スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ハイセイコー記念&震災後の経験

2013-10-16 20:41:21 | 地方競馬
 台風により船橋競馬場の厩舎地区の一部が冠水。この影響で有力馬の1頭,モデールノが競走除外となり,14頭で争われた第46回ハイセイコー記念
 外から切れ込むようにグライスがハナへ。セイギノミカタとジュリエットレターが続き,逃げ馬の外に出したジュリエットレターが1コーナーでは2番手。ビッグボーイとブラックヘブンが続いていましたが,ブラックヘブンは向正面で外を追い上げて3番手に。ファイヤープリンスも続き,下がったビッグボーイとキャンディッド。やや離れてポッドルージュとドラゴンエアル。前半の800mは50秒8でミドルペース。
 3コーナーでは内からグライス,ジュリエットレター,ブラックヘブンの3頭が併走。ほどなくグライスは一杯となり,直線はまず2頭の競り合い。これを制したのは外のブラックヘブンで,そのまま抜け出して優勝。一杯となったジュリエットレターを大外を伸びたドラゴンエアルが捕えて1馬身差の2着。ジュリエットレターは2馬身半差で3着。
 優勝したブラックヘブンは8月の新馬を3着の後,前走の自己条件で2着に1秒4の差をつけて初勝利。ここが3戦目。今日のメンバーで南関東デビュー組ではトップだろうと思っていて,北海道からの転入馬との比較がどうかというところですが,その中で実績上位の馬を負かしにいって競り潰したのですから,強かったし,内容的にも文句をつけるところはないように感じました。今後も順調に育っていってほしい馬です。祖母がキャットクイルとパシフィカスと姉妹。キャットクイルの姉で,パシフィカスの妹です。
 騎乗した大井の有年淳騎手は第37回以来9年ぶりのハイセイコー記念2勝目で,南関東重賞もこれが2勝目。管理している鷹見浩調教師はハイセイコー記念初勝利。

 後のパスモの利用に関しては触れませんでしたが,パスモで駅に入場した後,運賃を支払うことなく電車を降りたということについては,この共生記の中で書いたことがあります。察しのよい方であれば,それがいつのことであったかお分かりかもしれません。2011年3月11日,東日本大震災当日のことでした。
 あの日,僕は鶴ヶ峰から相模鉄道の電車に乗り,横浜へと向う途中で大地震に遭遇しました。もう横浜のひとつ手前の平沼橋の駅を通過し,間もなく終点である横浜に到着しようかというときの出来事でした。地震に遭遇した電車は,しばらくはその場に停車。乗客のすべてが車内に閉じ込められたままでしたが,余震などの影響もあり,どれくらいの時間があれば発進できるか分からないという状況でしたから,わりと早い段階で,その場から線路に降ろされ,少し線路伝いに歩いた後,一般道に出たのでした。あの日の出来事は,語り継いでいくべきことであると僕は考えていますから,こうした機会があったならば,僕は何度でも書いていくつもりでいますが,今はこのことだけを述べておきます。
 このときには僕はすでにパスモの利用者でした。ですから鶴ヶ峰の駅に入場するときには,パスモを利用したのです。しかしこのような状況下で下車しましたので,運賃は支払っていませんでした。もっとも,このときには僕にはそんなことを考えるだけの心の余裕というものがありませんでした。そしてそれは多くの方々にとっても同様であったろうと推測します。僕と同じような理由で,結果的に無賃乗車となった方も,多くいた筈だと思います。
 次に僕が電車に乗るためにパスモを利用したのは2日後,3月13日の日曜のことでした。いつもそうするようにパスモを改札機に当てて入場しようとするのですが,何度やっても受け付けてもらえず,自動扉が閉じてしまいます。仕方がないので脇の事務室の駅員に調べてもらったところ,鶴ヶ峰に入場したところで記録が途絶えていることが判明しました。このときも,横浜までの運賃を引くという形で後処理をしてもらいました。
 この経験が,パスモの記録を気にかけた理由のすべてだったのです。
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火の国杯争奪戦&運賃

2013-10-15 18:51:38 | 競輪
 500バンクで記念競輪が連戦となります。まずは熊本記念の決勝。並びは南関東が内藤ー武井で自在戦,深谷には合志,脇本-伊藤の近畿で成田ー佐藤の北日本が番手戦,長塚が単騎。
 スタートは合志が取って深谷の前受け。武井がその後ろにいたのですが,内藤が上がらなかったので3番手に長塚,4番手に内藤,6番手に脇本となり,後ろは競りでの周回。脇本は残り2周少し前から上昇し,バックで深谷を抑えました。続いていたのは伊藤ですが,成田がまた上がって外を併走となって打鐘。長塚,南関東も切り替えて深谷は8番手。ホームから脇本の抑え先行となり,番手は外の成田が奪い,佐藤も続いて伊藤は後退。バックの入口から深谷が発進すると,ギアを上げていた合志が離れてしまい単騎に。中団から長塚が合わせて発進するとみせかけ,深谷の後ろに。捲りきった深谷を外から差した長塚が完全優勝。深谷が1車輪差の2着。脇本を差して成田が4分の3車身差で3着と,S班の3選手で上位を独占。
 優勝した茨城の長塚智広選手は8月の小田原記念以来となる記念競輪級区切りの10勝目。熊本記念は初優勝。4連勝したように,今回は体調も万全であったようです。合志が離れているくらいですから,深谷のスピードも悪くなかった筈ですから,それを差しての優勝は立派であるといえるでしょう。単騎でしたが立ち回りのうまさがありますので,むしろ有利に働いたような一面もあったかと思います。

 僕が入ったのは,駅の外に隣接している売店です。この売店が駅の事務室のようなところと直結していました。駅員が売店の方に現れ,僕をその事務室へと案内したのです。たぶん駅の中からは事務室には入れないような構造になっていたか,あるいは入れたとしても,それは社員の専用通路であったのでしょう。僕が県立大学の駅で一旦は外に出されたのは,このような駅舎の構造上の理由からであり,それ以上の意味はなかったものと僕は思っています。
 事務室でのやり取りは,上大岡駅でのそれと比べるならば非常に簡単なものでした。僕がしなければならなかったのは,保険証を呈示するということだけで,すぐに定期入れを取り戻すことができました。もちろん定期入れだけを取り戻したわけではなく,前日に落とした時点でその定期入れに入れてあったすべてのものを取り戻すことができたという意味です。
 駅員はそれで僕に戻ってよいという主旨のことを言いました。ただ,僕にはひとつ,気になっていることがありました。僕は前日,南太田の駅ではパスモを使って入場したのです。しかしそれを車内に落としてしまったのですから,パスモの記録は南太田に入場という時点で終了している可能性が大であるように思えたのです。なので僕はその点を駅員に尋ねてみました。駅員はパスモの記録を調べてくれまして,確かに南太田に入場というのが最後の記録として残されているということが判明しました。したがってこのままこのパスモを使いますと,次にどこかの駅で入場することができません。つまり何らかの後処理が必要だということです。すでに説明しましたように,僕は前日は弘明寺駅で,対応してくれた駅員の好意に甘えまして,運賃を支払わずに駅から出してもらいました。ですからその分の運賃を引いてもらうということで,この処理は完了しました。
 実は僕がこのことを気にしたのには,かつて同じような経験をしたことがあったからなのです。といっても,それは今回のように,パスモの紛失によって生じたような事態ではありませんでした。もっと別の理由によって,駅に入場した後,運賃を支払うことなく電車を降りたことがあったのです。
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農林水産大臣賞典マイルチャンピオンシップ南部杯&専用の切符

