スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

TCK女王盃&目的論

2008-01-16 19:35:49 | 地方競馬
 確たる軸馬が不在で混戦が予想された今日のTCK女王盃。笠松のマルヨスーパーラブは,昨日の段階で出走取消となっていました。
 発走でケアレスウィスパーとペディクラリスが接触し,ペディクラリスは後方からのレース。笠松のクインオブクインの逃げは予想されたところですが,前半の800メートルが51秒6という超スローペースになりました。デアリングハートが掛かり気味に2番手を追走し,これをマークするようにラピッドオレンジが3番手。
 レースはほとんど最後の直線の瞬発力比べになりました。一旦はデアリングハートが先頭に立ちましたが,外からラピッドオレンジが交わしさり,1馬身の差をつけて優勝。デアリングハートが2着に粘り,後方から外をよく追い上げたペディクラリスが3着。以下,サヨウナラ,ケアレスウィスパーと,JRA勢が掲示板を独占しました。
 優勝したラピッドオレンジは3走前に札幌で1000万条件を勝って以来の勝利で,これが5勝目。もちろん重賞は初制覇。父はエルコンドルパサー。はっきりいって今日はメンバーに恵まれました。今後もこの路線で活躍し続けられるかはまだ微妙なところではないかと思います。今日の鞍上は大井の内田博幸騎手で,先月はテレビ埼玉杯で南関東重賞を制しています。
 デアリングハートはこのペースで掛かってしまったのも痛かったですし,瞬発力の争いとなり,勝ち馬より3キロ重い斤量を背負っていたのも響いたと思います。

 明日は大宮記念の決勝です。並びは藤田-平原-後閑-宗景-阿部の関東,荒井-三宅-浜口の西日本で,村本は前々。村本選手の出方が気にはなりますが,常識的には平原選手に有利です。

 また,明日から王将戦七番勝負の第一局が始まります。対戦成績は羽生善治王将が21勝,久保利明八段が7勝です。

 この第四部定理四をスピノザが証明する過程においては,別の観点が入っていると思いますので,これを説明しておきます。
 人間が,自分の本性のみによって理解できるような変化しか受けないなら,これはその人間によって説明されるか神によって説明されるかどちらかです。このとき,それが神によっては説明され得ないということを証明する際に,スピノザはこれを直ちに第一部定理二一に訴えるのではなく,一旦,第一部定理一六を経由させています。これはどんな個物の生成あるいは消滅も,この定理一六によって説明されなければならないからであろうと思います。そしてこの経由は,個物の生成が,神の本性の必然性から,ただ因果論的に生じるということを意味しているのだと思います。
 ある個物が,その個物の本性のみによって理解できるような変化しか受けないように神がこの個物を生じさせるということがあるなら,第四部定理四はむしろ誤ったことをいっているということになります。第一部定理二一の前に第一部定理一六を経由させるのは,このような目的論を排除するためだと僕は考えています。一切は神の必然性から生じるのであって,神がある目的を立てて個物が生じるわけではありません。スピノザの哲学においてはこうした目的論があらかじめ排除されていますので,第四部定理四というのは,このような一方で個物としての人間に訴え,他方では絶対に無限なものとしての神に訴える二分的な背理法によって十分に証明されていると僕は考えています。目的論が排除される以上,神の絶対的な力によってあるものがそのものの本性のみによって理解されるような変化しか受けないのであれば,これはこのものが直接無限様態であるということを意味することになると思うからです。
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昇竜賞&第四部定理四証明

2008-01-15 19:58:35 | 競輪
 東日本で最初に競輪が始まったのが大宮競輪。今日はその大宮記念の2日目優秀(動画)の昇竜賞でした。並びは昨日の想定通り。
 Sの取り合いになりましたが取ったのは村本選手で海老根選手の前受け。取り損ねた荒井選手が3番手で,5番手に佐々木選手,7番手から藤田選手で周回。打鐘までだれも動かず,しびれをきらした佐々木選手がまず上昇。これを外から藤田選手が叩いて,ホームからかまし先行になりました。上昇した佐々木選手が4番手に入り,海老根選手が6番手,荒井選手は8番手。レースはこのまま一列棒状で展開し,車間を開けた後閑選手が佐々木選手の捲り追い込みに合わせるように直線から踏み出すと鮮やかに突き抜けて1着,かばってもらった藤田選手が2着に残り,3着は写真判定になりましたが,大外から伸びた海老根選手を有坂選手が退け,ラインで上位独占となりました。
 ほかのラインに徹底先行というタイプがいなかったこともありますが,ゆっくりと仕掛けて出た藤田選手の作戦勝ち。後閑選手はしっかりとした追い込み選手ですので,今日のような展開になれば500バンクではあっても楽だったのでしょう。
 

 明日は大井でTCK女王盃です。笠松のマルヨスーパーラブは出走取消。これはかなり難解な一戦で,一応はデアリングハート◎を中心に,ベルモントノーヴァ○とペディクラリス▲。サヨウナラ△,チャームアスリープ△,アウスレーゼ△。

 少なくとも第四部公理の内容が正しいということは明らかにできました。そこでこれをひとつの根拠として,第四部定理四を証明していくことにします。ただしこの定理の前半部分に関しては,ここではこの定理の意味として示した事柄によってすでに証明されているものとします。また,この部分は現在の考察とは直接的に関係するわけでもありません。
 現実的に存在するある人間が,その人間の本性だけによって理解されるような変化,いい換えれば,その人間の本性が十全な原因であるような変化しか受けないと仮定してみます。するとこのことは,この人間の本性によって生じるか,そうでなければ神の絶対に無限な本性から生じるかのどちらかであることになります。
 ところが,これがこの人間の本性から生じ得ないということは,第四部公理から明白です。しかしそれが神の絶対に無限な本性から生じるというならば,これは第一部定理二一により,この人間が無限で永遠であると主張しているにほかならず,これは不条理です。よって,人間がこうした変化しか受けないということは不可能なのです。
 これとは別に,人間が個物であることに注意すれば,次のような証明も可能です。もしある人間がこうした変化しか受けないとすれば,第三部定理四により,この人間の存在は排除され得ないでしょう。しかし個物に関してこれをいうのは第二部定義七により不条理です。
 いずれにしても,人間が,自身が十全な原因となっているような変化だけしか受けないということは不可能です。つまり,人間は常に能動的である,常に理性的であるということは不可能であるということになるのです。
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ジャングルポケット&第二部定義七

2008-01-14 19:04:08 | 名馬
 抽選を潜り抜けて出走した阪神ジュベナイルフィリーズで見事に大レース制覇を達成,JRA賞の最優秀2歳牝馬にも選出されたトールポピー。この馬の父,ジャングルポケットも日本の名馬の1頭です。
 デビューは2歳の9月。新馬と重賞を連勝して一気に注目馬に。一息入れて暮れの重賞に出走すると2着。このレースは1着がアグネスタキオン,3着はクロフネですので,超豪華メンバーでした。
 目標はダービーということで2月に東京の重賞に出走してこれを快勝。間隔をあけて挑んだ皐月賞は内枠の不利もあってアグネスタキオンの3着。しかしアグネスタキオンの引退で1番人気に推されたダービーは,直線で大外に出されると一気に伸び,大レース初制覇となりました。
 この後,少し変わったローテーションを採用し,8月に古馬相手の札幌記念に出走し3着。ここから菊花賞に向かったもののこれは4着。しかし続いてジャパンカップに挑戦すると古馬の精鋭たちを差しきって大レース2勝目となりました。
 翌年は阪神大賞典2着をステップに天皇賞に出走するも2着。この後,休養が長引き,秋はジャパンカップと有馬記念に出走しただけで引退となりました。
 この馬の父,トニービンは,東京コースの中長距離で力を出す馬を多く出しました。この馬はその典型で,東京では3戦3勝。大レース2勝は共に東京の2400メートル。種牡馬としてはトールポピーが2世代目ですが,すでにほかに重賞の勝ち馬が4頭も出ています。

 明日は大宮記念の2日目優秀の昇竜賞です。並びは僕の想定で,藤田-後閑の関東,海老根-村本の南関東,佐々木-三宅の四国中国,荒井-浜口の西日本,有坂はおそらく関東へ。これを前提で,後閑選手。

 それがそれ自体で公理Axiomaとして成立するのかどうかという意味での公理の正当性については,必ずしも問う必要はないのですが,第四部公理の内容が正しいということに関しては現在の考察に関連しては非常に重要です。そこでこの内容が正しいということを示すために依拠した事柄のうち,第二部定義七に関してはこのブログではまだ詳しく扱ったことがありませんでしたので,ここに詳細を示しておくことにします。
 「個物とは有限で定まった存在を有する物のことであると解する。(Per res singulares intelligo res, quae finitae sunt, et determinatam habent existentiam,)もし多数の個体〈あるいは個物〉がすべて同時に一結果の原因であるようなふうに一つの活動において協同するならば,私はその限りにおいてそのすべてをひとつの個物とみなす」。
 この定義Definitioのうち現在重要なのは,個物res singularesが定まった存在existentiamを有するものであるという点です。そしてこの定まった存在というのを,僕は空間的な意味と時間的な意味の両方に理解します。つまり,個物はある一定の空間のうちに,ある一定の時間内で,現実的に存在するという意味になります。逆に考えればこれが,現実的に存在する個物は必ずその存在を排除されるということを意味するのは間違いないと思います。
 後半部分は,たとえば個物といってもそれはごく単純なものからきわめて複雑なものまで多彩であるという意味だと思います。たとえば人間の身体corpusというのは,きわめて多くの単純な個物によって構成される,きわめて複雑なひとつの個物であるということになるでしょう。また,第二部定理一三により,人間の精神humanam Mentemというのはその人間の身体の観念ideaを意味するわけですから,人間の精神もまた,きわめて多くの個物によって構成されるきわめて複雑なひとつの個物であるということになります。
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和歌山記念&公理の正当性

2008-01-13 19:04:36 | 競輪
 競輪界に今年から新設されたS級S班という新制度。今日,決勝(動画)が行われた和歌山記念には,このS班から多くの選手が参戦していました。
 野田選手がSを取って井上選手の前受け。3番手に小嶋選手,5番手に新田選手,7番手から稲垣選手で周回。残り2周のホームから稲垣選手が上昇し,バックで井上選手を叩くと,井上選手が4番手まで引いて,稲垣選手のラインに乗ってきた新田選手と併走する形で打鐘。稲垣選手はホームまで誘導を使っての先行になりました。4番手は外の新田選手が確保,6番手には小嶋選手が入り,8番手に井上選手で一列棒状。稲垣選手との車間を開けた神山選手が直線で踏み込んで優勝。神山選手マークの手島選手が流れ込んで2着。大外から小嶋選手もよく捲り追い込んできましたが,逃げた稲垣選手が3着に残り,ラインで上位を独占しました。
 優勝した栃木の神山雄一郎選手は先月も広島記念を勝っていて,94度目の記念競輪優勝。ほかのラインがあまりに牽制し合ったため,かなり展開に恵まれましたが,自身に流れが向いているともいえるでしょう。競輪の場合,こうした運不運が左右する要素がほかのスポーツに比べると大きな感じで,この流れを大切にしていってほしいと思います。

 入れ替わるように明日からは大宮記念が始まります。ここは関東勢が手厚そうです。

 第四部公理は意味を理解する上ではさほどの問題があるわけではありません。しかしそのこととは別に,これが公理として成立しているのかどうかという重大な問題があるのではないかと僕は考えています。どんな個物であっても,その個物の存在を阻害し得るようなほかの個物が存在するということが,必ずしも自明的な事柄として与えられるとはいえないと思うからです。少なくともこのことに,本当にそうであるのかという疑問を呈することはできるのではないかと思います。
 ただ,これは現在の考察とはまったく無関係で,考えるなら別にテーマを設定するべきことでしょう。今は,この公理の内容が正しいということさえ確認できれば十分ですので,それを補強する意味でふたつの観点をあげておきます。
 ひとつは第二部定義七で,ここから個物が定まった存在であるということ,すなわち個物がある一定の持続のうちに現実的に存在するものであることが分かります。したがって,現実的に存在する個物の存在は,どんな個物であっても必ず排除されます。
 もうひとつは第三部定理四で,ここから現実的に存在する個物は,ほかの個物によってその存在を排除されるということが理解できます。
 第四部公理の有力で強大なものとは,このような,ある個物の現実的存在を排除あるいは阻害するようなもののことを意味するというのが僕の理解です。そうしたものはどんな個物に対しても存在するということは,以上の考察から明らかであるといえると思います。したがって,仮にこれが公理としては成立しないとしても,この公理の内容は正しいといっていいと思います。
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NARグランプリ&第四部公理

