昨晩の第3回ゴールドジュニア。
ピノホホッア,サンドエンプレス,ポリゴンウェイヴ,枠入りを嫌っていたポーラチュカが出ていき,この4頭が先行集団。3馬身差でナックサンライズ。6番手にグリーリー。7番手にキュアドリーム。発馬が一番よかったジンステージは8番手。9番手にリベイクフルシティ。3馬身差でロアリングルックスとブルマリンシェールとラドリオの3頭が最後尾を追走。前半の600mは34秒2のハイペース。
先行争いに決着をつけたのはサンドエンプレスで,それにポリゴンウェイヴ,ポーラチュカの3頭が雁行で直線へ。ピノホホッアは内の4番手。直線に入るとポリゴンウェイヴがサンドエンプレスの前に出て先頭。外から追うポーラチュカも振り切りました。追ってきたのは後方に控えていたリベイクフルシティで,強烈な差し脚で抜け出したポリゴンウェイヴを差し切って優勝。ポリゴンウェイヴが半馬身差で2着。内で一旦は控えたピノホホッアが直線はまた巻き返して3馬身差の3着。
優勝したリベイクフルシティは6月にデビューしてから3連勝でこのレースへ。デビューからの連勝を4に伸ばしての南関東重賞制覇。このレースはこの馬と連勝中だったナックサンライズ,そして北海道からの移籍初戦を勝っていたポリゴンウェイヴの3頭が上位。そのうちの2頭で決まりましたので,順当といってよいでしょう。ペースの関係もあり,控えたリベイクフルシティの方が有利になったという面がありますので,はっきりとして能力の差があるというわけではないと思います。
騎乗した大井の和田譲治騎手はプラチナカップ以来の南関東重賞10勝目。ゴールドジュニアは初勝利。管理している大井の宗形竹見調教師は南関東重賞3勝目。ゴールドジュニアは初勝利。
『国家論Tractatus Politicus』では,人間がひとりでいるときは自然権jus naturaeがない,自然権を行使することがほとんどできないのであって,社会societasが形成されることによって社会の一員としての人間が自然権を有するようになる,自然権を行使することができるようになるということになっていますから,国家Imperiumにおいても自然権をそっくりそのまま残しているといういい方は,解釈上は成立しません。そっくりそのまま残っているというなら,人間がひとりでいるときに有している自然権と同じだけの権利が,社会の一員としての人間にも与えられているというように解釈するのが妥当であるからです。ただ,書簡五十の主旨は,自然権がいかなるものかという点にあるのではなく,それについてスピノザがどの点でホッブズThomas Hobbesと違った考えを有しているのかを説明する点にあります。つまりここでは自然権そのものというより,スピノザが解する自然権とホッブズが解する自然権について記述されているのです。したがってここから理解することができるのは,社会の一員としての人間には自然権が与えられていないというようにホッブズは考えているということです。より正確にいえば,ホッブズはそのように主張しているとスピノザは解しているということです。
これは乱暴な要約ですが,スピノザはおそらくホッブズの考え方を以下のように解しているのです。
人間はひとりでいるときには,個々の人間が思い思いに自身がなしたいことをなします。つまりそれが能動actioであるか受動passioであるかは関係なく,諸個人がそれぞれの欲望cupiditasに従って生きることになります。この状態をホッブズは,各々の人間が自然権を行使する状態と解し,この状態のことを人間の自然状態status naturalisと規定するのです。この状態にあるとき,ある人間の欲望と別の人間の欲望は対立的であり得ますし,現にそういう場合が多いでしょう。いわゆる万人の万人に対する戦いという状態がこれです。そこで人間はこの状態を解消するために社会契約を結ぶことになるのですが,そのときに諸個人が自らの自然権,つまり欲望に従って生きる権利を放棄するというようにホッブズは解します。よって社会の一員としての人間は,自然権を有しません。
ピノホホッア,サンドエンプレス,ポリゴンウェイヴ,枠入りを嫌っていたポーラチュカが出ていき,この4頭が先行集団。3馬身差でナックサンライズ。6番手にグリーリー。7番手にキュアドリーム。発馬が一番よかったジンステージは8番手。9番手にリベイクフルシティ。3馬身差でロアリングルックスとブルマリンシェールとラドリオの3頭が最後尾を追走。前半の600mは34秒2のハイペース。
先行争いに決着をつけたのはサンドエンプレスで,それにポリゴンウェイヴ,ポーラチュカの3頭が雁行で直線へ。ピノホホッアは内の4番手。直線に入るとポリゴンウェイヴがサンドエンプレスの前に出て先頭。外から追うポーラチュカも振り切りました。追ってきたのは後方に控えていたリベイクフルシティで,強烈な差し脚で抜け出したポリゴンウェイヴを差し切って優勝。ポリゴンウェイヴが半馬身差で2着。内で一旦は控えたピノホホッアが直線はまた巻き返して3馬身差の3着。
優勝したリベイクフルシティは6月にデビューしてから3連勝でこのレースへ。デビューからの連勝を4に伸ばしての南関東重賞制覇。このレースはこの馬と連勝中だったナックサンライズ,そして北海道からの移籍初戦を勝っていたポリゴンウェイヴの3頭が上位。そのうちの2頭で決まりましたので,順当といってよいでしょう。ペースの関係もあり,控えたリベイクフルシティの方が有利になったという面がありますので,はっきりとして能力の差があるというわけではないと思います。
騎乗した大井の和田譲治騎手はプラチナカップ以来の南関東重賞10勝目。ゴールドジュニアは初勝利。管理している大井の宗形竹見調教師は南関東重賞3勝目。ゴールドジュニアは初勝利。
『国家論Tractatus Politicus』では,人間がひとりでいるときは自然権jus naturaeがない,自然権を行使することがほとんどできないのであって,社会societasが形成されることによって社会の一員としての人間が自然権を有するようになる,自然権を行使することができるようになるということになっていますから,国家Imperiumにおいても自然権をそっくりそのまま残しているといういい方は,解釈上は成立しません。そっくりそのまま残っているというなら,人間がひとりでいるときに有している自然権と同じだけの権利が,社会の一員としての人間にも与えられているというように解釈するのが妥当であるからです。ただ,書簡五十の主旨は,自然権がいかなるものかという点にあるのではなく,それについてスピノザがどの点でホッブズThomas Hobbesと違った考えを有しているのかを説明する点にあります。つまりここでは自然権そのものというより,スピノザが解する自然権とホッブズが解する自然権について記述されているのです。したがってここから理解することができるのは,社会の一員としての人間には自然権が与えられていないというようにホッブズは考えているということです。より正確にいえば,ホッブズはそのように主張しているとスピノザは解しているということです。
これは乱暴な要約ですが,スピノザはおそらくホッブズの考え方を以下のように解しているのです。
人間はひとりでいるときには,個々の人間が思い思いに自身がなしたいことをなします。つまりそれが能動actioであるか受動passioであるかは関係なく,諸個人がそれぞれの欲望cupiditasに従って生きることになります。この状態をホッブズは,各々の人間が自然権を行使する状態と解し,この状態のことを人間の自然状態status naturalisと規定するのです。この状態にあるとき,ある人間の欲望と別の人間の欲望は対立的であり得ますし,現にそういう場合が多いでしょう。いわゆる万人の万人に対する戦いという状態がこれです。そこで人間はこの状態を解消するために社会契約を結ぶことになるのですが,そのときに諸個人が自らの自然権,つまり欲望に従って生きる権利を放棄するというようにホッブズは解します。よって社会の一員としての人間は,自然権を有しません。
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