2013-10-14 19:24:19 | 地方競馬
 秋のダート競馬の最初の大レース,第26回南部杯
 最も発馬がよかったのはコスモワッチミーであったように見えましたが,スピードの違いがありますからエスポワールシチーが当然のようにハナへ。ホッコータルマエが2番手につけ,3番手にはグレープブランデー。その後ろはセイクリムズンとコスモフィナンシェが並んで追走。前半の800mは47秒9のスローペース。
 エスポワールシチーはコーナーワークを利すようにして直線に入ると後ろとの差を広げました。一旦は置かれたホッコータルマエも直線半ばからはまた差を詰めていきましたが1馬身半届かず,逃げ切ったエスポワールシチーの優勝。2着にホッコータルマエ。グレープブランデーを直線で捕まえたセイクリムズンが3馬身差の3着。
 優勝したエスポワールシチーは昨年の南部杯以来の勝利で大レース8勝目。第22回も制しているので南部杯は連覇で3勝目。複数回にわたって制している馬が目につくように,コース適性が結果に大きく左右するレースのようです。年齢的にいっても現状の力を維持するのに精一杯であるとは思いますが,この距離の大レースは年に3度あり,そういったレースでは今後も無視することができない存在であり続けるでしょう。父はゴールドアリュールチップトップジーゲリンの分枝。祖母の従兄に1986年JRA賞最優秀2歳牡馬のゴールドシチー。またその半弟には1996年の京王杯オータムハンデキャップを勝ったクラウンシチー。Espoirはフランス語で希望。
 大怪我のため長らく治療に専念し,今月から騎乗を再開した後藤浩輝騎手は2011年のオークス以来の大レース制覇。第13回以来13年ぶりの南部杯2勝目。安達昭夫調教師は昨年の南部杯以来の大レース制覇で連覇となる南部杯3勝目。

 身分証明書,僕の場合には国民健康保険証ですが,その呈示もして,確かに僕が定期入れを落とした当人であるということを駅員も確認できましたので,例の切符の発行の手続きへと移行しました。なお,話が前後しますが,身分証明書が必要であるということは,前夜の電話の中であった話でした。大丈夫だろうとは思いましたが,一応は保険証で構わないかと尋ね,それで大丈夫ということも確認してあったのです。
 切符を発行する際に,駅員は,県立大学で定期入れを入手した後,どこで降りるのかまで尋ねてきました。実は僕はこの日は川崎に行かなければならなかったので,取り戻したらそのまま京急川崎へと向う予定を組んでいました。なのでそのまま答えました。すると駅員は,それならば下車するときにこの切符を京急川崎駅の改札で駅員に返すようにと指示しました。僕は少しばかり怪訝な思いを抱いたのですが,そのことは口にせず,その場を離れてホームに向いました。この後の予定の関係から,あまり多くの時間を要したくなかったからです。
 上大岡のホームに入線してきたのは各駅停車でした。上大岡駅は待ち合わせが可能な構造になっていますが,この電車は待ち合わせず,すぐに発車する電車でした。僕が定期入れを落とした電車は,弘明寺を出た後,金沢文庫で快特と待ち合わせるものでしたから,時間こそ違えどそれと同じであったことになります。そして案内によれば,この電車は金沢文庫で待ち合わせた後は,通過待ちも待ち合わせもなく,県立大学よりひとつ先の堀ノ内まで先着するとのこと。ということは,この後の快特に乗ったとしても,乗ることができるのはこの電車になるだろうと思われましたから,それに乗っていくことにしました。つまり僕が事前にイメージしていたほどには,上大岡より先では,快特は各駅停車をパスしないようだったのです。
 県立大学駅を利用するのはこれが初めてでした。改札口はひとつ。そこにひとりの駅員が立っていましたので,僕はその方に事情を話しました。僕が取りに来るということは分かっていたようです。駅員は僕に一旦は駅の構内から出て,改札に隣接した建物の中に入るように指示しました。
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秋華賞&本人確認

2013-10-13 19:21:09 | 中央競馬
 牝馬三冠の最終戦,第18回秋華賞
 逃げたのはビーナストリックで,後ろを離しました。セキショウとノボリディアーナが追い,また少し開いてティアーモとマコトブリジャール。向正面ではこの2頭の後ろも差が開き,ウリウリとローブティサージュ,さらにコレクターアイテムとトーセンソレイユとメイショウマンボとリラコサージュ。前半の1000mは58秒9でミドルペース。
 直線の入口では開いていた部分の差が凝縮し,激しい叩き合いに。ここから抜け出したのがメイショウマンボで,1馬身4分の1の差をつけての快勝に。2着争いは非常に激戦でしたが,後方2番手から大外を追い込んだスマートレイアー。内目から馬群を捌いて伸びたリラコサージュがアタマ差で3着。勝ち馬の後ろの位置からこの2頭の間を追い込んだデニムアンドルビーはハナ差で4着。
 優勝したメイショウマンボオークスに続いて二冠を達成。この世代の牝馬の頂点に立ったといっていいでしょう。牡馬相手に活躍が可能であるかは不明ですが,極端に落ち込むということはなく,長きにわたって力を維持できるタイプの馬であるように思います。父はスズカマンボ。母の父はグラスワンダー。母のはとこに2008年のフィリーズレビューとローズステークスを勝ったマイネレーツェル
 騎乗した武幸四郎騎手はオークス以来の大レース制覇。第5回以来13年ぶりの秋華賞2勝目。管理している飯田明弘調教師はこれが大レース2勝目です。

 順番に走っている三種類の電車のうち,急行を利用することはできません。急行は新逗子行きか金沢文庫行きなので,県立大学には行かないからです。なので各駅停車か快速特急に乗ることになります。県立大学は各駅停車だけが停まるのですから,各駅停車の利用は必須。ただ,最初からそれに乗るのを躊躇させるようなイメージが僕にはあったのです。
 現在の僕が最も多く京浜急行を利用するのは横浜と京急川崎の区間です。この間,快特は停車しないのですが,上りも下りも2本の各駅停車を追い抜きます。つまり次の停車駅までで,2本をパスするのです。上大岡から県立大学駅方面に向いますと,快特はいくつかの駅を通過して金沢文庫と金沢八景に停車。さらに通過する駅があって横須賀中央。県立大学はそのひとつ先です。これだけの区間があれば,快特は相当数の各駅停車をパスするのではないかと僕はイメージしたのです。逆にいえば,各駅停車だけを使うと,かなりの時間を要することになってしまうのではないかと思えました。家の近辺からは,上大岡のひとつ先の屏風浦へ行くバスもあり,最近の墓参りではそれに乗っています。所要時間は上大岡へ出るのと大差ないか,むしろ速いくらいなのですが,このときにそちらを使わなかったのは,屏風浦も各駅だけが停まる駅であったからです。
 上大岡の駅に着きまして,すぐに京急の改札に向いました。案内係と思われる人が立っていましたので,ちょうどよいと思い,事情を話しました。すると,この駅の構内には落し物に対応する施設があるので,そこに向うようにと指示されました。つまり料金を払わずに駅の中に入ったことになります。その施設の部屋が暗かったので驚きましたが,今度は担当の駅員と思われる方が出てきまして,部屋を明るくしてくれました。そこで僕はまた事情を話しました。このときは対応した駅員は,かなり詳しい内容まで尋ねてきました。といってももちろん僕が本当にパスモの紛失をした当人であるならば,答えられる範囲のこと。たとえばその定期入れの色とか,中に入っているほかのもののことなどです。要するにこの質問は本人確認であったといえるでしょう。
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スポーツニッポン賞鎌倉記念&行き方

2013-10-12 19:30:31 | 地方競馬
 北海道から1頭,笠松から2頭が遠征してきた9日の第12回鎌倉記念。ウィンカイザーが骨折による出走取消で12頭,繁田健一騎手が負傷のためバーンザワールドは楢崎功祐騎手に変更。
                         
 先手を奪ったのはウィーゴー。発走後は蛇行していたように見えましたが,外から追い上げたニシノデンジャラスが2番手でマーク。その後ろにファーストキスとリュウノファイト。ハイペースでした。
 3コーナーを回ると前の2頭が後ろを離していき,マッチレースの様相。しかし直線の半ばではニシノデンジャラスが楽々と抜け出しウィーゴーを置き去りに。そのまま5馬身の差をつけて圧勝。ウィーゴーは苦しくなり,一旦は離されたもののまた追い上げてきたファーストキスがゴール前で交わして2着。ウィーゴーはクビ差で3着。
 優勝したニシノデンジャラスは北海道からの遠征馬。デビュー戦を勝った後,トップクラスで戦い,3着,2着,3着。課題は初めての左回りでした。僕は最近は北海道の競馬も少し見るようになっていまして,普通に走れればこの馬が勝つだろうと思っていました。走りがおかしく思えたのは最初だけで,コーナリングもスムーズでしたから,この圧勝になったのは当然ではないかと思います。大外枠になったのはかえってプラスだったのではないでしょうか。父はスペシャルウィーク。母のはとこに1999年のJRA賞最優秀2歳牡馬のエイシンプレストン
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は4月の東京プリンセス賞以来の南関東重賞制覇。第2回と5回を勝っているので8年ぶりの鎌倉記念3勝目。管理している北海道の堂山芳則調教師は第10回を勝っていて,2年ぶりの鎌倉記念2勝目です。

 県立大学駅というのは横須賀市内です。僕がこの日に下車した弘明寺駅からみれば,横須賀中央駅のひとつ先。たとえばもしも弘明寺駅に取りに行けばよいということであったならば,僕もこの日のうちに取りに行ったかもしれません。時間的な都合でこの日の受け取りを断念したというのは,このような距離的な意味合いも含まれています。
 電話の最後に,先方は,落し物を取りに行くのに電車を使用する場合には,そのための専用の切符があるということ,そしてその切符は乗車する駅の改札の駅員に発行してもらえるという意味のことを言いました。というか正確にいうならば,この電話の最後の部分に関しては,僕はそのときにはどういう意味であるのかがあまりよく理解できませんでした。翌日に実際にこの切符を使用した結果として,なるほどこのような意味のことであったのかということを判然と理解したという方が,本当は正しいです。
 その7月3日の水曜日ですが,僕はまずバスで上大岡まで出ました。自宅からの京浜急行の最寄り駅は,前日に乗車した南太田か,そうでなければそこからひとつ横浜寄りの黄金町。僕はもちろん歩いて行かれますが,普通は歩く距離ではありませんし,こういう場合ですからバスを使用するでしょう。ただ,南太田には僕の家の近くからはバスはありません。黄金町はありまして,必要な時間は上大岡より短いのですが,黄金町から県立大学へ向う場合にはその途中で上大岡を経由することになり,その分の電車の乗車時間も考慮に入れるなら,むしろ上大岡までバスで出てしまった方が速いですから,この行き方を選択しました。また,上大岡は快速特急も停まりますので,快特で横須賀中央まで出て,各駅停車に乗り換えるのがいいのではないかという考えもありました。県立大学駅は各駅停車しか停まらないのです。
 東日本大震災の後,京浜急行は間引き運転をしていましたが,現在は状況が大きく変わっています。横浜や上大岡でみると,朝夕のラッシュ時間を別にすれば,快特,急行,各駅が1本ずつ順番で走っています。大震災以前と比べると,各駅が1本減少し,急行が1本増加したという計算です。
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周防国府杯争奪戦&発見

2013-10-11 18:59:49 | 競輪
 8日に行われた防府記念の決勝。並びは佐藤-勝瀬の東日本,浅井-志智-東口の中部近畿,小川ー井上ー西川の西国で木暮は単騎。
 浅井がスタートを取って前受け。4番手が小川,木暮を挟んで8番手に佐藤で周回。残り3周から佐藤が徐々に上昇。浅井に並ぶところまでいくと浅井が引いて佐藤が前に。今度は小川が上昇し,残り2周のホームでは佐藤を叩いて前に。佐藤はバックから内を上昇,最終的には西川を弾いて3番手。打鐘から小川の先行となり,ホームから浅井が反撃。番手の志智は木暮に牽制されて続けず。しかし木暮も浅井マークまではできず。バックから井上が番手発進。この後ろで内に佐藤,外に浅井の並走。これは井上に展開有利と思われましたが,諦めずに踏み続けた浅井がゴール前で井上を交わして優勝。4分の1車輪差で井上が2着。1車身差の3着に佐藤。
 優勝した三重の浅井康太選手は8月の松戸記念以来となる記念競輪10勝目。防府記念は2009年に制していて4年ぶりの2勝目。脚力的にはチャンスありとみていましたが,展開はやや不利になりました。それをはねのけての優勝ですから立派なもの。またどこかでGⅠを制覇する選手だと思います。