2008-01-12 18:52:49 | 地方競馬
 NARグランプリは9日に発表となりました。競走馬部門のみ紹介し,短評を入れます。
 年度代表馬は船橋のフリオーソ。大レースは3歳限定のジャパンダートダービーを勝ったたけですが,JBCクラシック,東京大賞典で共に2着となっていますので,妥当といえると思います。3歳最優秀馬も合わせての受賞で,これは文句なし。昨年に続く2年連続での受賞です。
 2歳最優秀馬は北海道のディラクエ北海道2歳優駿を勝った後,全日本2歳優駿でも2着しましたので,これも文句なしです。
 4歳以上最優秀馬は大井のフジノウェーブJBCスプリントを勝ち,大レースの勝ち馬がこれだけですので,ここも当然の選出。ほかに南関東重賞の東京シティ盃マイルグランプリを勝っています。同時に最優秀短距離馬も合わせての受賞。
 アラブとばんえいはこのブログでは扱っていませんので省略します。
 最優秀牝馬は船橋のトーセンジョウオーエンプレス杯,マリーンカップと重賞2勝,ほかに南関東重賞の埼玉新聞杯も勝っていて,これも当然の選考と思います。
 最優秀ターフ馬は北海道のコスモバルクシンガポール航空国際カップの2着が評価されたものと思いますが,2歳戦とはいえ,重賞の勝ち馬がいましたので微妙なところではあります。ただこの部門は昨年は全般的に低調でした。コスモバルクも2年連続で,通算では4度目のNARグランプリ受賞となります。
 JRA所属馬も受賞の対象となる特別表彰馬はヴァーミリアン。これは川崎記念,JBCクラシック,ジャパンカップダート,東京大賞典と勝ったわけで当然です。この部門では種牡馬として長年にわたり活躍したミルジョージとワカオライデンも表彰されました。ロジータはミルジョージ産駒です。

 明日は和歌山記念の決勝です。並びは新田-平沼の東日本,小嶋-山内の中部,井上-野田の九州で,稲垣には神山-手島の関東2名。小嶋選手ですが,稲垣選手次第では神山選手。

 第四部定理四の意味はこれでいいとして,証明Demonstratioに移りたいのですが,この定理Propositioの証明のためには,ここまでに考察してきた事柄だけでは不備が出かねません。そこで先に,証明のために訴えるべきことをひとつだけあげておきます。そしてそのためにここでは,第四部公理を援用することにします。第四部は公理Axiomaがひとつだけですので,番号はついていません。
 「自然の中にはそれよりもっと有力で強大な他の物が存在しないようないかなる個物もない。どんな物が与えられても,その与えられた物を破壊しうるもっと有力な他の物が常に存在する」。
 この公理全体の意味はさほど難しくない筈で,詳しい説明は不要と思います。ただ注意するべきことがあるとしたら,第一にこの公理は個物res singularisにだけ適用されるということであり,第二に,当然ながら個物であれば神Deusの属性attributumのどの個物にも,もう少し現在の考察に関連させて丁寧にいうならば,延長の属性Extensionis attributumの個物である物体corpusにだけあてはまるのではなく,思惟の属性Cogitationis attributumの個物,たとえばある人間の精神mens humanaとか,ある人間の精神の一部を構成するような観念ideaにも適用されるということでしょうか。
 また,有力あるいは強大というのは,たとえばXがYを破壊する,あるいは破壊し得る場合に,逆にいえばYの存在existentiaがXによって阻害されるような場合に,XはYより有力で強大であるという意味だと理解します。たとえばこの場合にXとYが物体である場合,XがYより大きな物体であるからXはYより有力で強大であるとは僕は理解しませんので,この点には注意してください。むしろ,小さなものが大きなものより有力で強大な場合もあるということになります。
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熊野古道賞&第四部定理四の意味

2008-01-11 18:44:55 | 競輪
 新年の記念競輪は3開催がほぼ連続で行われますが,第二弾の和歌山記念は今日が2日目の優秀レース熊野古道賞でした。
 雨中のレース。白戸選手は単騎含みであったようですが,昨日の想定通りに,終始稲垣選手ラインの3番手からのレースでした。
 前受けは渡部選手で中団が小嶋選手,後方から稲垣選手の周回。残り2周のホームから稲垣選手が上昇,バックで渡部選手を叩き,白戸選手まで出きりました。打鐘から小嶋選手が叩きに出ましたが,これを突っ張って稲垣選手の先行。苦しくなった小嶋選手ですが,バックに入ると再度踏み直し,稲垣選手の前まで出ましたがそこで一杯。後方待機になった渡部選手も捲り上げて直線勝負。渡部選手の番手から井上選手が抜け出して1着,渡部選手が2着で,このライン3番手の野田選手も大外から迫りましたが,小嶋選手の番手から出た山内選手がこれを制しての3着でした。
 レースのポイントとなったのは,白戸選手の動きだったような気がします。打鐘前に稲垣選手が前に出たところ,少し離れて3番手追走。この結果,前との間隔がやや開いたため,小嶋選手も一気に出て行けなかったのではないでしょうか。それでもバックからまた踏み直して,一旦は先頭まで出たのは小嶋選手の力の証明。こうした展開そのものが後ろになった西国勢に向きました。

 第四部定理四の全体の意味,また現在の考察と関連して注意しておくべきことをまずは考えておきます。
 まず,冒頭の,人間が自然の一部分Naturae parsでないということは不可能であるという点に関しては,これを文字通りに理解します。僕の考えでは,スピノザの哲学というのは,どんなものもそれ自身のうちにあるesse in seかそれともほかのもののうちにあるかのどちらかであるという第一部公理一により,一切の超越性を認めない徹底した内在論です。人間が自然の一部分ではないというのは,人間が自然を超越し得るという意味の超越論であって,こうした考え方は当然のこととして認められないといっていいと思います。ただしこのとき,人間というのは,人間の身体corpusと人間の精神mens humanaの両方を含んだ意味であると理解しますので,この点には注意が必要かもしれません。
 残りの部分は同じことをいっていると思います。第一部公理四により,ある人間が自分の本性naturaのみによって理解される変化Xを受けるなら,Xの認識cognitioはその人間の本性の認識に依存しますが,このことは,第三部定義一により,その人間の本性が妥当な原因causa adaequata,すなわち十全な原因になっているという意味だからです。
 第三部定義二によれば,人間が十全な原因である場合に能動的であるといわれるのですから,十全な原因であるような変化だけを受けることが不可能であるとすれば,人間は受動的である場合もあるという意味になります。よってこの定理Propositioが証明されれば,人間は常に能動的であるということはできない,いい換えれば理性の特徴により,人間は常に理性的であるということはできないということが証明されることになるのです。
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JRA賞&第四部定理四

2008-01-10 18:57:57 | 中央競馬
 8日に昨年のJRA賞が発表されました。競走馬の部門についてのみ紹介し,短評を入れておきます。
 年度代表馬にはアドマイヤムーンが選ばれました。ドバイデューティーフリー,宝塚記念,ジャパンカップと大レース3勝。いずれも国際GⅠであった点も評価の対象になったと思います。同時に最優秀4歳以上牡馬にも選出されましたが,これに関しては文句なしでしょう。
 最優秀2歳牡馬は朝日杯フューチュリティステークスを勝ったゴスホークケンで,最優秀2歳牝馬は阪神ジュベナイルフィリーズを勝ったトールポピー。このカテゴリーはそれぞれのレースが代表馬決定戦のようなものなので,当然の選出です。
 最優秀3歳牡馬は菊花賞を勝ったアサクサキングス。このカテゴリーも選ぶとすればこの馬しかいないでしょう。
 最優秀3歳牝馬はダイワスカーレット桜花賞,秋華賞,エリザベス女王杯と勝ち,有馬記念でも2着なのですからこれも当然です。
 最優秀4歳以上牝馬はコイウタヴィクトリアマイルを勝っただけなのですが,このカテゴリーは大レースを勝ったのがこの馬だけでしたので,妥当でしょう。ここは該当馬なしの票が多数ありましたが,僕はどんな成績であっても代表馬は選ばれるべきものと思います。
 最優秀父内国産馬はアグネスタキオン産駒のダイワスカーレット。これは妥当な選出ですが,最優秀3歳牝馬よりもウオッカとの票差がありませんでした。多くの馬を選出したいという意向は分からないではないですが,一方でダイワスカーレットに入れ,もう一方ではウオッカに入れるというのは,本当はあってはならないことと思います。今年からは父内国産のレースが全廃されることもあり,このカテゴリー自体がもう不要かもしれません。
 最優秀短距離馬はダイワメジャー。昨年も有馬記念で3着したように短距離馬ではないのですが,安田記念マイルチャンピオンシップを勝ちましたので,選ぶならこの馬しかないところでしょう。昨年も同じカテゴリーで選出されていて,2年連続の受賞。
 最優秀ダートホースはヴァーミリアン川崎記念,JBCクラシック,ジャパンカップダート,東京大賞典と大レース4勝。このカテゴリーは満票でなければおかしく,ほかの馬に投票した1名の見識を疑います。またこの馬は,年度代表馬争いでアドマイヤムーンに肉薄しておかしくない筈で,どうもダート競馬の評価が異常に低いように思われます。少なくとも5票というのはあり得ないです。
 最優秀障害馬は中山大障害を勝ったメルシーエイタイムで,これは妥当な選出です。
 このほか,ダービーを勝ったウオッカと,春の天皇賞秋の天皇賞を勝ったメイショウサムソンの2頭が特別賞に選ばれています。受賞するのはおかしくない馬たちですが,あまりこのような賞を乱発しては,かえって格式を落とすおそれもあるのではないかと思います。なお,この2頭は共に昨年から連続しての受賞です。
 
 明日は和歌山記念の2日目優秀の熊野古道賞になります。並びは小嶋-山内-伊藤の中部,渡部-井上-野田の西国で,稲垣には平沼-白戸の東日本2名。ここは小嶋選手。

 人間が理性的である限り,その人間は憐憫commiseratioという感情affectusを抱くことはないというのが,スピノザの哲学における,理性と憐憫の第一義的な意味になります。そこでこのことから憐憫の無用性をさらに考えていくのですが,その前に今度は,憐憫の有用性ということを考えておかなくてはいけないと思います。というのは,一般に,ある場合にXが無用であるという言明は,逆にある場合にはXが有用であるということを意味しています。そしてこの場合,Xが無用であるというのは,実際にはXは有用ではないということを積極的にいい換えているに過ぎないからです。したがってここでの考察に関連させていうなら,まず憐憫が有用である場合を考え,その場合になぜ憐憫が有用であるかを考えた後に,人間が理性的である場合には,なぜそうした有用性自体が不要であるのかを考えていかなければならないわけです。
 ところで,人間が理性的である限り憐憫という感情は不要とされているわけですから,まずは,人間が常に理性的であるということはできない,あるいは少なくとも人間は理性的ではない場合があるということを証明しておく必要があると思います。これを証明しておかないと,第三部定理五九により,そもそも人間が憐憫という感情を抱く場合があるということすらいえなくなってしまうからです。
 このことに関してはここでは第四部定理四に訴えることにします。
 「人間が自然の一部分(Naturae pars)でないということは,不可能であり,また人間が単に自己の本性のみによって理解されうるような変化,自分がその妥当な原因であるような変化だけしか受けないということも不可能である」。
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船橋記念&理性と憐憫

2008-01-09 20:07:09 | 地方競馬
 今日の第52回船橋記念に出走していたジルディーディーはここまで10戦9勝3着1回。この馬がここでどこまで通用するのかということは,ある意味では最大の焦点であったかもしれません。
 先手を奪いにいったのはそのジルディーディー。しかし内からシルヴァーゼット,外からサクラグッドラックも引かずにいき,激しい先行争いに。1000メートルでペースどうこういっても仕方がありませんが,最初の400メートルが22秒3。この距離のレースにしては縦長の展開になりました。
 先行勢から抜け出たのはシルヴァーゼットでしたが,中団に控えていたディープサマーが直線は外から一気に伸びて優勝。道中は勝ち馬の後ろに位置したプライドキムとベルモントギルダーも外から伸び,ゴール前でシルヴァーゼットを捕え,プライドキムが2着,ベルモントギルダーが3着という結果でした。
 優勝したディープサマーはJRA時代に2005年のクリスタルカップで重賞制覇。今日はそれ以来の勝利で3勝目。もちろん南関東重賞は初優勝になります。父はタイキシャトル。今日は先行勢が結果的に総崩れとなるレースで,道中の位置もちょうどよかったのではないでしょうか。騎乗した大井の戸崎圭太騎手は昨年の東京ダービー以来の南関東重賞優勝。
 プライドキムは11ヶ月ぶりを考えればよく走っていると思います。スプリント能力ではディープサマーに一歩ひけをとるのかもしれません。

 明日からは和歌山記念の開催となります。ここは強力メンバーが揃いましたがやはり小嶋敬二選手と佐藤友和選手。

 このように第三部定理五九が証明されますと,『エチカ』における人間の理性と憐憫という感情の間にある,ある関係というのが浮かび上がってきます。
 すでにこれは理性の特徴として示したことですが,人間の精神がある理性的な働きをなすということは,その人間の精神のうちにある十全な観念だけに関係するのであって,混乱した観念とは一切の関わりをもちません。そしてこのことは,とりもなおさず,人間の精神がある十全な原因として,すなわち能動的にある働きをなしているということを意味しているのです。
 そこで第三部定理五九に訴えれば,もしも人間の精神がそのように能動的である限りにおいては,これと関係するような感情というのは,基本感情のうちの喜びであるか,そうでなければ欲望であるかのどちらかなのであって,悲しみという感情はそこから生じてくるということがないのです。ところが第三部諸感情の定義一八により,憐憫という感情は悲しみの一種なのですから,結局のところ,人間が理性に従って事物を認識している限り,憐憫という感情はその人間のうちには生じてはこないということになるのです。
 もちろん,人間が理性的である限り,憐憫という感情が無用であるということは,このことだけから説明できるというわけではありません。それについてはまた後で考察しますが,第一義的にいえば,理性的な人間にとって憐憫という感情が無用であるということのうちには,このように,理性的な人間は憐憫という感情を抱くことがないという意味が示されているのだろうと僕は考えています。
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立川記念&第三部定理五九証明

2008-01-08 18:53:01 | 競輪
 新年一発目の記念競輪となった立川記念。東日本での開催ですが今日の決勝(動画)には,東日本からはひとりしか進めませんでした。
 やや牽制気味の発走から荒井選手がSを取って前受け。村上選手が4番手に入り,神山選手は近畿中部を追走。7番手に浜田選手という周回になりました。
 残り2周のホームから浜田選手が上昇。そのまま緩めずにバックで荒井選手を叩き,このラインが出きりました。村上選手と荒井選手が4番手を争う態勢になりましたが,打鐘から村上選手が発進。ホームでは浜田選手を叩き,このラインが出きっての先行。これを荒井選手が早めに捲って出ると,番手の山口選手,逃げた村上選手本人の抵抗を凌いで捲りきり,このラインで直線勝負。番手から差した紫原選手が優勝。荒井選手が2着に残り,3着も島田選手で九州の上位独占となりました。
 優勝した福岡の紫原政文選手は,今開催は4日間とも荒井選手の後ろを回り,4日間とも差して1着という完全優勝。基本的には荒井選手が強かったともいえますが,本人の調子もかなりよかったのではないかと思います。記念競輪は久しぶりで,おそらく1998年12月の岐阜記念以来の優勝と思われます。

 明日は船橋記念です。一応は力でプライドキム◎,ディープサマー○,シルヴァーゼット▲。しかし最大の注目はジルディーディー△で,あとベルモントギルダー△。

 スピノザの哲学では,基本感情は喜びと悲しみ,そして欲望です。よって,働く限りでの精神に関する欲望も,これら三種類の欲望のいずれかです。これが第三部定理五九を証明する際の大前提となります。
 本来はこの定理は,働く限りでの精神から,喜びという感情と欲望という感情は生じると証明されるべきです。しかし現在の考察の流れの中では,働く限りでの精神からは,悲しみという感情は生じ得ないということだけ導き出せれば十分ですので,ここではその線に沿って,いわばこの定理を消極的な観点から証明することにします。
 働く限りでの精神とは,どんな精神であれ,その精神が能動的であるということを意味します。よってこれは第三部定義二により,ある精神が十全な原因である場合を意味します。そこで,ある精神が十全な原因となって,悲しみという感情が結果として生じると仮定してみます。
 第三部諸感情の定義三により,悲しみは,大なる完全性から小なる完全性への移行ということを意味します。したがってこの仮定は,ある精神が十全な原因となって,この精神が大なる完全性から小なる完全性へと移行するという意味であることになります。しかるにこれは不条理です。なぜなら,第三部定理七により,どんなものも,それ自身の完全性すなわち実在性を維持することが,その現実的本性として備わっているからです。この定理は当然ですが精神にも妥当します。よって,ある現実的に存在する精神が,十全な原因となって,その精神の完全性を低下させるということはないのです。つまり精神が能動的である限り,悲しみという感情は生じないということになります。
 これは逆に考えれば,人間が悲しみを感じるのは,自分自身が感情に対して十全な原因となっていないからであるということを意味します。すなわち僕たちは僕たち自身が自分の感情に対して部分的原因であるにすぎない場合,いい換えれば,僕たちが受動的である場合にのみ,悲しみという感情を抱くということになります。
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メジロライアン&第三部定理五九

2008-01-07 20:24:14 | 名馬
 北海道から南関東への転入後,ローレル賞,東京2歳優駿牝馬と南関東重賞を連勝したマダムルコント。この馬の父は日本の競馬で活躍したメジロライアンです。
 デビューは2歳7月。4戦目に未勝利を勝ち上がると暮れに500万,年明けにオープンと連勝してクラシック路線へ。続く弥生賞も勝って重賞初制覇となりましたが,皐月賞は3着,ダービーは2着と,大レース制覇はなりませんでした。
 秋は当時は菊花賞のトライアルであった京都新聞杯で復帰。ここで重賞2勝目を飾り菊花賞は1番人気。しかしここは同期のメジロマックイーンの3着に破れました。続いて有馬記念に挑戦すると2着。これはオグリキャップが復活を遂げた引退レース。フジテレビの競馬中継で故・大川慶次郎さんがゴール前で「ライアン,ライアン」と叫んだのは有名な話。当時は馬番連勝もまだない時代ですが,このレースは個人的にも枠連で大きく当てた思い出のレースです。
 4歳春は中山記念2着をステップに天皇賞に向かいましたが再びメジロマックイーンに屈して4着。しかし続く宝塚記念で普段より早めの競馬をし,メジロマックイーンを2着に封じ込めてついに大レース制覇を果しました。僕はウインズ横浜で見ていましたが,レース終了後に歓声が沸き,この馬の人気の高さを知りました。
 その後は屈腱炎を発症してしまい思うようにレースを使えず。それでも5歳の日経賞で復活の勝利を挙げましたが脚の病には勝てず,これが引退レースとなっています。
 種牡馬としての活躍は同期のライバルであったメジロマックイーン以上で,1996年から4年連続で代表馬に選出されたメジロドーベル,1998年の代表馬に選出されたメジロブライトを送り出しました。1987年産まれですので,すでに孫世代も走っていて,鎌倉記念ハイセイコー記念を連勝したヴァイタルシーズの母の父もこのメジロライアン。母の父は競馬の世界ではブルードメアサイアーといわれます。

