生物進化というのは全て結果であって、意図目的があって意識的に「進化した。」わけではない。
この部分がどうしても文科系大衆観念者には理解出来ないらしくて、何が何でも「目的のために進化した。」と言い張る。
進化(変化)というものが、常に最適化を促すものであるという一種の宗教的幻想を進化生物学に持ち込もうとする習性があり。これが進化生物学をエセ科学におとしめている。
生物のある特定機能が、その機能においてのみ最適に近い形に進化(変化)しているとしても、それは絶対的最適化の論理的証明にはならないし。ましてや意図意識的に「進化した。」などというのは幻想でしかない。
進化というのは、個体の目的意識とは無関係なものであり、変異の「結果」として淘汰された「結果」に過ぎないにも関わらず、これに「目的」をこじつけてしまうのは非論理的で非科学的な文科系大衆観念的妄想錯覚でしかないのである。
こうした進化生物学の妄想を放置しているからこそ、「ヒトという種の生物=人間」だとか、「感情気分=人間性を伴った心」などという大嘘がまかり通ってしまい。その結果としてヒトの気分感情というものが常に絶対的に正しい結果をもたらすかのような「進化論的説明」が可能であるかのような大嘘がまかり通ってしまうのである。
ヒトという種の生物が先天的に暴力的報復を「解決」だと見なしてしまう錯覚を持っているからこそ、暴力的威圧こそが正義になってしまうのであり。これはヒトという種の生物における進化上の「バグ」みたいなものである。
自然界においては暴力こそが個体生存をもたらす以上、自然淘汰は暴力性を「進化」させる生存上の必要性がある。だからこそ野生生物というのは危険なのであり、暴力的危険性の均衡だけが自然界における「正義」なのである。
進化生物学者の多くは、自然淘汰の「結果」が常に絶対的に正しい結果を導くものであるという幻想を抱き、特定環境下でのサルの行動「結果」だけを抽出すれば人間性の論証にでもなるかのような嘘で大衆マスコミを丸め込むが。それならISILの構成員が特定環境下でどのような行動を採れば、ISIL構成員の残虐性の論理反証になると言うのであろうか。
既に行われた残虐行為というのは、いかなる特定環境下での結果を用いても論理反証は不可能である。にも関わらず、京都大学生物学科の嘘には大衆マスコミの誰一人として反論しないというのは、洗脳か単なる痴呆に過ぎない。
進化の結果の全てに意味があるというのであれば、ISILの暴力行動にも意味や目的を後からこじつけることに一体何の意味があるというのであろうか。
ヒトという種の生物は、様々な先天的習性の結果として過失をおかすことがある。それは危険学や失敗学の報告書を読めば明らかであり、先天的本能習性を事後正当化するだけの「サイバネティクスの観点」には何の科学的価値も存在しないことは明らかである。
しかし、文科系大衆マスコミの大多数は、ヒトの先天的本能習性というものの全てには何らかの意味が存在し、気分感情的な行動バイアスに流されていさえすれば全てが正しい結果に導いてくれるはずだという妄想に囚われ、酔いしれ、気分的に安心満足して何も疑わないからバカげたエセ科学が蔓延してしまい。結果的にISILのような暴力集団の暴走までをも許してしまうのである。
ヒトという種の生物が暴力的危険性を持っていることは、歴史書を読めば明らかである。
スタンフォード監獄実験やアイヒマン実験などの社会心理実験からも、ヒトという種の生物は環境に流されれば簡単に暴力性を発揮することは既に立証済みであり。今更進化論的な正義をでっちあげても反証は不可能である。
環境に流されるということは、個体の意思が介在しておらず、あくまで環境に対する条件反射的な無意識行動の「結果」しか至らない。 そこに意識的な「目的」など介在していないからこそ、人類はバカげた行為をいつまでも繰り返し続けているのである。
ISILには目的がない。
一応ISILはイスラム原理主義国家の樹立などの目的を掲げてはいるが、それは暴走族が「世界征服」などと述べているのとほとんど同じ妄想であり。世界を征服して何をするのかといった具体的な内容までは誰も考えてなどいないのである。
オウム真理教の教祖も、ナチス総統も、ポルポトもシエラレオネのゲリラやヘイトスピーチにも、具体的「目的」など存在しないのと同様。暴力者というのは暴力が目的であって、暴力を振るうための事後正当化的こじつけとして目的を掲げているに過ぎない。
刑法懲罰というものも、結局は懲罰という暴力を正当化するためだけのこじつけに過ぎず。それは「悪者」に暴力を加えることでその場限りに安心満足するためだけの社会制度に過ぎず。本当の意味での社会安全性にとってはクソの役にも立たない不毛でコストのかかる因習に過ぎない。
ISIL構成員の問題においては暴力の応酬ではなく、暴力では何も解決しないという「無知との戦い」だと述べておきながら。その一方では刑法懲罰を「解決」であると見なすダブルスタンダードがまかり通っている。
いやもうバカなんじゃねぇのかとしか言いようがないわ。
