やっぱり文科系の研究者っていうのは科学的視点とか論理的思考が成立していなくて、統計的多数の「結果」に基づいた結論しか出て来ないところがある。
中東由来の一神教の信者に対して無神論を説くと面倒臭いもんだから不可知論だと言っておけなんていうのも、要するに彼らに対してご機嫌取りをしているだけであって、宗教そのものの問題点を洗い出すための議論を回避してしまっている。
確かに宗教に関わる話というのはセンシティブではあるんだけれども、だからといって機嫌を損ねないように曖昧な議論しか出来ないこと、そのことこそが問題の原因を見えないようにしてしまっている最も大きな要因だということ。
すなはち、ヒトという種の生物全般において言える問題点を見つけだすためには、宗教に限らず企業とか政府とか、学校のイジメなんかも含めて共通する行動パタンとか、行動バイアスというものがあるわけだから、そこを「宗教だから。」と称して聖域を作ってしまうから、特別扱いになってしまって問題が放置されてしまう。
相手が一定の多数で、社会的に大きな影響があるとしても、その影響を怖れて問題点を指摘しないというのは、一種の言論抑圧にしかなっていないわけで。それこそが「個人の自律的判断」を阻害する要因に他ならない。
宗教という非合理的因習を多数派に同調する形で聖域化したり、特別扱いしているから問題点が見えなくなってしまうのである。
人文科学系の学者達というのは、大量の歴史書を読んでしまっているために、大量の「結果」だけから全てを導き出そうとする傾向が見られるが、それは科学的分析ではなくて、「白いスワン」の陳列にしかなっていない。
「今までずっとそうだった。」ことをどんなにたくさん枚挙陳列しても、これからも永遠に続くことの論理証明にはならないのだ。
問題点の聖域化というのは、宗教に限らず様々な集団組織においても生ずるヒトの普遍的性質であり。これも先天的な行動バイアスによって作り出されるものなのである。
そもそも文科系学部自体がそもそも内向的で、議論を公にしたがらず、権威主義に基づいて盲目的に誰かを信奉しようとする洗脳状態だからこそ、長い間何の間違いにも気付かず、クソの役にも立たない屁理屈の陳列で満足していたわけで。自分達の洗脳状態を理解していないバカが、ISILの洗脳状態を議論できるわけがないのである。
「文化」の問題というのは、言い換えれば「時代」や「社会」の問題であり。「環境」の問題を論じているに過ぎない。
環境に依存して行動が無意識条件反射的シーケンシャルに決定してしまうから、同じような過ちを何度も繰り返すのであって。原発事故と一緒で「個人が自律的に社会的責任を持つ」ことが最も重要なのである。
個人が自律的な社会的責任を果たさないからこそ、環境が悪化してしまうのであって。これは企業であれ宗教や民族であれ、「ヒトという種の生物」に共通した普遍的問題として扱わないから原因が見えなくなってしまうのである。
Ende;
中東由来の一神教の信者に対して無神論を説くと面倒臭いもんだから不可知論だと言っておけなんていうのも、要するに彼らに対してご機嫌取りをしているだけであって、宗教そのものの問題点を洗い出すための議論を回避してしまっている。
確かに宗教に関わる話というのはセンシティブではあるんだけれども、だからといって機嫌を損ねないように曖昧な議論しか出来ないこと、そのことこそが問題の原因を見えないようにしてしまっている最も大きな要因だということ。
すなはち、ヒトという種の生物全般において言える問題点を見つけだすためには、宗教に限らず企業とか政府とか、学校のイジメなんかも含めて共通する行動パタンとか、行動バイアスというものがあるわけだから、そこを「宗教だから。」と称して聖域を作ってしまうから、特別扱いになってしまって問題が放置されてしまう。
相手が一定の多数で、社会的に大きな影響があるとしても、その影響を怖れて問題点を指摘しないというのは、一種の言論抑圧にしかなっていないわけで。それこそが「個人の自律的判断」を阻害する要因に他ならない。
宗教という非合理的因習を多数派に同調する形で聖域化したり、特別扱いしているから問題点が見えなくなってしまうのである。
人文科学系の学者達というのは、大量の歴史書を読んでしまっているために、大量の「結果」だけから全てを導き出そうとする傾向が見られるが、それは科学的分析ではなくて、「白いスワン」の陳列にしかなっていない。
「今までずっとそうだった。」ことをどんなにたくさん枚挙陳列しても、これからも永遠に続くことの論理証明にはならないのだ。
問題点の聖域化というのは、宗教に限らず様々な集団組織においても生ずるヒトの普遍的性質であり。これも先天的な行動バイアスによって作り出されるものなのである。
そもそも文科系学部自体がそもそも内向的で、議論を公にしたがらず、権威主義に基づいて盲目的に誰かを信奉しようとする洗脳状態だからこそ、長い間何の間違いにも気付かず、クソの役にも立たない屁理屈の陳列で満足していたわけで。自分達の洗脳状態を理解していないバカが、ISILの洗脳状態を議論できるわけがないのである。
「文化」の問題というのは、言い換えれば「時代」や「社会」の問題であり。「環境」の問題を論じているに過ぎない。
環境に依存して行動が無意識条件反射的シーケンシャルに決定してしまうから、同じような過ちを何度も繰り返すのであって。原発事故と一緒で「個人が自律的に社会的責任を持つ」ことが最も重要なのである。
個人が自律的な社会的責任を果たさないからこそ、環境が悪化してしまうのであって。これは企業であれ宗教や民族であれ、「ヒトという種の生物」に共通した普遍的問題として扱わないから原因が見えなくなってしまうのである。
Ende;