 明日は立川記念の決勝です。並びは村上-山口の近畿中部,浜田-西田-山根の瀬戸内,荒井-紫原-島田の九州で神山が単騎。この並びであれば荒井選手。

 悪の対象ということをどう考えるのかということに多少の難点はありましたが,憐憫commiseratioという感情affectusがそれ自体では悪malumであるということに関してはこれでいいと思います。そこでいよいよ憐憫という感情の有用性について考えてみることにします。
 実をいいますと,これをどのように考察していくかということに関してはいくらかの悩みがありました。ただ,一般的にいえば,たとえば他人を憐れむというようなことは否定されるというよりは推奨されるようなことであって,これを念頭に置けば,憐憫という感情は人間が抱く感情としては悪い感情というよりはいい感情,また,無用な感情というよりは有用な感情であると考えられていると思うのです。実際,他人に対して憐憫のような感情の模倣affectum imitatioをするということは,部分的にいえば,感情の模倣をする側の人間と感情の模倣をされる側との人間の間で,本性naturaが一致するということを示すわけですから,むしろこうしたことを論理的に説明するよりも先に,なぜ人間が理性ratioに従っているのであれば,この憐憫という感情が無用であるのかということを証しする方がいいのではないかと思います。ですので,有用性の前に,無用性をみておくことにします。
 これに関してここでは最も簡単と思われる,第三部定理五九に訴えます。
 「すべて,働きをなす限りにおいての精神に関係する感情には(affectus, qui ad Mentem, quatenus agit, referuntur),喜びあるいは欲望に関する感情があるだけである」。
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初夢賞&悪の対象

2008-01-06 18:47:28 | 競輪
 新年最初の記念競輪は立川記念。今日はその2日目優秀(動画)の初夢賞が争われました。
 並びですが,西田は九州を選択。海野が中部近畿につけての3分戦。
 前受けは荒井選手。残り2周のバックで村上選手が上昇し,打鐘でこのラインが出きりました。同時に武田選手が外から発進。村上選手と武田選手で先行争いに。両選手とも力のある選手で,なかなか決着がつきませんでしたが,バックに入ったところで武田選手が力尽き,村上選手の先行に。しかしこの争いで消耗してしまったので,ここからの荒井選手の捲りには抵抗できず,このラインがあっさりと捲りきって直線勝負。番手の紫原選手が抜け出して1着。3番手の西田選手も2着に届き,荒井選手は3着まで。
 かなり激しい先行争いになりましたので,荒井選手には願ってもない展開になりました。むしろ3着まで差し込まれてしまったのは不満。今回の立川は,自力選手がやや苦戦しているような印象があります。
 なぜ武田選手と村上選手がああまでむきになってやり合ったのかは分かりませんが,共にかなり脚を使ったのは間違いなく,このあたりは明日の準決勝以降にやや影響してくるかもしれません。

 第四部定理五〇部分的証明である,憐憫という感情がそれ自体で悪であるという点に関しては,以下のような補足的説明を与えておきます。
 憐憫がそれ自体で悪であるのは,憐憫が悲しみの一種であって,したがってたとえばXに対してAが憐憫という感情を抱くとき,Aは大なる完全性から小なる完全性へと移行しているのであって,これがAにとっての悪であるからです。これはスピノザの哲学においていわば絶対的な事柄であって,妥協の余地はないと思います。
 しかし,僕たちが現実的に悪を認識するという場合には,普通はある対象を悪と認識するのであって,こうした憐憫をはじめとする悲しみそれ自体を悪とはあまり認識しません。というのは,僕たちは大抵の場合は自分の悲しみを意識するときに,同時にその悲しみの原因というものも知覚するからであって,それが真の原因であるかどうかはまた別のことですが,そのように知覚した原因のことを悪と認識するからです。
 AのXに対する憐憫という感情についてこれを考えてみれば,この感情はXの悲しみをAが表象することにより,感情の模倣によってAも悲しみを感じます。この場合,普通はAはこの感情をそれ自体で悪とは認識しませんし,また自分に感情の模倣を生じさせた直接的原因ともいえるXを悪であるとも認識しないでしょう。しかしもしもAがこのとき,Xの悲しみの原因としてYを同時に認識するなら,AはそのYを悪と判断するのではないかと思います。
 憐憫という感情がそれ自体で悪であるということは,何か突拍子もないことをいっているかのように感じられるかもしれませんが,もしも悪の対象というのをこのように考えるならば,これは僕たちが経験的に認識するような悪と,さほどの相違はないと考えることもできるのではないかと思います。
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クルーピアレディー&部分的証明

2008-01-05 19:06:41 | 血統
 昨年の菊花賞を勝ったアサクサキングスの母系を紹介します。
                                          
 日本ではそれほど歴史を有する血脈ではありません。1983年にアメリカで産まれたクルーピアレディーが祖。ファミリーナンバー4-gです。
 1990年,Homebuilderという馬の種を宿した状態で社台に購入されました。これが初産駒ですので,実質的な繁殖生活は日本でのみ送っているということになります。
 翌1991年はサンデーサイレンスが日本に導入された年。この馬はその繁殖相手の1頭に選ばれ見事に受胎。そうして1992年に産まれたのが,皐月賞とマイルチャンピオンシップを制したジェニュイン。サンデーサイレンス産駒として初のクラシック制覇を成し遂げた馬です。フジキセキ,タヤスツヨシと同世代。
 この後,クルーピアレディーは毎年サンデーサイレンスを種付けされました。その結果,1996年に産まれたのがクルーピアスターという牝馬で,この馬がアサクサキングスの母にあたります。したがって,アサクサキングスからみると,ジェニュインは伯父にあたるわけです。
 ジェニュインはダービーこそ2着になっていますが,これは同世代相手に高い能力を示したもの。3歳秋は天皇賞を目標にし,また2度の有馬記念ではともに2桁着順に惨敗しているように距離面には限界のあったタイプ。またクルーピアスターも6勝していますが,活躍の場はスプリント戦。アサクサキングスが長めの距離で活躍しているのは,この母系よりは,むしろ父であるホワイトマズルのよいところを受け継いでいるからだといえそうです。
 なお,菊花賞の記事で,大久保龍志調教師が大レース初制覇と書きましたがこれは間違いで,2006年のダービーグランプリを制していますので,2勝目になります。

 明日は立川記念の2日目優秀の初夢賞です。並びだけ予想しますが,まず武田-横田-川口の関東,村上-山口の近畿中部,荒井-紫原の九州は確実。西田が近畿中部か九州の好きな方にいって,残った方に海野ではないでしょうか。

 ここまでの考察によって,今回のテーマである第四部定理五〇のうち,憐憫という感情がそれ自体で悪であるということ,とくにそれは,人間が理性に従っている場合でも従っていない場合でもそれ自体で悪であるということについては,すでに証明することができたといえると思います。なぜなら,まず第三部諸感情の定義一八により,憐憫という感情が,基本感情のうちでは悲しみの一種であるということが明らかになっています。次に,第三部諸感情の定義三により,悲しみとは,ある人間が大なる完全性から小なる完全性へと移行することにほかなりません。ところで,第三部定理七により,完全性のこうした移行というのは,そういう移行をする人間にとっての不利益であるということが明らかです。そして最後に第四部定義二によれば,まさにこうした不利益のことを悪というのです。ですから,人間が理性に従っているか従っていないかとは関係なく,憐憫という感情がそれ自体でみられるならば,この感情が悲しみの一種である限り,悪であるということになるからです。もちろんこのことは,単に第四部定理八に訴えるだけでも証明することが可能ですし,むしろこのことだけを証明しようとするのであれば,その方が簡単であるかもしれません。
 したがって,残る問題というのは,憐憫という感情の有用性ということになります。なぜ人間が理性に従っていない場合には,このそれ自体で悪である憐憫という感情が有用である場合があるのか,あるいは逆に,なぜ人間が理性に従っているのであれば,憐憫という感情はまったく必要ないということができるのか,こうしたことをこれから考えていかなければならないわけですが,その前提としてひとつ,憐憫が悪であるということの現実的な意味をもう少し考えておくことにします。
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ごきげん中飛車&移行と完全性

2008-01-04 18:50:53 | 将棋トピック
 後手番ごきげん中飛車の序盤戦の変化をまとめておきます。
 初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩。まずこれを基本形とします。もちろん▲7六歩と▲2六歩,△3四歩と△5四歩は手順が逆でも同じです。
               
 基本形から①▲4八銀と指すと,後手には主に2通りあります。
 ①Aは△5二飛ないし△5五歩。これは後手の中飛車になります。王将戦挑戦者決定リーグ最終戦のうちの一局がこれでした。
 ①Bは△8八角成▲同銀△2二飛。このとき先手は▲5三角と打っても右側には成れないので成立する指し方。竜王戦第二局はこれでした。向飛車ですが,この変化に加えておきます。
               
 基本形から②▲6八玉とするのもあります。王位戦第七局はこれで,後手は△5五歩から中飛車にしています。
 基本形からは普通は③▲2五歩。これには△5二飛で,ここで先手に主に3通り。
               
 ③Aは▲7八金。後手には主に2通りで,
 ③AⅠは△5五歩。倉敷藤花戦第一局第三局はこれ。先手が2筋,後手が5筋の歩を交換することになります。
               
 ③AⅡはそれ以外の手で,たとえば△6二玉です。
 ③Bは丸山九段が指したために丸山ワクチンといわれる▲2二角成△同銀。ここで先手は佐藤二冠が指し始めた▲9六歩が最近はほとんど。王位戦第六局はこれでした。この変化はLogicai Spaceさんの定跡解説実戦譜があります。ただ,△7二金は最近は見かけなくなりました。
               
 ③Cは▲5八金右。これには後手に2通り。
 ③CⅠは△5五歩。これは超急戦になります。棋聖戦挑戦者決定戦棋聖戦第四局はこれ。これもLogical Spaceさんの定跡解説実戦譜があります。
               
 厳密にいいますと,△5五歩で超急戦が確定するわけではなく,以下,▲2四歩△同歩▲同飛に△5六歩で超急戦の確定です。△5六歩でたとえば△3二金なら,次の③CⅡの変化と同様です。
               
 ③CⅡはこの超急戦を避ける指し方で,たとえば△3二金とか△6二玉です。一昨年の竜王戦第四局は△9四歩で,これに該当します。この場合は持久戦となり,先手が穴熊にするケースが多くなります。
 今後,後手のごきげん中飛車の将棋についてはこのページにリンクし,③Bの形とか③CⅠの形というように表記します。また,新しい形が現れれば,このページを更新していきます。

 明日から立川記念が始まります。武田選手と荒井選手を軸に推移していきそうです。

 小なる完全性そのものが悲しみであるのではなく,ひとりの人間のうちにおける大なる完全性から小なる完全性への移行が,その人間にとっての悲しみなのであるということはこれでもう問題がありません。しかし,一口にひとりの人間のうちにおける完全性の移行といっても,二通りの考え方をすることができます。
 ひとつは,あるひとりの人間の本性のうちで,完全性だけが大なる状態から小なる状態へと移行するという考え方です。この場合,移行との関係で考えれば,この完全性はある種の量的な概念で,移行とは量的な変化であるということになります。
 一方,完全性の移行というのはそういうことでなくて,ある人間の本性そのものの状態が変化することであるとも考えられます。つまり,ある人間の完全性が大なる状態から小なる状態に移行するというより,ある人間が,完全性のより大なる人間から完全性のより小なる人間へと移行しているのだという考え方です。この場合,完全性の移行は,完全性の状態の変化というより,ある人間の状態の変化ですので,完全性の移行はむしろ質的な変化であることになると思います。
 僕は完全性の移行は質的な意味で理解されるべきだと考えています。しかし,現状の考察においては,どちらも人間の完全性が低下していると意味では変わりありませんので,ここではこの点については争わず,どちらで考えてもいいということにします。

 なお,この移行と完全性の問題に関してはドゥルーズの『スピノザ 実戦の哲学』の第三章,「悪についての手紙」のうちに優れた分析があります。僕は概ねそこでのドゥルーズの見解に賛同します。興味があればお読みください。
コメント (4)
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オールスターカップ&移行