そこまでバカなら絶滅した方がいいんじゃねぇのか。
Ende;
この部分がどうしても文科系大衆観念者には理解出来ないらしくて、何が何でも「目的のために進化した。」と言い張る。
進化(変化)というものが、常に最適化を促すものであるという一種の宗教的幻想を進化生物学に持ち込もうとする習性があり。これが進化生物学をエセ科学におとしめている。
生物のある特定機能が、その機能においてのみ最適に近い形に進化(変化)しているとしても、それは絶対的最適化の論理的証明にはならないし。ましてや意図意識的に「進化した。」などというのは幻想でしかない。
進化というのは、個体の目的意識とは無関係なものであり、変異の「結果」として淘汰された「結果」に過ぎないにも関わらず、これに「目的」をこじつけてしまうのは非論理的で非科学的な文科系大衆観念的妄想錯覚でしかないのである。
こうした進化生物学の妄想を放置しているからこそ、「ヒトという種の生物=人間」だとか、「感情気分=人間性を伴った心」などという大嘘がまかり通ってしまい。その結果としてヒトの気分感情というものが常に絶対的に正しい結果をもたらすかのような「進化論的説明」が可能であるかのような大嘘がまかり通ってしまうのである。
ヒトという種の生物が先天的に暴力的報復を「解決」だと見なしてしまう錯覚を持っているからこそ、暴力的威圧こそが正義になってしまうのであり。これはヒトという種の生物における進化上の「バグ」みたいなものである。
自然界においては暴力こそが個体生存をもたらす以上、自然淘汰は暴力性を「進化」させる生存上の必要性がある。だからこそ野生生物というのは危険なのであり、暴力的危険性の均衡だけが自然界における「正義」なのである。
進化生物学者の多くは、自然淘汰の「結果」が常に絶対的に正しい結果を導くものであるという幻想を抱き、特定環境下でのサルの行動「結果」だけを抽出すれば人間性の論証にでもなるかのような嘘で大衆マスコミを丸め込むが。それならISILの構成員が特定環境下でどのような行動を採れば、ISIL構成員の残虐性の論理反証になると言うのであろうか。
既に行われた残虐行為というのは、いかなる特定環境下での結果を用いても論理反証は不可能である。にも関わらず、京都大学生物学科の嘘には大衆マスコミの誰一人として反論しないというのは、洗脳か単なる痴呆に過ぎない。
進化の結果の全てに意味があるというのであれば、ISILの暴力行動にも意味や目的を後からこじつけることに一体何の意味があるというのであろうか。
ヒトという種の生物は、様々な先天的習性の結果として過失をおかすことがある。それは危険学や失敗学の報告書を読めば明らかであり、先天的本能習性を事後正当化するだけの「サイバネティクスの観点」には何の科学的価値も存在しないことは明らかである。
しかし、文科系大衆マスコミの大多数は、ヒトの先天的本能習性というものの全てには何らかの意味が存在し、気分感情的な行動バイアスに流されていさえすれば全てが正しい結果に導いてくれるはずだという妄想に囚われ、酔いしれ、気分的に安心満足して何も疑わないからバカげたエセ科学が蔓延してしまい。結果的にISILのような暴力集団の暴走までをも許してしまうのである。
ヒトという種の生物が暴力的危険性を持っていることは、歴史書を読めば明らかである。
スタンフォード監獄実験やアイヒマン実験などの社会心理実験からも、ヒトという種の生物は環境に流されれば簡単に暴力性を発揮することは既に立証済みであり。今更進化論的な正義をでっちあげても反証は不可能である。
環境に流されるということは、個体の意思が介在しておらず、あくまで環境に対する条件反射的な無意識行動の「結果」しか至らない。 そこに意識的な「目的」など介在していないからこそ、人類はバカげた行為をいつまでも繰り返し続けているのである。
ISILには目的がない。
一応ISILはイスラム原理主義国家の樹立などの目的を掲げてはいるが、それは暴走族が「世界征服」などと述べているのとほとんど同じ妄想であり。世界を征服して何をするのかといった具体的な内容までは誰も考えてなどいないのである。
オウム真理教の教祖も、ナチス総統も、ポルポトもシエラレオネのゲリラやヘイトスピーチにも、具体的「目的」など存在しないのと同様。暴力者というのは暴力が目的であって、暴力を振るうための事後正当化的こじつけとして目的を掲げているに過ぎない。
刑法懲罰というものも、結局は懲罰という暴力を正当化するためだけのこじつけに過ぎず。それは「悪者」に暴力を加えることでその場限りに安心満足するためだけの社会制度に過ぎず。本当の意味での社会安全性にとってはクソの役にも立たない不毛でコストのかかる因習に過ぎない。
ISIL構成員の問題においては暴力の応酬ではなく、暴力では何も解決しないという「無知との戦い」だと述べておきながら。その一方では刑法懲罰を「解決」であると見なすダブルスタンダードがまかり通っている。
いやもうバカなんじゃねぇのかとしか言いようがないわ。
そこまでバカなら絶滅した方がいいんじゃねぇのか。
Ende;