もしも人間的自由が存在するとすれば,そこには能動的自由と受動的自由のふたつがあるというのが,僕のスピノザが人間についての自由libertasをいう場合の解釈です。まずそのうち,能動的自由について考えてみます。
第二部定理一三は,人間の身体humanum corpusと精神mens humanaが同一個体であることを意味します。第二部定理七は,同一個体の秩序ordoが一致することを示します。したがって人間の能動actioとは,身体の能動であり同時に精神の能動actio Mentisであることになります。よって,能動的自由について考察する場合,身体を対象に据えても精神を対象に据えても,得られる結論は同じことになります。そこでここでは精神の能動,すなわち理性ratioについて考えます。この方が,能動的自由という場合のスピノザ哲学における概念notioがよく理解できると思うからです。
精神の能動といわれたとき,大抵は自由な意志voluntas liberaによって何事かを思惟することをイメージすると思います。とくにここでは能動的自由について考察するのですからなおさらでしょう。でもスピノザの哲学における能動的自由はそのような自由ではあり得ません。これは第一部定理三二から明白です。スピノザはそのような意味での自由意志が存在することを認めていないからです。
第三部定義二から,精神の能動とは,その精神が十全な原因causa adaequataとなって発生する思惟作用のことです。そしてその思惟作用は,ある精神が現実的に存在する限り,第二部定理九の仕方で発生します。第二部定理四九で,個々の観念ideaと個々の意志作用volitioが同一視されていることからこれは明白です。ただそれが第二部定理九の仕方で説明されるとき,精神が十全な原因であるのなら,それは能動的自由とみなされるというだけのことです。
精神が自動機械automa spiritualeであるということは,精神が受動的な場合にのみ妥当するのではありません。精神が能動的である場合にも同じように妥当するのです。いい換えれば,精神が十全な原因である場合にも,あくまでも機械的に,あるいは自動的に,そこから結果effectusが発生するのです。これが人間の能動的自由なのであり,それは意図的に選択できないし,拒絶もできないのです。
顕微鏡学者であったレーウェンフックAntoni von Leeuwenhookは,当時の自然科学者が全般的にそうであったように,実験用具を開発する技術者でもありました。つまりレーウェンフックは単に顕微鏡を用いて観察をしていたというわけではなく,顕微鏡の製作者でもあったのです。一説ではレーウェンフックは生涯で400を超える顕微鏡を製作したといわれています。そしてその一部は現存しています。
顕微鏡の性能のために最も重要なのは,ホイヘンスChristiaan Huygensの望遠鏡がそうであるように,レンズです。つまりレーウェンフックは自らガラスを磨いてレンズを製作していたのです。レーウェンフックがフェルメールJohannes Vermeerにスピノザを紹介するための最低限の条件を満たす要素,いい換えればレーウェンフックがスピノザという名前を知る契機になり得る最大のポイントはここにあると思われます。
ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizからの『スピノザ往復書簡集Epistolae』書簡四十五は,ライプニッツのレンズ研磨あるいは光学に関する試論の論評をスピノザに依頼するという内容です。僕は,ライプニッツはスピノザの哲学に興味があったのであり,この書簡というのは,スピノザへの接近を図るための手段にすぎなかったと思っています。しかしこれが手段となり得たのは,スピノザがレンズ研磨の,あるいは光学の第一人者的地位にあるということが歴然とした事実であったからだと解するよりありません。そうでないとしたら,ライプニッツはもっと別の方法でスピノザとの接触を企てたであろうと思われるからです。ホイヘンスもケルクリングDick Kerkrinkもスピノザの技術を称賛しているという点に鑑みても,この方面でのスピノザの名声は広くわたっていたと判断してよいものと思います。自身もレンズを製作していたレーウェンフックがそれを知ったという可能性は大いにあるといわなければならないでしょう。
ただし,マルタンJean-Clet Martinの推理に関連させるなら,ライプニッツからの書簡には重大な難点が含まれています。それはこの手紙の日付が1671年10月になっている点です。「天文学者De astronoom」は1668年に描かれています。それ以前に,フェルメールはレーウェンフックからスピノザを紹介されていなければなりません。
第二部定理一三は,人間の身体humanum corpusと精神mens humanaが同一個体であることを意味します。第二部定理七は,同一個体の秩序ordoが一致することを示します。したがって人間の能動actioとは,身体の能動であり同時に精神の能動actio Mentisであることになります。よって,能動的自由について考察する場合,身体を対象に据えても精神を対象に据えても,得られる結論は同じことになります。そこでここでは精神の能動,すなわち理性ratioについて考えます。この方が,能動的自由という場合のスピノザ哲学における概念notioがよく理解できると思うからです。
精神の能動といわれたとき,大抵は自由な意志voluntas liberaによって何事かを思惟することをイメージすると思います。とくにここでは能動的自由について考察するのですからなおさらでしょう。でもスピノザの哲学における能動的自由はそのような自由ではあり得ません。これは第一部定理三二から明白です。スピノザはそのような意味での自由意志が存在することを認めていないからです。
第三部定義二から,精神の能動とは,その精神が十全な原因causa adaequataとなって発生する思惟作用のことです。そしてその思惟作用は,ある精神が現実的に存在する限り,第二部定理九の仕方で発生します。第二部定理四九で,個々の観念ideaと個々の意志作用volitioが同一視されていることからこれは明白です。ただそれが第二部定理九の仕方で説明されるとき,精神が十全な原因であるのなら,それは能動的自由とみなされるというだけのことです。
精神が自動機械automa spiritualeであるということは,精神が受動的な場合にのみ妥当するのではありません。精神が能動的である場合にも同じように妥当するのです。いい換えれば,精神が十全な原因である場合にも,あくまでも機械的に,あるいは自動的に,そこから結果effectusが発生するのです。これが人間の能動的自由なのであり,それは意図的に選択できないし,拒絶もできないのです。
顕微鏡学者であったレーウェンフックAntoni von Leeuwenhookは,当時の自然科学者が全般的にそうであったように,実験用具を開発する技術者でもありました。つまりレーウェンフックは単に顕微鏡を用いて観察をしていたというわけではなく,顕微鏡の製作者でもあったのです。一説ではレーウェンフックは生涯で400を超える顕微鏡を製作したといわれています。そしてその一部は現存しています。
顕微鏡の性能のために最も重要なのは,ホイヘンスChristiaan Huygensの望遠鏡がそうであるように,レンズです。つまりレーウェンフックは自らガラスを磨いてレンズを製作していたのです。レーウェンフックがフェルメールJohannes Vermeerにスピノザを紹介するための最低限の条件を満たす要素,いい換えればレーウェンフックがスピノザという名前を知る契機になり得る最大のポイントはここにあると思われます。
ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizからの『スピノザ往復書簡集Epistolae』書簡四十五は,ライプニッツのレンズ研磨あるいは光学に関する試論の論評をスピノザに依頼するという内容です。僕は,ライプニッツはスピノザの哲学に興味があったのであり,この書簡というのは,スピノザへの接近を図るための手段にすぎなかったと思っています。しかしこれが手段となり得たのは,スピノザがレンズ研磨の,あるいは光学の第一人者的地位にあるということが歴然とした事実であったからだと解するよりありません。そうでないとしたら,ライプニッツはもっと別の方法でスピノザとの接触を企てたであろうと思われるからです。ホイヘンスもケルクリングDick Kerkrinkもスピノザの技術を称賛しているという点に鑑みても,この方面でのスピノザの名声は広くわたっていたと判断してよいものと思います。自身もレンズを製作していたレーウェンフックがそれを知ったという可能性は大いにあるといわなければならないでしょう。
ただし,マルタンJean-Clet Martinの推理に関連させるなら,ライプニッツからの書簡には重大な難点が含まれています。それはこの手紙の日付が1671年10月になっている点です。「天文学者De astronoom」は1668年に描かれています。それ以前に,フェルメールはレーウェンフックからスピノザを紹介されていなければなりません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます