5日と6日に立川で指された第74期王将戦七番勝負第三局。
永瀬拓矢九段の先手で角換わり。先手の腰掛銀に対し後手の藤井聡太王将の右玉という戦型になりました。
この将棋はAIの判断と人間的な判断の差が大きく出る一局でした。
後手はこの局面で☖3六歩と打ちました。囲碁将棋チャンネルのAIによればこの手は疑問手。ここは☖5五歩が最善でそれなら互角。この手によって先手が60-40ほどのリードを奪っていると示しました。
そこから15手ほど進んで下図に。必然の進行ではありませんが,上図で後手が想定していた局面のひとつで,この順を最も深く読んでいたのではないかと推測します。ここまで進んでAIは先手が70-30に近いリードという判断。
ここで☗6二銀不成☖同金と捨てて☗5一飛と打つのがAI推奨の手順で,これがリードを保つ唯一の手段。ただこの手は人間には思い浮かび難い手で,実戦も時間を残していた先手はさほど時間を使わずに☗4四桂と取っています。しかしこの手だとAIは後手有利を示しました。
下図で☗6二銀不成は浮かびにくいので,後手もこの順に進めたわけですし,先手が逃したのは仕方がないと思います。なので上図での☖3六歩はむしろこの将棋の勝着といえるでしょう。その時点で下図まで読み,そこで☗4四桂なら後手玉が簡単には寄らないということまで読んでいた後手の読みが素晴らしかったと思います。
藤井王将が勝って3連勝。第四局は15日と16日に指される予定です。
神Deusがなければ延長の属性Extensionis attributumはあることも考えるconcipereこともできないということは明白であるとしても,延長の属性がなければ神はあることも考えることもできないということについては,いくらかの疑問をもたれる方がいらっしゃるかもしれません。たとえば思惟の属性Cogitationis attributumは神の本性essentiaを構成するのだから,思惟の属性があれば神はあることも考えることもできるので,別に延長の属性がなかったとしても,神はあることも考えることもできるというようにいうことができそうだからです。しかし実際はそうではありません。なぜそうではないのかということは,ふたつの観点から考えることができます。
まず第一点として,第一部定義六により,神は無限に多くの属性infinitis attributisによってその本性を構成されるのでなければなりません。よって神があるためには,また神を十全に概念するconcipereためには,無限に多くの属性があるということを十全に概念する必要があるのであって,その無限に多くの属性のどれひとつが欠けても,神はあることも考えることもできないといわなければならないでしょう。そこでもしも延長の属性が神の本性を構成する無限に多くの属性のひとつであったとしたら,それがなければ無限に多くの属性によって本性を構成される神はあることも考えることもできないでしょう。したがって延長の属性がなければ,神はあることも考えることもできないという結論になるのです。
ただし,第二部公理五の意味からして,僕たちが認識するcognoscereことができる属性は,思惟の属性と延長の属性だけである上に,第一部公理五により,ある属性の認識cognitioは他の属性の認識には依存しません。したがって,延長の属性によってありまた考えられる神というのは,無限に多くの属性によって本性を構成される神というよりも,延長の属性によって説明される限りでの神です。こう考えれば,延長の属性がなければ神があることも考えることもできないということは明白でしょう。延長の属性によって説明される限りでの神が,延長の属性なしにあることができるわけはないですし,考えることもできるわけもないからです。
このふたつは実は違った観点を有しているのではないかと僕は思っています。
永瀬拓矢九段の先手で角換わり。先手の腰掛銀に対し後手の藤井聡太王将の右玉という戦型になりました。
この将棋はAIの判断と人間的な判断の差が大きく出る一局でした。
後手はこの局面で☖3六歩と打ちました。囲碁将棋チャンネルのAIによればこの手は疑問手。ここは☖5五歩が最善でそれなら互角。この手によって先手が60-40ほどのリードを奪っていると示しました。
そこから15手ほど進んで下図に。必然の進行ではありませんが,上図で後手が想定していた局面のひとつで,この順を最も深く読んでいたのではないかと推測します。ここまで進んでAIは先手が70-30に近いリードという判断。
ここで☗6二銀不成☖同金と捨てて☗5一飛と打つのがAI推奨の手順で,これがリードを保つ唯一の手段。ただこの手は人間には思い浮かび難い手で,実戦も時間を残していた先手はさほど時間を使わずに☗4四桂と取っています。しかしこの手だとAIは後手有利を示しました。
下図で☗6二銀不成は浮かびにくいので,後手もこの順に進めたわけですし,先手が逃したのは仕方がないと思います。なので上図での☖3六歩はむしろこの将棋の勝着といえるでしょう。その時点で下図まで読み,そこで☗4四桂なら後手玉が簡単には寄らないということまで読んでいた後手の読みが素晴らしかったと思います。
藤井王将が勝って3連勝。第四局は15日と16日に指される予定です。
神Deusがなければ延長の属性Extensionis attributumはあることも考えるconcipereこともできないということは明白であるとしても,延長の属性がなければ神はあることも考えることもできないということについては,いくらかの疑問をもたれる方がいらっしゃるかもしれません。たとえば思惟の属性Cogitationis attributumは神の本性essentiaを構成するのだから,思惟の属性があれば神はあることも考えることもできるので,別に延長の属性がなかったとしても,神はあることも考えることもできるというようにいうことができそうだからです。しかし実際はそうではありません。なぜそうではないのかということは,ふたつの観点から考えることができます。
まず第一点として,第一部定義六により,神は無限に多くの属性infinitis attributisによってその本性を構成されるのでなければなりません。よって神があるためには,また神を十全に概念するconcipereためには,無限に多くの属性があるということを十全に概念する必要があるのであって,その無限に多くの属性のどれひとつが欠けても,神はあることも考えることもできないといわなければならないでしょう。そこでもしも延長の属性が神の本性を構成する無限に多くの属性のひとつであったとしたら,それがなければ無限に多くの属性によって本性を構成される神はあることも考えることもできないでしょう。したがって延長の属性がなければ,神はあることも考えることもできないという結論になるのです。
ただし,第二部公理五の意味からして,僕たちが認識するcognoscereことができる属性は,思惟の属性と延長の属性だけである上に,第一部公理五により,ある属性の認識cognitioは他の属性の認識には依存しません。したがって,延長の属性によってありまた考えられる神というのは,無限に多くの属性によって本性を構成される神というよりも,延長の属性によって説明される限りでの神です。こう考えれば,延長の属性がなければ神があることも考えることもできないということは明白でしょう。延長の属性によって説明される限りでの神が,延長の属性なしにあることができるわけはないですし,考えることもできるわけもないからです。
このふたつは実は違った観点を有しているのではないかと僕は思っています。
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