書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

違った。

2013年06月11日 15時52分01秒 | 日記
○違った。

 ヨドバシカメラの店員さんはSIGMA 60㎜ F2.8 DNとSIGMA DP-3のレンズは同じだって言ってたけど、調べてみたら微妙に違った。

Fig:60㎜F2.8


Fig:DP-3専用50㎜F2.8


 そもそも焦点距離自体が違うし、交換用レンズと組み込み専用レンズは設計上の制約が違うのかも知れない。

 最も違うのは至近倍率で、DP-3が3.33倍なのに対して60㎜F2.8DNは0.139倍と低い。



 DP-2やDP-1はDNシリーズと焦点距離は一緒なんだけど、やっぱり設計は違った。

Fig:19㎜F2.8


Fig:DP-1




Fig:30㎜F2.8


Fig:DP-2


 DPシリーズの組み込みレンズは後ろ側に大きなレンズが配置されている傾向があるので、このままだと交換式レンズにはならないので設計変更しているのかも知れない。

 19㎜はMTFの値が結構違うけど、30㎜や60㎜はあまり違いは見られない。



Ende;
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心とは。

2013年06月11日 15時48分24秒 | 意識論関連
○心とは。

 「気持ち」は短絡的に人間性を伴う「心。」にはならない。

 DV男に暴力を振るわれながらもバカな被害者女性が別れられない理由は、DV男というのは散々暴力を振るった後に急にやさしくなるのが原因の一つと言われる。

 気分的に「やさしい気持ち。」になるというのは、あくまで大脳辺縁系の反射であって。その場限りの環境依存的結果に過ぎず、主体的な意思による目的行動選択とは無関係である。

 散々暴力を振るい、脳内物質を消費した結果、大脳辺縁系からセロトニンが分泌されることで、急に行動が穏便になることを「やさしい気持ち。」だと勝手に妄想するのは簡単である。

 簡単な観念を鵜呑みにすることを、平たくいえば「バカ」と言う。



 あなたがもし、兵隊に徴用されてユダヤ人収容所に配属されたとしよう。そして上官から数百万人のユダヤ人殺害計画書を渡され、これを実行しなければならないと命令を受けたとしよう。

 こういった状況下において、「やさしい気持ち」でいることに何の意味があるだろうか。

 アイヒマン実験において、被験者が権威の命令に逆らう時に「やさしい気持ち。」などにはまずならない。それでも権威者に逆らい決別し、自律的に責任を負う判断を下す時に必要となるのは、「やさしい気持ち。」だとか「勇気。」だとか、「元気。」といった気分の問題ではなく、徹頭徹尾論理的合理性を追求する主体的判断である。

 原発の安全責任者が、上司から原発の危険性を放置するように命令された時に。気分的に平穏でいるためには服従しておいた方が「気持ちは楽。」に違いない。

 こうした気分的怠慢を指して、人間性を伴う「心。」と形容するのは、とんでもない大間違いである。


 人間にしか持ち得ない「心。」とは何かと言えば、これは固定観念に基づいた気分感情に流されることなく、自律的に社会的責任判断を選択する「意志。」を指す。

 現在の生物学者や脳神経認知科学者達のように、仲間内で話を丸めて何の批判精神も持たずに大衆マスコミにウケの良さそうな話だけ垂れ流して人気を得ていれば、きっと「気持ちは楽。」に違いない。

 権威や多数派に逆らう時、ヒトは恐怖を抱き、精神に恐慌をきたし、「恥ずかしい。」という感覚を抱く。これこそが先天的本能由来の社会形成習性が促す「感覚」であり、無意識が作り出す行動バイアスである。

 あらゆる「人災」の全ては、こういった無意識な本能由来の行動バイアスにより、自律的な論証検証性を喪失することが最も根源的原因となって生ずるものである。



 「大切な人のため。」などという観念も人間性を伴う「心。」の論証にはならない。「大切な人。」という特定人物だけを優先するということは、「大切でない人。」を蔑ろにするからである。

 原発の安全管理担当者が、自分の家族のために会社を辞めさせられないように上司の命令に従うことを「心。」と形容することは出来ない。

 特定の偏った集団組織の利益のためだけに選択される行動というのは合理性を「追求している。」ことにはならない。

 本当の合理性を「追求する。」からこそ、社会全体の安全性や持続可能性にまで配慮が働くのであって。気分感情とは無関係に合理性を徹底追求することこそが、本質的な人間としての「心。」ある行動を導くのである。