 駅員によれば,この問い合わせ先は営業時間があり,その時間内でしか問い合わせには応じられないということでした。終業時間は夜の9時。なのでこの日のその時間までに,そこに電話をするようにと指示されました。そして駅員は僕を弘明寺駅の外に出してくれました。注意していたとはいえ,パスモの紛失は僕自身の過失によるものでしたから,僕は運賃は支払わなければならないと思っていましたし,そのようにする心積もりでもあったのですが,駅員は支払いは不要であるとのことでしたので,そのことばに甘えました。
 発見されなくても仕方がないと思ってはいましたが,せっかくの指示でしたし,プリントも手渡してくれたのですから,午後9時の間際になったらそこに電話を入れようと思っていました。しかしそれよりも前,午後8時過ぎくらいであったと記憶していますが,先方から電話がありました。僕が紛失してしまった定期入れが発見されたという報知でした。
 これは,パスモだけを紛失したのではなく,定期入れごと落としてしまったために可能であった出来事です。すでに書きましたように,この定期入れにはパスモだけでなく,バスの定期券も入っていました。この定期券は,持参人方式,すなわち定期券を持っている人が使用できるというタイプですから,名前は記入されていません。ただ,継続的に更新するための利便性を高めるために,自宅の電話番号は記入してあったのです。一方,僕のパスモは記名式でしたから,こちらには電話番号は書かれていませんでしたが,僕の名前は印字されていました。したがって先方では,持ち主とその電話番号の両方を知ることが可能となったのです。
                         
 先方の話では,その定期入れは,県立大学駅で預かっているとのこと。はっきりとは言われませんでしたが,おそらく僕が落とした電車の乗客がそれを拾い,その方の下車駅である県立大学駅で届けてくれたのだろうと思われます。県立大学駅の改札の駅員はそれを把握しているので,そこに取りに行くようにというのが,このときの電話で指示された内容でした。時間的な関係から,この日のうちに取りに行くことは断念し,翌日に行くことにしました。
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農林水産大臣賞典報知新聞社杯エーデルワイス賞&パスモの紛失

2013-10-10 20:25:09 | 地方競馬
 2歳馬による最初のダート重賞,第16回エーデルワイス賞
 滅多にないくらい揃った発馬。先手を奪ったのはフクノドリームでノットオーソリティが2番手。その後ろは内にラブミースルー,外にクーファナイン。さらにドラゴンスズランとピクニックムードが続きました。前半の600mは33秒8で,これは超ハイペースでしょう。
 3コーナーを回ったあたりからフクノドリームが差を広げ始め,3馬身ほどのリードで直線に。ノットオーソリティーは苦しくなり,内からラブミースルーが交わして2番手に。しかし前に届くような勢いではなく,4馬身差で楽に逃げ切ったフクノドリームの優勝。コース取りもうまかったラブミースルーが2着。外を回って追い上げたピクニックソングがノットオーソリティーを捕えて2馬身差の3着。
 優勝したフクノドリームは新馬を2着の後に未勝利を勝ち上がり,前走は芝のオープンで2着馬に1秒差の圧勝。このクラスの中央馬が出走すること自体が珍しいケース。初コース,初ナイターと課題がなかったわけではありませんが,スピードを生かしきれれば今晩のような圧勝になるのも当然といえそうです。距離延長にどこまで対応できるのかは,ちょっと分からない部分です。従姉に2003年のこのレースの優勝馬のエスワンスペクター
 騎乗した横山和生騎手はこれが重賞初勝利。管理しているのは杉浦宏昭調教師でエーデルワイス賞初勝利。

 今年の1月に,定期入れ紛失というアクシデントがありました。実はパスモは,この定期入れに入っています。この定期入れは両面タイプのもので,片側にバスの定期券,片側にパスモと入れてあったのです。パスモの紛失というのは,パスモだけを紛失したというわけではなく,この定期入れごと紛失してしまったという意味です。
                         
 1月にバスの車中に落としてしまって以来,僕はまた落とさないようにとよく注意していました。ただ,注意はしていても落としてしまうものは落としてしまいます。僕は明らかに自分の不注意によって失敗してしまったという場合にはひどく落ち込みますが,全力を尽くした結果として悪い目が出てしまったとしても,それは仕方がないことと割り切ることはできます。このときは,気を付けていたことは間違いなく,それ以上に自分にできることがあったようには思えませんでした。ですから前回はひどく落ち込んでしまいましたが,今回は仕方がないと諦めることができました。
 とはいえパスモで入場したわけですから,それがなければ駅の外に出るということができません。改札口のところに赴き,駅員に事情を話しました。対応してくれたのは,おそらく20代と思われる若い駅員でした。彼はまず,どこで紛失したかを尋ねてきました。降りたばかりの電車の中に落としたということは,可能性としては南太田駅で落としてしまった場合もあり得ますから,100%とはいえないまでも,まず確実であると僕は思っていましたから,そのように伝えました。南太田は各駅停車しか停まりませんから,必然的に僕が乗っていたのも各駅でした。そして僕が乗っていたこの電車は,この先の金沢文庫駅で快速特急の待ち合わせをするので,長い停車時間があるとのこと。そこで探すということで,僕は一時的に待機することになりました。たまたま最後尾の車両に乗っていましたので,それを伝えるのには苦労せずにすみました。
 ほどなくして金沢文庫の駅員から連絡が入りましたが,どうやら定期入れは発見できなかったようです。そこで対応してくれた駅員は,落し物の問合せ先の電話番号などが印刷された紙を渡してくれました。
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新人王戦&鉄剤の処方

2013-10-09 19:32:03 | 将棋
 大阪から東京へと舞台を移した第44回新人王戦決勝三番勝負第二局。
 都成竜馬奨励会三段の先手で5筋位取り中飛車。藤森哲也四段は居飛車で相穴熊になりました。
 相穴熊だとたまに見られますが,途中からは大差の将棋になりました。
                         
 先手が飛車を打ち下ろしたところで,もう先手がよくなっているものと思います。後手も何とか攻めなければいけません。飛車は取らずに△3八歩と叩き,▲同金△同角成▲同飛△4七銀と進めました。先手はそこで▲8三角と打ったのですが,これがこの将棋の決め手となったといえそう。△3八銀成▲同角成となって先手は盤石。
                         
