競馬の祭典,第81回東京優駿。ウインフルブルームが出走取消で17頭。
エキマエが先手を奪い,向正面では2番手以下を引き離していくレースに。その2番手にトーセンスターダム。3番手にイスラボニータで,その後ろはサウンズオブアース,ワンアンドオンリー,タガノグランパの3頭。最初の1000mは59秒6で,これでもミドルペース。1頭の大逃げということを考慮に入れれば実質的にはスローペースだったといえるでしょう。
逃げていたエキマエは3コーナーを回ってから故障。トーセンスターダムが先頭で直線に向うことに。イスラボニータは外に出て,すぐに先頭に。真後ろにいたワンアンドオンリーがこれを追い掛けるようにさらに外に出て,ラストはこの2頭が抜け出しての叩き合い。末脚勝負では分があるワンアンドオンリーが残り100m手前で前に出て,最後は4分の3馬身差をつけて優勝。王者らしいレース運びだったイスラボニータが2着。逃げていたトーセンスターダムは直線で内によれて埒に接触。その直後にいたマイネルフロストの前ががら空きになり,ここを突いて1馬身半差の3着。
優勝したワンアンドオンリーは暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークス以来の重賞2勝目で大レース初制覇。今年は雪の影響を受けたものの,弥生賞と皐月賞で差のない競馬。いずれも優れた瞬発力を発揮していて有力視された1頭。これまでとは一変して先行集団でのレースになりましたが,持ち味の末脚が殺がれることはありませんでした。今日のペースでこれまでと同様の競馬では届かなかった可能性もあり,内枠も利した鞍上の好騎乗であったと思います。父はハーツクライ。母の父はタイキシャトル。祖母の半弟にノーリーズン。
騎乗した横山典弘騎手は一昨年のヴィクトリアマイル以来の大レース制覇。第76回以来の日本ダービー2勝目。管理している橋口弘次郎調教師は2009年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース制覇。日本ダービーは20回目のチャレンジで初勝利。
無限であるものは永遠性を有する。このテーゼは成立します。それではこのテーゼの主語と述語を入れ替えた場合はどうなのでしょうか。ある事物が永遠性を有するならば,その事物は無限であるというテーゼは,スピノザの哲学の中で成立しているテーゼなのでしょうか。
もしもこのテーゼが成立するなら,一義性の相違は実際には存在しないといわなければなりません。スピノザがそれに反するようなテクストを残していたとしても,無限であるものが永遠であり,永遠なるものが無限であるならば,無限の一義性と永遠の一義性は同一の事物の間だけで成立するといわなければならないからです。いい換えれば無限性と永遠性がある一群を形成し,また有限性と持続性が別の一群を形成することによって,スピノザの哲学は成立しているということになるからです。そしてこの場合には,永遠の相と持続の相という分類は,無限の相と有限の相という分類に合致することになります。つまり松田がそれら各々の因果性を,数的に区別可能な二種類の因果性として把握することの根拠は,より強まることになるといえるでしょう。
結論からいうなら,僕はこのテーゼは成立しないと考えています。ただ,なぜそれが成立しないと考えるのかということの根拠は,おおよそ無限の一義性や永遠の一義性とはかけ離れた部分にあります。
第二部定理四四系二は,理性の本性は事物を永遠の相の下に認識することにあるといっています。ここでいわれている事物の中には,無限であるものだけが含まれるというわけではありません。個物res singularisも含まれるわけです。res singularisが有限であるということはいうまでもありません。つまり知性は,有限であるres singularisを理性的に認識する限り,それを永遠の相の下に概念するということがこの系には含まれています。というか,これが可能であるということを前提にしておかないと,この系は成立しません。
有限であるものが永遠の相の下に認識され得るのはそのものに永遠性が含まれるからだと僕は解します。なので永遠であるものは無限であるというテーゼは成立しないと理解します。
エキマエが先手を奪い,向正面では2番手以下を引き離していくレースに。その2番手にトーセンスターダム。3番手にイスラボニータで,その後ろはサウンズオブアース,ワンアンドオンリー,タガノグランパの3頭。最初の1000mは59秒6で,これでもミドルペース。1頭の大逃げということを考慮に入れれば実質的にはスローペースだったといえるでしょう。
逃げていたエキマエは3コーナーを回ってから故障。トーセンスターダムが先頭で直線に向うことに。イスラボニータは外に出て,すぐに先頭に。真後ろにいたワンアンドオンリーがこれを追い掛けるようにさらに外に出て,ラストはこの2頭が抜け出しての叩き合い。末脚勝負では分があるワンアンドオンリーが残り100m手前で前に出て,最後は4分の3馬身差をつけて優勝。王者らしいレース運びだったイスラボニータが2着。逃げていたトーセンスターダムは直線で内によれて埒に接触。その直後にいたマイネルフロストの前ががら空きになり,ここを突いて1馬身半差の3着。
優勝したワンアンドオンリーは暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークス以来の重賞2勝目で大レース初制覇。今年は雪の影響を受けたものの,弥生賞と皐月賞で差のない競馬。いずれも優れた瞬発力を発揮していて有力視された1頭。これまでとは一変して先行集団でのレースになりましたが,持ち味の末脚が殺がれることはありませんでした。今日のペースでこれまでと同様の競馬では届かなかった可能性もあり,内枠も利した鞍上の好騎乗であったと思います。父はハーツクライ。母の父はタイキシャトル。祖母の半弟にノーリーズン。
騎乗した横山典弘騎手は一昨年のヴィクトリアマイル以来の大レース制覇。第76回以来の日本ダービー2勝目。管理している橋口弘次郎調教師は2009年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース制覇。日本ダービーは20回目のチャレンジで初勝利。
無限であるものは永遠性を有する。このテーゼは成立します。それではこのテーゼの主語と述語を入れ替えた場合はどうなのでしょうか。ある事物が永遠性を有するならば,その事物は無限であるというテーゼは,スピノザの哲学の中で成立しているテーゼなのでしょうか。
もしもこのテーゼが成立するなら,一義性の相違は実際には存在しないといわなければなりません。スピノザがそれに反するようなテクストを残していたとしても,無限であるものが永遠であり,永遠なるものが無限であるならば,無限の一義性と永遠の一義性は同一の事物の間だけで成立するといわなければならないからです。いい換えれば無限性と永遠性がある一群を形成し,また有限性と持続性が別の一群を形成することによって,スピノザの哲学は成立しているということになるからです。そしてこの場合には,永遠の相と持続の相という分類は,無限の相と有限の相という分類に合致することになります。つまり松田がそれら各々の因果性を,数的に区別可能な二種類の因果性として把握することの根拠は,より強まることになるといえるでしょう。
結論からいうなら,僕はこのテーゼは成立しないと考えています。ただ,なぜそれが成立しないと考えるのかということの根拠は,おおよそ無限の一義性や永遠の一義性とはかけ離れた部分にあります。
第二部定理四四系二は,理性の本性は事物を永遠の相の下に認識することにあるといっています。ここでいわれている事物の中には,無限であるものだけが含まれるというわけではありません。個物res singularisも含まれるわけです。res singularisが有限であるということはいうまでもありません。つまり知性は,有限であるres singularisを理性的に認識する限り,それを永遠の相の下に概念するということがこの系には含まれています。というか,これが可能であるということを前提にしておかないと,この系は成立しません。
有限であるものが永遠の相の下に認識され得るのはそのものに永遠性が含まれるからだと僕は解します。なので永遠であるものは無限であるというテーゼは成立しないと理解します。
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