていくこととします。
「実体とは,それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの,言いかえればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの,と解する」。
「解するintelligere」という形式の命題が定義Definitioとしてそれ自体で成立することは,すでに説明した通りです。
今回も前回と同様に,最後のまとめを省略するつもりです。ですからまず考察内容の概略から説明します。
これから考えていくのは,この定義の妥当性に関してです。僕はこれが実体substantiaの定義として妥当であると考えています。したがって,これを転覆するという意図はいささかも有していません。むしろこの定義を補強していくことが,考察の主要な内容になります。
一読すると理解できるように,この定義はふたつのことをいっています。ひとつは実体というのがそれ自身のうちにあるesse in seものであるということです。そしてもうひとつは,実体はそれ自身によって概念されるということです。スピノザによる事物の定義は,定義される事物の本性essentiaと発生を含むということをその要件とします。このうち,それ自身のうちにあるということは,それ自体で発生を含んでいると僕は理解します。なぜなら,もしもあるものがほかのもののうちにあるならば,それはそのほかのものによって産出され得ます。しかしそれ自身のうちにある場合には,そうしたことは不可能です。ですからそれ自身のうちにあるものの発生は,それ自身によって説明されなければなりません。いい換えれば,もしもあるものがそれ自身のうちにあるのであれば,そのものは自己原因causa suiであることになります。後に詳しく説明するでしょうが,この定義は実在的な定義ではないので,実体なるものが存在するということは前提されません。つまりそれ自身のうちにあるものの実在性realitasは問われないのです。ですからそれ自身のうちにあるものが存在するとすれば,それは自己原因でなければならないというように理解できるだけで十分なのであり,実際にそのように理解することができると僕は考えます.なので発生に関してはこれ以上は問題にはしません。
糸谷哲郎七段の先手で角換り相腰掛銀。森内俊之竜王は先後同型を選択。先手の定跡の仕掛けの中途に反撃に出るという指し方から激戦に。
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先手が4三から角を成り返ってと金を取ったのに対し,後手が銀を打った局面。ここで☗7六同馬と指せば,どちらが勝つかは別に,収束の段階に入ります。指し手が☗8六馬であったということは,先手はすぐに決着をつけるのは自身にとって好ましくなく,結論を引き延ばさなければならない局面であると認識していたことになります。その認識が,これ以降の先手の指し手の理解の前提となるでしょう。
☖7八馬☗同玉☖6七金☗8八玉☖8七歩☗9七玉☖7七銀不成の進展。9七に逃げることが優先になりそうですから,この間の先手の指し手はすべて必然であったと思います。
ここで☗8四桂と打ち☖8ニ王☗8三歩☖9三王☗9五歩と進めたのは,部分的には損な面もありますが,先手玉の兼ね合いからいえば,むしろ才能の発露といえると思います。後手は☖8六銀成☗同銀☖8八歩成と進めましたが,これは開き直った手順といえそうです。
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先手は☗同玉。これでまた結論を引き延ばせると考えたものと思いますが☖7七角と打たれ,逆に決着をつけられてしまうことになりました。角打ち自体か,7一の飛車が利いてくることか,どちらかをうっかりしたのではないでしょうか。
森内竜王が勝って1勝2敗。第四局は20日と21日です。
今日からは第一部定義三をテーマに設定し,これについて考えていくこととします。
「実体とは,それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの,言いかえればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの,と解する」。
「解するintelligere」という形式の命題が定義Definitioとしてそれ自体で成立することは,すでに説明した通りです。
今回も前回と同様に,最後のまとめを省略するつもりです。ですからまず考察内容の概略から説明します。
これから考えていくのは,この定義の妥当性に関してです。僕はこれが実体substantiaの定義として妥当であると考えています。したがって,これを転覆するという意図はいささかも有していません。むしろこの定義を補強していくことが,考察の主要な内容になります。
一読すると理解できるように,この定義はふたつのことをいっています。ひとつは実体というのがそれ自身のうちにあるesse in seものであるということです。そしてもうひとつは,実体はそれ自身によって概念されるということです。スピノザによる事物の定義は,定義される事物の本性essentiaと発生を含むということをその要件とします。このうち,それ自身のうちにあるということは,それ自体で発生を含んでいると僕は理解します。なぜなら,もしもあるものがほかのもののうちにあるならば,それはそのほかのものによって産出され得ます。しかしそれ自身のうちにある場合には,そうしたことは不可能です。ですからそれ自身のうちにあるものの発生は,それ自身によって説明されなければなりません。いい換えれば,もしもあるものがそれ自身のうちにあるのであれば,そのものは自己原因causa suiであることになります。後に詳しく説明するでしょうが,この定義は実在的な定義ではないので,実体なるものが存在するということは前提されません。つまりそれ自身のうちにあるものの実在性realitasは問われないのです。ですからそれ自身のうちにあるものが存在するとすれば,それは自己原因でなければならないというように理解できるだけで十分なのであり,実際にそのように理解することができると僕は考えます.なので発生に関してはこれ以上は問題にはしません。
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