一昨日から昨日にかけて佐渡島で指された第66期王将戦七番勝負第五局。
郷田真隆王将の先手で久保利明九段のごきげん中飛車。①-Bの変化から先手がかなり積極的に仕掛けていく将棋に。ただ後手がうまく対応して,一時的には指しやすくなっていたように思います。ですがその後の中盤の指し方に問題があって苦しくしたということだったのではないでしょうか。

先手がと金を作った局面。ここで☖3七歩と垂らしましたが,これがよくなかったのかもしれません。代替案としては☖3六銀と出る手と☖5六歩と中央を攻める手のふたつが考えられるでしょう。
先手は☗2六飛と取りました。後手はすぐに☖3八歩成と成り捨てて☗同金に☖3四歩ですが,銀は取れても大きな得にはなっていなかったようです。
ここから☗3七桂☖4四銀☗2二歩☖3五歩☗2一歩成☖3六歩☗同飛まで必然的な応酬だったように思うのですが,ここでは先手の飛車が直通しているのですぐに☖2一金と取れず☖3五銀と打たなければなりませんでした。
☗1六飛はたぶんこう逃げるところで後手は☖2一金と取りました。そこで先手は☗3六歩と打ち☖4四銀の撤退に☗2六飛。

第2図まで進んでは先手の方が指しやすそうです。後手は☖4四銀と引かずに☖2六銀と出てしまい,☗2七歩なら☖3七銀成☗同金と駒損になりますが飛車を使いにくくさせた方がまだよかったかもしれません。
この後,先手が飛車の成り込みに成功したあたりでは後手は粘るだけになってしまうのではないかと思いましたが,終盤は思いのほか後手が追い込みました。ただ逆転には至っていなかったのではないでしょうか。
郷田王将が勝って2勝3敗。第六局は14日と15日です。
スぺイクがスピノザによるケッテルリンフへの助言をコレルスJohannes Colerusに証言したとき,スピノザがキリスト教への信仰fidesを有していなかったということがこの逸話の暗黙の前提となっていることに気付いていなかった可能性はあると思います。スピノザのことを敬愛していたスぺイクには,コレルスにもスピノザに対していい印象を抱いてほしいと思い,それに沿って証言する動機があったと考えられますが,スピノザはキリスト教を信仰していなかったという事実は,むしろコレルスのスピノザに対する印象を悪くするであろうからです。
しかしスぺイクがその前提に気付いていなかったなら,それはむしろその逸話が事実であったという可能性を高めるのではないかと思います。なぜならもしこれがスぺイクによる創作であったとするなら,その場合にはスぺイクがその前提に気が付かないという方が不自然であるからです。僕のように完全な第三者の立場にある人間が,この部分の記述を読めばスピノザはキリスト教を信仰していなかったということが分かるのですから,この話がスぺイクの創作による物語であったなら,その物語の作者であるスぺイクがも当然そのことに気付く筈だからです。よってこの物語はコレルスに話すには相応しくないとスぺイクは判断することになるでしょう。しかし実際はスぺイクはそれを証言したのですから,これは物語ではなく事実であったと判断するのが妥当であると僕は考えます。
したがって,この逸話の暗黙の前提になっている事柄を,スぺイクが気付いていたとしてもいなかったとしても,多少の脚色は含まれているかもしれませんが,逸話の大筋は事実であったと解してよいでしょう。つまりケッテルリンフは事実としてスピノザに相談したのだし,スピノザは記述されているような内容の解答をしたのです。スピノザがキリスト教を信仰していないということがこの逸話に含まれていることを,スぺイクが気付かなかったのなら,それはスぺイクの創作ではあり得ません。もし気付いていたのなら,創作ではなかったから証言したのだというように解せるからです。
この前提が,ほかの部分の読解に影響すると僕は考えています。
郷田真隆王将の先手で久保利明九段のごきげん中飛車。①-Bの変化から先手がかなり積極的に仕掛けていく将棋に。ただ後手がうまく対応して,一時的には指しやすくなっていたように思います。ですがその後の中盤の指し方に問題があって苦しくしたということだったのではないでしょうか。

先手がと金を作った局面。ここで☖3七歩と垂らしましたが,これがよくなかったのかもしれません。代替案としては☖3六銀と出る手と☖5六歩と中央を攻める手のふたつが考えられるでしょう。
先手は☗2六飛と取りました。後手はすぐに☖3八歩成と成り捨てて☗同金に☖3四歩ですが,銀は取れても大きな得にはなっていなかったようです。
ここから☗3七桂☖4四銀☗2二歩☖3五歩☗2一歩成☖3六歩☗同飛まで必然的な応酬だったように思うのですが,ここでは先手の飛車が直通しているのですぐに☖2一金と取れず☖3五銀と打たなければなりませんでした。
☗1六飛はたぶんこう逃げるところで後手は☖2一金と取りました。そこで先手は☗3六歩と打ち☖4四銀の撤退に☗2六飛。

第2図まで進んでは先手の方が指しやすそうです。後手は☖4四銀と引かずに☖2六銀と出てしまい,☗2七歩なら☖3七銀成☗同金と駒損になりますが飛車を使いにくくさせた方がまだよかったかもしれません。
この後,先手が飛車の成り込みに成功したあたりでは後手は粘るだけになってしまうのではないかと思いましたが,終盤は思いのほか後手が追い込みました。ただ逆転には至っていなかったのではないでしょうか。
郷田王将が勝って2勝3敗。第六局は14日と15日です。
スぺイクがスピノザによるケッテルリンフへの助言をコレルスJohannes Colerusに証言したとき,スピノザがキリスト教への信仰fidesを有していなかったということがこの逸話の暗黙の前提となっていることに気付いていなかった可能性はあると思います。スピノザのことを敬愛していたスぺイクには,コレルスにもスピノザに対していい印象を抱いてほしいと思い,それに沿って証言する動機があったと考えられますが,スピノザはキリスト教を信仰していなかったという事実は,むしろコレルスのスピノザに対する印象を悪くするであろうからです。
しかしスぺイクがその前提に気付いていなかったなら,それはむしろその逸話が事実であったという可能性を高めるのではないかと思います。なぜならもしこれがスぺイクによる創作であったとするなら,その場合にはスぺイクがその前提に気が付かないという方が不自然であるからです。僕のように完全な第三者の立場にある人間が,この部分の記述を読めばスピノザはキリスト教を信仰していなかったということが分かるのですから,この話がスぺイクの創作による物語であったなら,その物語の作者であるスぺイクがも当然そのことに気付く筈だからです。よってこの物語はコレルスに話すには相応しくないとスぺイクは判断することになるでしょう。しかし実際はスぺイクはそれを証言したのですから,これは物語ではなく事実であったと判断するのが妥当であると僕は考えます。
したがって,この逸話の暗黙の前提になっている事柄を,スぺイクが気付いていたとしてもいなかったとしても,多少の脚色は含まれているかもしれませんが,逸話の大筋は事実であったと解してよいでしょう。つまりケッテルリンフは事実としてスピノザに相談したのだし,スピノザは記述されているような内容の解答をしたのです。スピノザがキリスト教を信仰していないということがこの逸話に含まれていることを,スぺイクが気付かなかったのなら,それはスぺイクの創作ではあり得ません。もし気付いていたのなら,創作ではなかったから証言したのだというように解せるからです。
この前提が,ほかの部分の読解に影響すると僕は考えています。
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