スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&恐怖

2025-02-21 11:58:58 | 将棋
 17日に指された第14期女流王座戦五番勝負第二局。
 西山朋佳女流三冠が先手で居飛車を選択。後手の福間香奈女流王座のごきげん中飛車で①-Aに。中盤で先手にうっかりがあり,大差になってしまう将棋でした。
                           
 先手が2三に銀を打ち,後手が4四の銀を引いた局面。先手の☗2三銀では☗1五銀と打つ方がよかったようです。
 先手はここで☗4五銀と出ました。☗2三銀からの流れとしては当然なのですが後手に☖8四飛と回る返し技がありました。
 ☗3四銀引成としたものの☖7六銀が炸裂。☗同歩☖8八角成☗同玉☖5五角で王手飛車が決まりました。
                           
 この順をうっかりしていたので☗2三銀だったので,事実上の敗着はそこにあったといえるでしょう。
 福間女流王座が連勝。第三局は来月5日に指される予定です。

 僕が第三部諸感情の定義一三で示されている感情affectusを不安metusと訳しているのはこのような理由です。一方,吉田も不安と訳しているわけですが,その理由は説明されていません。もっともこれは講義がベースとなっているわけで,講義の教科書として岩波文庫版の『エチカ』が使われているわけではありません。ですから聴講生が岩波文庫版では恐怖metusという訳が与えられているということを知っているということが前提となっていないので,吉田が講義の中でその理由を説明していないのは当然であって,むしろ説明した方が不自然だといわなければなりません。ただ,吉田が岩波文庫版の訳を知らないということはあり得ないですから,それと異なった訳を与えていることに理由がないということもないでしょう。そしてそれを推測すれば,僕が示したような理由とそう大きな差はないだろうと思われます。
 一方,畠中は不安ではなく恐怖という訳を与えたわけですが,ラテン語の原語が日本語としてどのような意味に該当するのかということを別にしても,この感情に恐怖という訳を与えていることに理由がないわけではないと僕は考えています。というのも,僕が説明した不安という感情が『エチカ』で有しているような特別の事情というのを考慮せず,この感情をただこの感情して,つまり不確かな過去や未来と関係するような悲しみtristitiaとしてみた場合には,この感情は不安といわれなくもないのですが,恐怖といわれるのが常であるということができるからです。たとえば僕たちが不確かな未来に関する何らかの悲しみ,分かりやすいところで僕たちが死んでしまうということに関するような悲しみは,死への不安といっても成立しないことはないですが,死への恐怖といわれるのが常であるといえるでしょうし,この感情そのものに着目した場合には,その人間が自分の死に不安を感じているというより,自分の死に恐怖を感じているといった方が,ことばとしてはその人間の心情を正しく説明しているといえるでしょう。なのでこの感情は,その感情自体を注視する場合には不安と訳すよりも恐怖と訳した方が適切なのであって,畠中が何か過ちを犯しているというわけではありません。

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