スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

雲取賞&イニシアチブ

2025-02-19 18:44:04 | 地方競馬
 第7回雲取賞
 キングオブワールドは両サイドの馬から挟まれる発馬で1馬身の不利。すぐにスマイルマンボが先頭に。2番手は1コーナーを出たあたりでシビックドリームとアクナーテンの併走となり,4番手もリコースパローとジャナドリアで併走。3馬身差でケンシレインボー。以下は1馬身差でグランジョルノ,タイセイカレント,ペピタドーロと続き,4馬身差でプレミアムハンド。向正面で巻き返していったキングオブワールドがその直後まで追い上げ,5馬身差の最後尾にオンリーユーズドという隊列に。最初の800mは50秒7のミドルペース。
 3コーナーからスマイルマンボ,シビックドリーム,アクナーテンが雁行となり,さらに外からジャナドリア。コーナーワークで直線ではスマイルマンボが一旦は差を広げましたが,外を回ったジャナドリアが追い上げ,残り100m付近でスマイルマンボを差し,そのまま抜け出して優勝。勝ち馬のさらに外から追い上げてきたグランジョルノが1馬身4分の3差で2着。逃げたスマイルマンボが4分の3馬身差で3着。
 優勝したジャナドリアはデビューから3連勝で重賞制覇。1勝クラスの勝ち方が強かったので,実績はあるグランジョルノよりも能力は上で,最有力候補ではないかとみていました。末脚が確かな馬ですが,ここはわりと前の位置でレースを進められ,それがより生きる展開に。ダートのクラシック路線を目指すとのことで,有力馬になったといえるでしょうが,速いタイムに対しての裏付けはまだありませんから,速いタイムが出るような馬場状態になったときに対応できるのかという点は未知数です。父は2017年のJRA賞で最優秀ダートホースに選出されたゴールドドリームでその父がゴールドアリュール。11歳上の半姉が2014年に関東オークスを勝ったエスメラルディーナ。Janadriyahはサウジアラビアの祭典。
 今年からSPAT4のPOGはJRA所属馬も指名できるようになりました。ジャナドリアは僕の指名馬です。指名馬に対する評価である点に留意してください。
                            
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手と管理している武井亮調教師は雲取賞初制覇。

 表現として個物res singularisを産出しないような神Deusは存在しません。一方で神なしには,第一部定理二五系でいわれているような神を表現するexprimuntur表現者としての個物Res particularesはあることも考えるconcipereこともできません。つまりスピノザの哲学においては表現を介在して神と個物は表裏一体の関係にあると吉田は指摘しています。この指摘も,ドゥルーズGille Deleuzeと一致しています。そしてこのように解するときに重要なのは,この表現のイニシアチブがどちらかにあるというわけではないということです。再び画家の例を用いれば,画家は絵画を描かずにはいられないのですから,描くという表現においてイニシアチブを握っているとはいえません。しかし画家が描かなければ絵画は存在し得ないのですから,絵画がイニシアチブを握っているとはいえないでしょう。これと同じように,神は自身の力potentiaを表現しないことはできないのですから,この表現においてはイニシアチブを握っているわけではありません。しかし神が力を表現しなければ個物は存在し得ませんから,個物がイニシアチブを握っているともいえないのです。
 よって神と個物の関係は,表現を介して,同時発生的でかつ同源的な関係にあると考えなければなりません。したがって,スピノザの哲学において世界の存在existentiaというのは,神と個物の関係を創造主creaturaと被造物creatorとみた場合に示されたような,どこか余計な存在ではありません。むしろ世界のうちにあるありとあらゆる個物は,そしてその個物の総体としての世界というのは,その本性essentiaに存在が含まれているもの,第一部定義一における自己原因causam suiではないものの,たとえばライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizがそういうような神の善意とか,あるいはデカルトRené Descartesがそういうような神の自由意志voluntas liberaといったようなものでたまたま,そういってよければ気まぐれに存在しているというわけでもないのであって,個物モードの神として,神自身の力によって必然的にnecessario存在しているのです。つまりスピノザの哲学における世界というのは,神による被造物などではありません。むしろそれは世界モードの神,書簡六十四でスピノザ自身が示しているような,間接無限モードとしての神そのものなのです。
 この部分の考察はこれで終了とします。

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