 この後も受けに徹した先手が,後手の攻めを完全に切らせて勝っています。
 都成三段の勝利で1勝1敗。第三局は22日です。

 I歯科で使用している麻酔というのが非常に効くということは,僕自身が感じていたことですし,以前に記したことがあったかと思います。この日は母がおそらくはこの麻酔を使用したわけですが,やはり母も僕と同様に,麻酔の効き目を感じていました。うがいをすることも難しくなるということで,これは僕自身の感覚と一致しています。
 月が変わって7月1日の月曜日に,妹の遺伝科への通院がありました。この日の予約は午後1時半。貧血について主治医に相談したところ,飲み薬を処方してもらうことになりました。これは鉄剤で,朝と夜の食事の後に,一錠ずつの服用です。僕はこの日は長者町。長者町の場合,僕は悪天候でない限りは歩いていきます。これは少なくとも運動療法の改善をして以降はずっと継続しているもの。ただし帰りはバスを使います。というのは長者町での仕事の場合には,帰宅するときの方が荷物が多くなるからです。なのでこの日もバスで帰ったわけですが,そのバスの車中で,病院から帰る母と妹に会いました。もっとも,このバスは混んでいまして,先に乗っていた僕は後部の座席に座っていまして,母と妹は前方にいましたので,僕はふたりが乗車してきたことには気付いていたのですが,ふたりは分からなかったようです。下車したときに僕の方から声を掛けますと,驚いていました。この日は僕が早く終りまして,帰ったのが午後3時半頃。このためにたまたまバスで会うことができたということになります。
 翌7月2日の火曜日。僕はまず南太田に出まして,その後で弘明寺に行く必要がありました。南太田と弘明寺は京浜急行で2駅しか離れていませんから,この移動自体は大したものではありません。南太田から京浜急行の電車に乗ったのは,午後2時45分頃だったのではないかと思います。そしてふたつ先の弘明寺で降りようと思ったのです。
 僕は電車での移動の際にはパスモを利用しています。ところが降りて駅を出ようとしたところ,そのパスモがありませんでした。南太田で乗ったときにはパスモで入場したわけですから,その間に紛失したということになります。おそらく電車内に落としてしまったのでしょう。
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農林水産大臣賞典白山大賞典&小型化の効能

2013-10-08 19:24:06 | 地方競馬
 今年のJBCクラシックと同じコースという意味でも注目となった第33回白山大賞典
 エーシンモアオバーの逃げは予想通り。フリートストリートとサミットストーンがこれをマーク。内を進んだのがジャングルスマイルで外にコスモファントム。その後ろにハタノヴァンクール,シビルウォーでしたが,1周目の正面ではシビルウォーが外を追い上げて4番手まで進出。ハタノヴァンクールもこれに続きました。
 向正面に入るとエーシンモアオバーが1馬身ほどのリードを奪い,2番手にフリートストリート。サミットストーンは後退し始め,外からシビルウォーが3番手,内からハタノヴァンクールが4番手。ここからはこの4頭の競り合い。直線に入るとフリートストリートは脱落。ハタノヴァンクールはエーシンモアオバーとシビルウォーの間からエーシンモアオバーを追いましたが届かず,逃げ切ったエーシンモアオバーの優勝。半馬身差でハタノヴァンクールが2着。ずっと外を回ったシビルウォーはハナ差で3着。
 優勝したエーシンモアオバーは昨年12月の名古屋グランプリ以来の勝利で重賞2勝目。能力は2着馬,3着馬より劣るように思うのですが,斤量差と,展開の利を生かした形。この馬の場合は大レースを制覇するというところまでは難しいのではないかと思っていますが,このクラスの重賞であれば,またどこかで勝つというシーンが見られるのではないでしょうか。父はマンハッタンカフェ
 騎乗した岩田康誠騎手は第26回28回を制していて,5年ぶりの白山大賞典3勝目。管理している沖芳夫調教師は白山大賞典初勝利。

 血圧に関する問答はこれで終了。最後にいつものように血糖値測定のためのセンサーと針を受け取りました。実は血糖値測定器具一式が一新され,小型化されたことによる影響が,ここに出ています。
                         
 器具一式が小型化されたということは,センサーも針も小型化されているのは当然です。したがって,それらが封入されている箱というのも,以前に比べれば小型化されているのも道理です。箱に封入されている数,センサーなら枚数,針なら本数というのは以前と変更がありません。したがってこのときに僕が受け取る箱の数というのは,以前とは変更がありません。家に残っている数が関係してきますから,いつもいつも同じだけ受け取っているわけではありませんが,多ければ8箱ずつ,少なくても6箱は受け取ります。そしてそれを持ち帰るわけですが,小型化されていますからこの持ち運びがだいぶ楽になっています。1箱や2箱であれば大して変りはなかったかもしれませんが,6箱~8箱でそれが二種類ともなると,だいぶ影響してくるものなのです。そもそもバッグに入れて持ち帰るのですが,そこに詰める作業自体がとても楽になっています。
 普段と同じように薬局に寄ってから帰宅。4時15分くらいのことでした。
 翌18日の火曜日はI歯科に。この日は10時半の予約でした。仮の被せものを外して,本来の被せものを装着。装着した後で最終的な手直しが行われて今回の治療は終了となりました。11時前には帰宅できましたから,非常に順調な治療であったといえるでしょう。午後は長者町へ。
 渡米した母と妹が帰国したのは6月25日の火曜日。つまり僕のひとりでの生活もこの日までだったということになります。僕はこの日は川崎でしたが,ふたりの帰国は遅く,家に着いたのは午後10時過ぎでしたから,もちろんそのときには僕も在宅していました。
 28日の金曜日に母がI歯科へ。渡米のために中断していた治療が再開されたわけです。ブリッジを架ける部分については神経の除去が行われていませんから,まず麻酔。そして残っていた上の部分の型取りをして,またセメントでそこを埋めてきました。僕はこの日は港南中央でした。
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凱旋門賞&低血圧

2013-10-07 19:19:22 | 海外競馬
 日本時間で昨晩の11時15分過ぎの発走になったロンシャン競馬場での第92回凱旋門賞GⅠ芝2400mには,予定通りに2頭の日本馬が出走しました。
 オルフェーヴルは中団の後ろ目の外,キズナは最後尾付近のインを追走。といっても極度のスローペースのレースになったため,出走した17頭が一塊,先頭から殿までさほどの差がない展開。オルフェーヴルは馬群の中,キズナは外に出してやや上昇するという道中の動き。
 レースは完全な直線勝負。今年のフランスオークスを勝ち,前哨戦のヴェルメイユ賞を制してこれまで4戦4勝だったフランスのTreveがあっという間に抜け出し,5馬身差の圧勝。オルフェーヴルは馬群を抜け出し,内から抜けてきたフランスのIntelloと並んで追い上げましたが差は詰まらず。この2頭はずっと競り合っての2着争いでしたが,前に出ていたオルフェーヴルが抜かせずに2着は確保。外を追い込んだキズナはこの2頭から2馬身差の4着。
 レース前の映像で見たオルフェーヴルの気配が,非常に悪く感じられたので,大きく負けてしまうのではないかと危惧したのですが,それは杞憂でした。頭数は差がありますが,第85回と同じく,極端なスローペースの末の上がり勝負。こうした場合は総合力より瞬発力が重要になるため,斤量が軽い3歳の牝馬が有利になるのは事実。とはいえこれだけの着差をつけられているのですから,勝ち馬を褒めるべきでしょう。どんなレース展開でもTreveが勝ったであろうと思います。むしろずっと競り合った末に2着を確保したことについて,オルフェーヴルを称えていいのではないかと思います。
 キズナはこのようなレースをすることでよい結果が出るようになってきましたから,展開に左右されるのは仕方ありません。こちらも外を回って4着まで追い上げたのは,確かな力があるということを十分に示した結果であると思います。
 キズナの帯同馬として渡仏したステラウインドは前日のドラール賞GⅡ芝1950mに出走して7着。オルフェーヴルの帯同馬のブラーニーストーンは当日のフォレ賞GⅠに出走,8着でした。