2008-01-03 19:06:25 | 地方競馬
 新春の南関東重賞第一弾の第44回オールスターカップ。このレースは全国地方競馬交流で,勝ち馬には川崎記念への出走権が与えられます。今日は僕も川崎競馬場まで出向いたのですが,混雑していて風邪をひくことを恐れ,レースは見ずに帰ってしまいました。
 先手を奪ったのはエスプリベン。その後ろにミツアキタービン,ビッググラス,マルヨフェニックス,ガッサンプリンス,レッドドラゴンといった有力馬が続きましたが,途中からペースががくんと落ちたためか,どれもこれも引っ掛かり気味の追走でした。
 3コーナーの手前あたりからまたペースアップ。逃げたエスプリベンも含めて脱落する馬はなく直線へ。結局,余裕をもって逃げていたエスプリベンがどの馬にも並ばれるところまでいかずに逃げ切って優勝。最内を追走していたガッサンプリンスがうまく捌いて2着。ペースアップしたところでは最も追走に苦労した感じのレッドドラゴンが,直線では盛り返してこれに迫る3着という結果になりました。
 優勝したエスプリベンは前走のハッピーエンド特別からの連勝。昨年4月のクラウンカップを勝っている馬で,南関東重賞は2勝目。今日は最初に行く構えをみせてほかを控えさせ,その後でスローに落とした川崎の山崎誠士騎手の好騎乗。有力馬が互いに牽制し合い,ノーマークの逃げになったのも幸いし,メンバー的には金星を上げた格好です。その山崎誠士騎手は一昨年のかきつばた記念を勝っていますが,南関東重賞はこれが初制覇ではないでしょうか。
 有力馬は2着から6着までを占めました。このうち2・3着の南関東勢と4・5着の笠松勢は,通ったコースの差が着順に表れた印象。6着のビッググラスはさすがに距離が長かったでしょうか。
 個人的にもノーマークの馬に逃げ切られ,骨折り損となってしまいました。

 第三部諸感情の定義三の中で最も注意しておかなければならない点は,大なる完全性から小なる完全性への移行が悲しみであるといわれていることだと思います。実際のところ,大なる完全性も小なる完全性も,それらを互いに比較せずに,もしもそれ単独でみるならば,ひとつの完全性であるという点において何ら相違はありません。したがって,小なる完全性それ自体が悲しみであり,逆に大なる完全性それ自体が喜びであるということはできません。これはこの定義の後でスピノザも説明していることで,問題なく理解できることではないかと思います。
 一方,たとえばAとBを比較し,Aの方が完全性に勝っているから,Bの方が悲しみでありAの方が喜びであるということも,ただそれだけでいうならば明らかに誤りです。なぜなら,悲しみという感情は,第三部定理七の現実的本性に依拠していわれるわけですから,これは個人個人の問題でなければならないからです。よってある人間が大なる完全性から小なる完全性へ移行する場合にのみ,それははじめて悲しみであるということができるのです。もっともこのことは,個々の事物の実在性とは,力という観点からみた限りでの事物の本性にほかならないという,本性と実在性の考え方を導入すればさらに明瞭でしょう。AとBが異なるものである限り,それは異なる本性を有し,したがって有する実在性もまた異なるのは当然です。AにはAの,BにはBの本性の完全性があるのであって,これはそれぞれの完全性ですから,この限りではAもBもそれぞれAとして,またBとして完全であるといわれなければなりません。よってたとえこの場合にAの完全性がBの完全性に優れていても,それがBの悲しみに直接的に結びつくものではないということは,きわめて当然のことであるといえるからです。
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東京シンデレラマイル&第三部諸感情の定義三

2008-01-02 19:19:45 | 地方競馬
 新設された牝馬限定の南関東重賞の第1回東京シンデレラマイルは,30日に大井競馬場で行われました。
 先手を奪ったのはトキノミスオースで,スズランメイクが2番手。エンタノメガミとパフィオペディラムがその後ろ。前半の800メートルは49秒5。完全なミドルペースです。
 いつもより前目の位置につけたベルモントノーヴァが向正面で早くも上昇。2番手まで上がりました。このときパフィオペディラムは激しく手が動き,ついていけません。
 直線はトキノミスオースとベルモントノーヴァのマッチレース。トキノミスオースがかなり粘りましたが,馬体を少し離して追ったベルモントノーヴァがゴール前で競り落とし優勝。トキノミスオースが2着。7馬身離された3着には,中団から差し込んだエトワールフルーヴが入っています。
 優勝したベルモントノーヴァは9月のトゥインクルレディー賞以来の勝利で南関東重賞3勝目。船橋の石崎駿騎手アフター5スター賞以来の南関東重賞制覇。ペースと馬場状態を考えれば,いつもより前の位置でレースを進めたのは好判断であったと思います。もう少し楽に勝てそうな感じもありましたが,そこは2着馬とは斤量差がありましたから仕方がないでしょう。
 逆にトキノミスオースは,斤量差を利した面があったかもしれませんが,ベルモントノーヴァとこれだけ戦えれば上々。年上相手でも,牝馬限定戦なら南関東重賞では目の離せない存在になったといえるでしょう。
 パフィオペディラムは不可解な大敗というよりありません。馬場状態を苦にしたか,あるいは連戦の疲れが蓄積されていたかもしれません。

 明日は川崎でオールスターカップ。ここは笠松から遠征の2頭,マルヨフェニックス◎とミツアキタービン○に期待。ビッググラス▲,レッドドラゴン△,ガッサンプリンス△まで。

 悪の認識ということ,また悪の忌避ということに関して,スピノザの哲学では,僕たちが常識的に考えているような道徳的な意味での善悪とは乖離している点があることが分かりました。ところで,人間にとっての悪malumとは,個人個人の実在性realitasあるいは完全性perfectioが低下してしまうようなことを意味するわけですが,この完全性の低下を,現在のテーマである感情論と結びつけて考えた場合に,重要であるといえる感情affectusがあります。それは基本感情affectus primariiのひとつである悲しみtristitiaという感情です。そこで,この悲しみの定義Definitioである第三部諸感情の定義三をみておくこととします。
 「悲しみとは人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行することである」。
 ある人間が大きな完全性から小さな完全性に移行するということは,この人間からみた場合,明らかに完全性すなわち実在性の低下を意味していると思います。したがってこれは,ここまでの考察からして,この人間にとっての不利益であるということになるでしょう。よってこれは第四部定義二における悪そのものにほかなりません。したがって,僕たちにとっての悪とは,僕たち自身が意識する限りでの,僕たち自身の悲しみの認識cognitioにほかならないということになります。厳密にいえば喜びlaetitiaと善bonumとの関係についても言及していますから,部分的にということにはなりますが,これを端的に示しているのが第四部定理八であるということになると思います。この定理Propositioに関しては,悲しみと悪だけに関係した現在の論点からはもうさすがに証明する必要もないと思いますので,ここでは省略します。悪と悲しみは単に概念notioとしてだけ区別することができるというこの考え方も,やはりスピノザの哲学の大きな特徴のひとつであるといっていいと思います。
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