 文科系の大衆マスコミのほとんど全員は、「自分の気分感情こそが人間性を作り出すものである。」と勝手に勘違いしているが。自分自身で選択していない遺伝要素や脳の行動バイアスを本質的な自己だと勝手に錯覚していることが原因であって、こんなものは論理的思考検証の出来ないポンコツによる身勝手な勘違いに過ぎないのである。

 目先の「大切な人。」のために意識を奪われ、「そうでない人。」への配慮を喪失しておいて「心。」もすったくれもあったものではない。

 振り込め詐欺師が目先の仲間を「大切。」にして、飯を驕っても「心。」の証明には全くならない。

 「大切な人のため。」と称して戦争を煽ることこそが、人間としての「心」を喪失するのであって。大衆ウケの良さそうなバカげた観念を振り回して多数人気を得ることに価値はない。





Ende;
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近道。

2013年06月11日 15時47分21秒 | 意識論関連


 一日6000歩以上歩いていると前頭葉の萎縮を防げるらしい。

 歩くという「運動。」だけの問題ではなく、公道を歩くことによって周囲の交通への配慮をしたり、何かを思いついたり気がついたりするといった脳の働きを促すことが効果的なのではないかと考えられます。

 結局、前頭葉の萎縮を抑制するのは、主体的な意欲なんだそうです。

 強迫観念的に記憶力を鍛えておけば認知症にならないものだと思い込むのは簡単です。

 単なるペーパー試験での論理検証成績だけでは頭が良いとは言えず、あくまで自律的で自発的な論理検証によって人間性というのは築かれるのです。ボケちまったら人間性もすったくれもないでしょ。

 だから何度も言うように、「自律とは自発の中にあり、他にはない。」のです。

 試験の類で成績が良くても、社会的責任判断を自律的に出来なければ人間としての知能にはならないのです。

 大量の記憶力を獲得出来ても、記憶している内容から論理整合性の検証をするという「意欲」や「意識」は本質的な自発性がなければ出来ないのであり。単なる「記憶マニア。」は頭が良いことの証明には全くならないのです。

 記憶力コンテストで成績の良いヒトが認知症になりにくいといった統計でもあるんでしょうか。そんな話聞いたことありません。多分記憶力マニアの多くは認知症になりやすいのではないでしょうか。

 原発の技術者になれる程成績が良くても、毒ガス「サリン」の製造方法を開発出来ても、天下りが出来る程役所で成績が良くても、これらが短絡的に人間性の論証にはならないのです。彼らは臨床上は認知機能に障害があるとは判定されませんが、ありていに言って人間としての認知機能に障害があるから自律的な社会的責任判断を行えなかったんですよ。

 組織集団内部での偏った評価基準や価値観そのものに、論理検証的批判精神を持たない限り、本質的には人間としての「知能」とは言うことが出来ないのです。

 現在の認知科学者やマスコミがそそのかす「これさえやっときゃ、頭が良くなる。」的なペテンを鵜呑みにする頭の悪さを認識出来ずに、どうして「頭が良くなる。」と言えるのでしょうか。

 それこそが「バカになる。」ための最短ルートなんじゃないですかね。

 そりゃ「人災」も減らないっすよ。



Ende;
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危機感。

2013年06月11日 15時45分38秒 | 意識論関連
○危機意識と危機感は違います。

 気分的恐怖心や観念的猜疑心を危機意識と勘違いしているケースが多いように見受けられる。

 気分だの観念といったものを、意識の本質であるとヒトの多くは錯覚しているが。こういった気分や固定観念の「強度」というのは大脳辺縁系の反射であって無意識であり、本質的な意識である論理検証性とは無関係である。

 本当の意味での意識による危機管理能力というものは、先天的気分感情だの後天的に刷り込み学習した固定観念的価値観に由来する条件反射的「感覚」ではなく。あくまで自発的な論理検証でなければ「意識」ではない。

 単なる気分的「危機感」は「危機意識」ではないのである。

 そもそも振り込め詐欺に引っ掛かる被害者には、気分的「危機感」だけが先行してしまうからこそ「危機意識」としての論理検証性が失われるのであって。自己の無意識な行動バイアスに流されないようにするための自律的検証性がないからこそ、条件反射的に嘘を鵜呑みにしてしまうのである。

 ヒトは誰しも騙される可能性があって、絶対に騙されないヒトなど存在しないと考えるべきである。

 「ヒトとは、間違えるものである。」というのは危険学における基本的考えであり、間違える可能性を持っていることを前提にしないから合理性のある具体的対策につながらないのである。








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