 以前の主治医には尋ねられたことは1度もなかったのですが,U先生はたまに血圧のことを聞いてきます。内分泌科の受付の横には大型の血圧測定器が設置されいて,そこで事前に血圧を測定しておくことが可能になっています。僕は通院をし始めた頃は計測していたのですが,尋ねられないということが分かってからは計測しなくなりました。ところがU先生は,いつであったか忘れてしまいましたが,これより以前の診察のとき,血圧を聞いてきたことがあったのです。そのときは計測していませんでしたから分からないと答えるほかありませんでした。診察室にも測定器がありましたから,そのときはそれで計測したのです。しかしそれ以来,U先生は血圧について聞いてくる場合があるということを僕も覚えましたから,事前に計測しておくようにしました。それほど手間が掛かることではありませんし,予約時間きっかりに診察が開始されることは稀でしたから,時間もあるわけで,これはそんなに大変な作業ではありません。
 この日は聞いてきたのです。受付の横の計測器は,計測の結果が小さなメモとして印刷されます。僕は事前に計測していたのですから,この日はそのメモを渡しました。
 U先生はその結果を見て,ふらついたりすることはないかと尋ねてきました。入院中は午前と午後の2回,血圧の測定をしていまして,そのときにも書いたように,僕の血圧は低いのです。いわゆる上の血圧が110mmHgを超えるということはまずなく,100mmHgを下回る場合もあるくらいです。このときも確か90mmHg台であったのではないかと思います。
 低血糖を発症した場合は別に,普段の生活の中では,ふらついたりするということはありません。ただ,横になっていて急に立ち上がったりしたときとか,暗い場所から急に明るい場所に出た,あるいは状況としては同じですが,暗い部屋に灯りが点いて一遍に明るくなったときなどに,立眩みのような症状を起こすことはあります。ただそれにしても,立っていられないほどひどいという場合はまずありません。また,これが低血圧の影響であるのかどうかも不明です。とくに問題ないと答えました。
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農林水産大臣賞典レディスプレリュード&2013年6月の通院

2013-10-06 18:56:26 | 地方競馬
 3日の第10回レディスプレリュード
 メーデイアが好発を決めましたが,メビュースラブを行かせて2番手に控えました。レッドクラウディアとアムールポエジーが並ぶように続き,アクティビューティが少し離れて追走。前半の800mは49秒9でミドルペースに近いハイペース。
 メビュースラブが早めに一杯となってしまい,メーデイアが3コーナーでは先頭に。後続勢の追撃を,突き放すことはできませんでしたがさりとて並ばれるということもなく,そこからゴールまで先頭を守って1馬身差で優勝。激しくなった2着争いから抜け出したのはアクティビューティ。内でしぶとく食い下がったレッドクラウディアが4分の3馬身差で3着。外を追い込んだ4着のクラーベセクレタ,勝ち馬を積極的に追いかけた5着のアムールポエジーまで,それほど差のない入線でした。
 優勝したメーデイアは7月のスパーキングレディーカップからの連勝で重賞4勝目。ここは能力的には抜きんでていた筈ですが,これまでのような差をつけての優勝とはいきませんでした。久々の実戦であったことが影響したのかもしれませんが,他馬との能力差が接近しつつあるということも考えられなくはないように思えます。父はキングヘイロー。半姉に2006年の福島牝馬ステークスを勝ったロフティーエイム。馬名はギリシア神話に出てくる王女。
 騎乗したのは浜中俊騎手で管理しているのは笹田和秀調教師。レディースプレリュードは共に初勝利。

 最後に管理栄養士からプリントを渡されました。これは食事記録を細かく記入するためのもの。朝食,昼食,夕食を摂取した時刻。献立とその食材,そして使用した量を記述するもの。渡されたのは同じものが3枚。つまり3日分です。次回の栄養指導のときに,記入して持ってくるようにというのが管理栄養士の指示でした。次回というのは,次回の通院の日と同日で構わないとのこと。この時点ではまだこの日の診察が始まっていませんでした。つまり次回の通院がいつになるかということは不明でした。よって次の栄養指導の具体的な日時は,この時点では決定していませんでした。というか決定することができなかったという方が正しいでしょう。
 僕は入院中から,何を何時に食べたのかということは,すべてノートに記録しています。このプリントは,僕のノートと比較するならより細かさを要求されているとはいえますが,その延長であるにすぎません。したがってこの指示自体は,僕にとってはとくに大変だとか面倒だとか思えるようなものではありませんでした。
 栄養指導が終りましたので,指導室を出て再び内分泌科に。予約は14時半であったわけですが,実際に診察が開始されたのは14時50分頃でした。
 この日のHbA1cは6.5%でした。4月の通院のときよりさらに良化していたことになります。昨年の9月が6.6%で,6%台になったのはそのとき以来。これでもまだ正常値よりは高いわけですが,ここ最近では最も良好な数値が出たということになります。ただ,とくに生活に変化があったというわけではなく,なぜ良化したのかということはよく分かりません。
 この日は検査項目が前回よりも多くなっていました。前回はクレアチンキナーゼに問題がありました。これはこの日も検査されていて130でした。HbA1c以外の検査項目で,異常を示すマークが入っていたのはLDLコレステロール。これは下限値が70㎎/㎗のところ,61でした。これはこの後も含めてこれまでに3回の検査が記録として残っているのですが,3回が3回とも下限値を下回っています。その中でもこの日の61というのは,最小の値です。
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王座戦&栄養指導

2013-10-05 19:18:05 | 将棋
 2日の第61期王座戦五番勝負第三局。
 中村太地六段の先手で角換り相腰掛銀。羽生善治王座は過去に一局だけあった手順に。その将棋は先手が勝ったのですが,本局は先手から手を変えました。ということは,その前例は後に後手が有望となる順があるという共通認識が両対局者の中にあったか,さらに有力な変化が先手にはあったと中村六段が認識していたかのどちらかであったと推測されます。
                        
 後手の腰掛銀が一歩前進した局面。ここは4五に出る手もあり,それはダメたという羽生王座の読みがあったようですが,その方が後手は後にチャンスを得る可能性がより高い進展になったのではないかと僕には思えました。
 先手の指し手は☗5五同角。これは決めにいく手です。☖同馬に☗3五歩と拠点を作り,☖4四金寄に☗1三歩成の成り捨て。香車は渡しづらい後手は☖同桂と応じました。そこで☗4五歩と叩いておいて☖同馬に☗3四銀。
                        
 すごく思いきった手順だと思えるのですが,この踏み込みで先手がはっきりとしたリードを奪うことに成功しているようです。以下はほぼ一方的に先手が攻めきる展開となりました。
 中村六段が2勝目をあげて初タイトルに王手。第四局は8日。ただ,都合によりその将棋の掲載は大幅に遅れる見込みです。

 入院中に受けた栄養指導は,どんな食品をどの程度まで食べればよいのかということの,具体的な指導でした。摂取するべき熱量を単位に変換した上で,どのような栄養素の組み合わせでその単位数を満たすべきであるのかということの,きわめて具体的な指導であったわけです。なお,摂取するべき熱量というのは,医師ではなく,管理栄養士が決定しました。
 僕は今回の栄養指導では,その単位数の変更があるのではないかと推測していました。というか,そういうことでないのであれば,わざわざこうした指導を実施する必要がないように思えたからです。ところが,この推測は間違っていました。一言で的確に表現するならば,この日の栄養指導というのは,再指導というのに近い内容であったと思います。
 実際にこの日に行われたのは,管理栄養士による聞き取り調査のようなもの。要するに普段の僕の食生活に関して,管理栄養士がいくつかの質問をして,僕がそれに答えるというもの。僕は基本的に,最初に栄養指導を受けた内容については,それを守っています。一時的に,きっちり計量をするということを怠っていたことがあったのは確かですが,HbA1cが高くなったのを機に,食餌療法の改善をして,それ以来はこのときも継続していました。ですから何をどのくらい食べればよいのかということは,少なくとも一般的にスーパーマーケットなどで販売されているような食品に関しては,それを把握していました。要するに食品の1単位のグラム数がどれくらいであるのかということを,ほぼ把握していたということです。もちろん把握しているだけでは十分でなく,実際に食べる量がそれに適合していなければ無意味ですが,そちらの方も守っていたわけです。よって栄養士の質問にも滞りなく回答することが可能でしたし,それで何も問題はありませんでした。むしろこの点に関しては,管理栄養士に感心されたくらいです。
 ということで,新しい特別な指導というのは何もありませんでした。ただ,実際の食事と,血糖値の上下の関係について,もっと詳しいデータを得る必要があったようです。そのためにまた栄養指導が必要になったのです。
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大山名人杯倉敷藤花戦&指導室

2013-10-04 19:19:49 | 将棋
 1日の第21期倉敷藤花戦挑戦者決定戦。対戦成績は甲斐智美女流王位は0勝,香川愛生女流二段が1勝。
 振駒で甲斐女流王位の先手となり三間飛車。香川女流二段は玉を左に囲っての中飛車。僕は知りませんでしたが最近はこういう指し方があるのだそうです。狙いは穴熊らしいのですが,互いに玉を十分に囲えないうちから戦いに突入。持ち時間が短い将棋だったこともあり,バランスが激しく揺れ動いた一局でした。勝敗が決したのは以下のところ。
                         
 ここは後手が勝勢というか勝ち。△4八桂成がその手だったのですが,△4一同金と取りました。そこで▲5ニ歩成。ここが後手にとって最後のチャンスで,やはり△4八桂成で勝ちでした。ところが△これも同金と取ったため,▲5八歩の受けを許し,これで先手の勝ちになりました。
                         
 甲斐女流王位が挑戦者に。倉敷藤花戦は初の三番勝負進出。第一局は来月10日です。

 アームバンドがちょうどその擦り傷の部分に触れてしまったため,このときは痛みを感じたのです。前夜の転倒は激しいものでしたから,その瞬間の痛みはひどいものでした。ただ幸いにも擦り傷がいくつかできただけで,それ以外の怪我はありませんでした。ですからこのときには左半身の痛みというのも消えていたのです。むしろアームバンドの装着によって痛みを感じたことにより,前夜のことを想起したというくらいでした。つまりもう通常の意識のうちでは忘れ去られた出来事になっていたといえるでしょう。
 この日も診察は午後2時半から。ただ,前回の通院の際にU先生から栄養指導を受けるように指示が出されていました。その予約もU先生が入れてくれたのですが,診察の前,午後2時からとなっていました。これですと外食すると間に合わなくなる危険性が大です。よってこの日は院内の食堂で昼食を済ませました。
 栄養指導は午後2時からでしたが,これをどこでやるのかが僕には分かっていませんでした。診察券を通してプリントアウトされた紙にも,場所は書かれていなかったのです。栄養指導は入院中にも受けていましたが,それは病室のあった8階の,会議室のような一室でした。しかし今は入院しているわけではありませんから,そこで行うとは考えられません。そこで,2時少し前にまずは内分泌科の受付に向い,これをどこでやるのかを尋ねました。すると指導室という部屋があり,そこで行うとのこと。これは病院の入口の近くの部屋だったのですが,かなり奥まった場所にありまして,僕は1度も行ったことがない,通ったこともないという場所でした。そちらの方から人の出入りがあるということは認識していましたが,その多くは患者というより明らかに病院関係と思える人たちばかりだったので,何らかの事務所があるのだろうと漠然と考えていた場所。こんな方に指導室という部屋があるということ自体,驚きでした。
 ついでですから血糖値測定器をその受付の方に渡し,その部屋に向いました。ある程度の広さがある部屋で,部屋の端にテーブルがあり,対面で3人ずつくらいは座れるもの。もちろんこのときは,一対一でした。
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新人王戦&転倒

2013-10-03 19:15:40 | 将棋
 奨励会三段がその身分のまま進出してきた第44回新人王戦決勝三番勝負の第一局。公式戦では初対局。
 振駒で藤森哲也四段の先手。相居飛車の力将棋に持ち込み,角換りで先手が早繰り銀,後手が腰掛銀のような将棋に。
                         
 都成竜馬三段はここで△4三角と打ちました。単純な攻め筋なので,成功するか失敗するかが勝敗に直結するような一手だったと思います。先手は▲2四歩△同歩▲3五銀と受けずに攻め合いに。後手も△8六歩▲同歩△8五歩と攻め合いに応じました。先手はその継ぎ歩も▲同歩と取り,△7六銀▲同銀△同角▲7七金。最も直線的な受け方で,これで受かっていれば最善だと思えます。後手は△3七歩成▲同桂としてから△8五飛。そこで▲8七歩と受けました。
                         
 ちょっと気付きにくい受け方という印象なのですが,角取りが残っているのでこれでよかったようです。後手は△3二角と逃げざるを得ず,ここで手番を得た先手が優位に立ったのではないでしょうか。以下も攻め合いは続きましたが,そのまま先手が押し切っています。
 藤森四段の先勝。第二局は9日です。

 5日の歯科検診で発見された虫歯の治療のために予約を入れておいたのが11日の火曜日。午前10時半でした。
 この日はまず注射で麻酔をしました。その後でレントゲンの撮影。そして患部を削りました。この治療中に手鏡で問題の部分を見せてもらいました。僕が見たところで何も分かりはしませんが,I先生によれば,かなり奥の方,神経に近い箇所まで虫歯は進行していたようです。もっとも,I先生は神経の除去は好まないですから,その部分の神経まで抜いたわけではありません。ただ,そこまで歯を削ったわけですから,このまま放置しておけば沁みて痛むのは確実です。つまり被せものをする必要が生じたということ。そのためにすぐに型取りまで済ませまして,その後で仮の蓋で埋め,この日は治療終了となりました。あくまでも仮の蓋ですから,後日,本来の被せものをしなければなりません。つまりもう一度,通院しなければならなくなったということです。I歯科を出て家に戻ったのは11時半過ぎでした。午後はこの日も長者町へ。
 6月17日の月曜日は内分泌科通院。いつものように採尿,注射針の処理,採血という順で済ませ,アームバンドを装着してもらいました。このとき痛みを感じました。しかしこれは,この日の技師がきつく締めたからというわけではありません。次のような事情があったからです。
 実は前日,16日の日曜日の夜のことになりますが,僕は自宅の階段を踏み外してしまい,転倒しました。そのときに,身体の左側を強く床に打ちつけてしまい,上半身から下半身に至るまで,身体の左側にいくつかの擦り傷ができていたのです。その擦り傷が,左腕の肘の部分にもありました。採血は一度だけ右腕で行ったことがありましたが,それは求められたから応じただけであり,僕は左腕を出します。そして右腕を出すように求められたことは例外的にそのときだけでした。つまりこの日も左腕から採血したわけです。アームバンドは採血をした腕に巻きます。したがって必然的にこの日は左腕に巻かれたことになります。採血は肘の裏の部分で行いますから,アームバンドは表の肘の部分にも当たることになるわけです。
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農林水産大臣賞典東京盃&歯科検診

2013-10-02 20:41:14 | 地方競馬
 優勝馬にJBCスプリントの優先出走権が付与される第47回東京盃。三村展久騎手が病気でブレーヴキャンターは山中悠希騎手に変更。
 セレスハントは出負け。飛び出したのはオーセロワで,ハードデイズナイトとタイセイレジェンドは離れず追走。少し開いて内にサイオン,外にアドマイヤサガス。ティアップワイルド,テスタマッタの順になりました。前半の600mは34秒4で,ハイペースですが,不良馬場であったことも考慮に入れれば,それほどでもなかったといえそう。
 オーセロワは4コーナーでは一杯。ハードデイズナイトとタイセイレジェンドの追い比べになりましたが,直線半ばではハードデイズナイトが力尽き,ここで抜け出したタイセイレジェンドが差し馬の追撃も許さずに3馬身半差の圧勝。2着争いは大混戦になりましたが,内目をうまく捌いたテスタマッタ。外目を回ったアドマイヤサガスが半馬身差で3着。その外のティアップワイルド,大外を追い込んだアイディンパワー,出負けしたセレスハントまで,差のない入線となっています。
 優勝したタイセイレジェンドは昨年のJBCスプリント以来の勝利で重賞3勝目。ここ2戦は59キロを背負っていたこともあり,2着に負けていましたが,今日は58キロで,能力的にも最上位でしたから,負けられなかったところ。単に勝ったというだけでなく,激しくなった2着争いを尻目に差をつけての勝利ですから,JBCスプリント連覇に向けて視界良好といったところではないでしょうか。父はキングカメハメハ。母の父はメジロマックイーン。4代母はクレアーブリッジ。祖母の従弟に1995年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬のサクラチトセオー。その半妹に同年のエリザベス女王杯を勝ったサクラキャンドル
                         
 騎乗した内田博幸騎手は第37回と第41回を制しているので6年ぶりの東京盃3勝目。管理している矢作芳人調教師は東京盃初勝利。

 月が変わって6月1日。この日はと妹が美容院に行っています。そして2日の日曜日にピアノのレッスンでした。
 3日の月曜日は午前中に本牧へ。この帰りにI歯科に寄りまして,検診の予約を入れてきました。予約は電話でも可能ですが,根岸駅はよく通る場所ですから,僕はこのようにすることの方が多いです。基本的に電話をするということがあまり好きではないということもあるからです。午後は石川町でした。
 その予約を入れたのは5日の水曜日。この日は午前中はオフでしたから,何時でもよかった,個人的にいえば早い方がありがたいですが,ほかの患者の予約の関係から11時に。僕は歯科検診にせよ眼科検診にせよ,終日オフであるか,そうでなければ午前中はオフであるという日の午前中に済ませています。実は水曜というのは午前中にオフになるというのが少ない曜日で,たぶん水曜に検診をしたのはこれが初めてであったのではないでしょうか。この日,I歯科はI先生のほか,歯科助手がひとり,歯科衛生士がひとりの3人でした。たぶん在籍している歯科衛生士というのはこの時点ではふたりいて,そのふたりの交替制になっていたように思われます。この日はクリーニングの後,I先生から虫歯の治療の勧告を受けました。右上の最も奥の歯で,この歯の噛み合わせによって生じた溝に沿うような形で虫歯が発生しているとのことでした。手鏡でその部分を見せてもらいましたが,変色しているのは確かでした。僕が見たところで治療が必要であるのかそうでないのかは分かりませんが,I先生が勧めているわけですから断るような理由は何もありません。なのでその治療のための予約を入れて,この日は帰宅しました。家に着いたのは12時過ぎ。午後は穴守稲荷の近辺,産業道路と環状八号の交差点の近くまで出ています。
 翌6月6日の木曜日に,母と妹が渡米しました。伯母の夫の母親の容態は安定していますが,いつ何が起こるか分からないのも事実です。ということでこれまでの渡米と渡米との間隔よりもやや短い間隔で渡米しているのです。この日からまたひとりでの生活がスタートしました。この日は長者町でした。
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