スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本大震災被災地支援取手記念代替&第一の要因

2011-09-21 18:32:28 | 競輪
 東日本大震災の影響でいまだに開催不能になっている取手競輪場。このため今年の取手記念は地区こそ異なりますがすぐ近くの松戸競輪場での代替開催となり,昨日が決勝でした。並びは菊地-斉藤の北日本,武田-芦沢の茨城,川村-渓の西日本,坂本-園田の福岡で岩本が単騎。
 前受けは武田。3番手に菊地,5番手に坂本,7番手に川村で,岩本はこのラインを追走。残り3周から川村が上昇すると,坂本がこれに応じ,さらに菊地も動いて武田を叩いたのは菊地。打鐘前のバックから菊地と坂本で先行争いの様相になりましたが,菊地の番手の斉藤が離れ,菊地の後ろに坂本。残り1周のホームで斉藤が外から番手を奪還すべく動くと,その外を川村がかまして先行。武田も4番手に続きました。バックに入ると川村ラインを追走していた岩本が発進。武田もさらにその外を捲りあげましたが外に浮く形となり失速。このため芦沢が岩本にスイッチ。直線に入ると内で逃げ粘る川村をフィニッシュ前で差した岩本が優勝。川村が2着に粘り,3着に芦沢。
 優勝した千葉の岩本俊介選手は記念競輪初優勝。単騎での戦いを強いられましたが,川村の先行とにらんでここを追走。バック入口からすぐに発進していった判断も的確で,少しでも躊躇していれば武田の内に詰まってしまったでしょう。トップクラスと伍して戦うだけの脚力がついているとはいえないかもしれませんが,まだまだこれからの選手で,長い目で見ていきたいと思います。

 それではスピノザが『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』で示している球の十全な観念idea adaequataの発生における無限連鎖について,ここまで考察してきたことを基礎として,具体的に考えてみます。
                         
 まず,半円がその直径を中心に一回転することによって球が発生します。このとき,半円ないしは半円の回転という作用は原因causaであり,球ないしは球が発生するということは結果effectusです。いい換えれば,それらをそれぞれ単独でみる限り,原因と結果とは別個のものであるということになります。ところが,第一部定理二五備考でスピノザが述べていることからして,このときに原因とされる半円ないしは半円の回転という作用は,神Deusが自己原因causa suiであるがゆえに必然的にnecessario存在すると考えられるのと同じ力potentiaとして考えられなければなりません。つまり,半円に変状した神が,自己原因によって回転という作用をなし,球が発生するというような意味合いに近いものとして理解されなければならないのです。なお,ここでは,この半円の回転というのを,ある物体的運動としてではなく,むしろある思惟作用として考えています。したがって,前述の文脈における半円に変状した神というのは,半円という物体corpusに変状した限りでの神の延長の属性Extensionis attributumということではなく,半円の観念に変状した限りでの神の思惟の属性Cogitationis attributumというように解されなければならないということには常に気をつけておいてください。
 このように考えれば,球の発生というのはまさにそうした半円の回転という自己原因に模されるような原因であるということになるでしょう。いい換えれば,この部分だけを含んでいるのだとしても,この球の観念は十分に十全な観念であるといえるのではないかと思います。そして同じことは,たとえば円がその直径によって分割されることによって半円が発生するという場合にも妥当します。つまり球の発生を含むような無限連鎖のすべての段階において妥当することになるでしょう。そしてこのことを一般的な仕方で説明すれば,事物の十全な観念はその観念の対象ideatumの直接的な発生だけを含むだけで十分に十全adaequatumであるということになるのではないかと僕は考えるのです。これが,スピノザが事物の定義Definitioは無限連鎖のすべてを含んでいなくてもよいと考えることができたひとつの要因だったのではないでしょうか。

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