スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

エリザベス女王杯&利益

2024-11-10 19:04:23 | 中央競馬
 第49回エリザベス女王杯
 ピースオブザライフは発馬後に挟まれて1馬身の不利。コンクシェルが逃げて向正面に入るところで3馬身くらいのリード。2番手はシンリョクカとハーパー。2馬身差でスタニングローズ。5番手にホールネス。6番手にキミノナハマリアとコスタボニータ。8番手はシンティレーションとレガレイラとラヴェル。ライラックを挟んでエリカヴィータとゴールドエクリプス。モリアーナとサリエラが併走で続きルージュリナージュとピースオブザライフは並ぶように最後尾を追走。最初の1000mは59秒6のスローペース。
 3コーナーでコンクシェルのリードは2馬身ほど。ハーパーが徐々に差を詰めていきシンリョクカ,スタニングローズの順で追走。直線の入口でもコンクシェルは2馬身くらいのリードを保っていましたが,コーナーでスパートしたスタニングローズがあっという間に前に出て先頭。馬場の外の方に出てきましたがそのまま抜け出して快勝。スタニングローズよりも外を追い込んできたラヴェルが2馬身差で2着。3着争いはスタニングローズより内に進路を取った,レガレイラ,シンリョクカ,ホールネス,ライラックの4頭で接戦。ホールネスが4分の3馬身差の3着でシンリョクカがクビ差で4着。レガレイラがハナ差の5着でライラックがハナ差で6着。
 優勝したスタニングローズは一昨年の秋華賞以来の勝利で大レース2勝目。このレースは大レースを勝ったことがある馬が2頭。3歳以降に勝ったのはこの馬だけという,大レースとしてはやや低調なメンバー構成。秋華賞を勝った後は昨年の中山記念で5着に入った以外は大敗を続けていましたが,今日のメンバーであれば実績上位でですから快勝になったというところ。あくまでもメンバー構成上の優勝であって,復活したとみるのは早計であるように思います。父はキングカメハメハ。母の父はクロフネ。4代母がローザネイ。3代母が1995年にデイリー杯3歳ステークスを勝ったロゼカラーで祖母が2001年のフィリーズレビューと2003年のマーメイドステークスを勝ったローズバド。Stunningは魅力的な。
 騎乗したフランスを拠点に騎乗しているクリスチャン・デムーロ騎手は一昨年のエリザベス女王杯以来となる日本馬に騎乗しての大レース6勝目。2年ぶりのエリザベス女王杯2勝目。管理している高野友和調教師はNHKマイルカップ以来の大レース8勝目。エリザベス女王杯は初勝利。

 自然状態status naturalisを経由せずに規定されたスピノザの自然権jus naturaeは,スピノザ自身が書簡五十でいっているように,共同社会状態status civilisでもそっくりそのまま残されることになります。この順序で規定された自然権には,手をつけたくても手をつけることができないからです。そしてスピノザの哲学における自然権に対する手がつけられないという特徴が,スピノザの哲学における社会契約説の軽さに直結することになるのです。すでにいっておいたように,ホッブズThomas Hobbesの社会契約説は重く,スピノザの社会契約説は軽いのです。この比較をもう少し具体的に吉田は説明しています。
                            
 社会契約を破棄して自然状態に復帰するという選択肢は,ホッブズの政治論においてはあり得ません。ホッブズがいう自然状態とは,万人の万人に対する闘争状態なのですから,そのような自然状態に戻るくらいであるなら,それがどんなに辛くひどい共同社会状態であったとしても,その共同社会状態に留まる方がマシであるという理屈になるからです。これに対してスピノザは,社会契約というものは契約pactumを締結する人びとの利益utilitasに結びつかなければ何の意味もないのであって,そうした利益が現に失われてしまえば,社会契約といえども即座に破棄されて無効になるのです。
 利益といういい方は『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』で実際にスピノザが使用している語です。このいい方は生々しく感じられるかもしれませんが,たとえば諸個人が私利私欲のために共同社会状態を潰すことが許されるということを意味しているわけではありませんので,その点には留意してください。これは共同社会状態が継続していくための条件を示しているのであって,そのためには社会契約が結ばれるというだけでは不十分であり,その社会契約を結んだ当人たちに対する実質的かつ内容的な利益が継続して齎されなければならないということです。
 吉田は直接的には指摘していませんが,いってみればこれは共同社会状態における権力あるいは支配者に対する制約であるとみることができると僕は考えています。ある共同社会状態において権力を継続的に働かせるための条件が,その共同社会状態の成員の実質的利益の継続であるということです。

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