3月20日の黒船賞を勝ったブルーコンコルド。この馬,母,母の母,その母というように辿っていくと,1902年にイギリスで産まれて輸入されたアストニシメント(7-c)という馬に遡れます。つまり明治の時代に日本にやってきて,その後ずっと日本で育まれてきた母系の出身馬なのです。
日本の競馬の歴史は欧米に比べればまだまだ浅いものなのですが,それでもこれくらい古い日本の母系をもつ馬が活躍する程度の歴史は築いてきているのです。
明日から小松島で競輪のふるさとダービー。決勝は11日になります。
ここでもう一度注目したいのが第一部公理四。
結果effectusの認識cognitioが原因causaの認識に依存するなら,ある人間の身体humanum corpusの観念ideaとさらにほかのものの観念を有する限りで,神Deusのうちにその人間の身体の観念があると説明されるとき,そのほかのものとは,その人間の身体全体の,あるいはその身体の諸部分を構成している物体corpusの,直接的な原因となっている物体のことではないでしょうか。
そしてなるほど,そのように考えれば,論理的にも辻褄が合います。そうした人間の身体の原因となっている物体の観念は,少なくとも,その人間の身体の観念を有する限りでの神のうちにはないでしょう。で,ある人間の身体の観念を有する限りでの神とは,その人間の精神mens humanaのことなのですから、人間の精神は自分の身体を十全に認識しないということになり,それは,ここまでで得てきた結論に一致しています。
日本の競馬の歴史は欧米に比べればまだまだ浅いものなのですが,それでもこれくらい古い日本の母系をもつ馬が活躍する程度の歴史は築いてきているのです。
明日から小松島で競輪のふるさとダービー。決勝は11日になります。
ここでもう一度注目したいのが第一部公理四。
結果effectusの認識cognitioが原因causaの認識に依存するなら,ある人間の身体humanum corpusの観念ideaとさらにほかのものの観念を有する限りで,神Deusのうちにその人間の身体の観念があると説明されるとき,そのほかのものとは,その人間の身体全体の,あるいはその身体の諸部分を構成している物体corpusの,直接的な原因となっている物体のことではないでしょうか。
そしてなるほど,そのように考えれば,論理的にも辻褄が合います。そうした人間の身体の原因となっている物体の観念は,少なくとも,その人間の身体の観念を有する限りでの神のうちにはないでしょう。で,ある人間の身体の観念を有する限りでの神とは,その人間の精神mens humanaのことなのですから、人間の精神は自分の身体を十全に認識しないということになり,それは,ここまでで得てきた結論に一致しています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます