はるかぜちゃん(春名風花)がイジメをやっている人に向けたメッセージというのは相手の家庭環境と自分の家庭環境との違いを考慮に入れていないように思える
いじめゲームをしている君へ -ウィズニュース
はるかぜちゃんは親に恵まれているようだけど
イジメを平気でやるような子っていうのは親や家庭から乱れていることが多い
家庭内で抑圧されている子の場合、自己肯定感が希薄なため、イジメという安易な優越感を得ることに必死になっちゃっているんだと思う
「 想像してください。君があざ笑った子がはじめて立った日、はじめて歩いた日、はじめて笑った日、うれしくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。君がキモいウザいと思った人を、世界中の誰(だれ)よりも、じぶんの命にかえても、愛している人たちのことを。 そして、その人たちと同じように笑ったり泣いたりして君を育ててきた、君のお父さんやお母さんが、今の君を見てどう思うのか。」(はるかぜちゃん:ウィズニュースより引用)
おそらく何とも思わないような親なんだと思う
世間一般的にはイジメがある状態は生物学的に「正常」なので
イジメられるような「弱い」個体が自殺でもすることで、むしろより強い種への進化が促される必要悪だとでも思っていて
自分の子供がイジメをしていても、むしろ「ヒトとして優秀」だと思っていることも少なくない
ニーチェの「超人」幻想なども、こうした進化生物学的価値観を人間としての価値にこじつけたものである
一応世間的な体裁として「なにやってんだ!」なんて怒っていても、その意味としては「ばれるようなイジメやってんじゃねぇよバカが。」程度にしか思っていない
世の中の子供の全員がはるかぜちゃんみたいに大切に育てられているわけではないわけで
大半の子供の親は何も考えていないデクノボウだったりする
なにせ多数派で協調して優位な立場(ヒエラルキー/序列)を作り出す生物学的な「社会性(社会形成習性)」によって人間性を伴った倫理性が立証可能性が存在しうるかのように言い張る京都大学霊長類研究所の松沢哲郎が未だに科学的権威として扱われているくらいなので
生物学的にイジメが発生することはむしろ「正常」だと扱われてしまっているわけです
マスコミも大半がデクノボウなのでこうした非科学的オカルトが放置されちゃっているのです
イジメを必死になってやっている子というのは、イジメを行って自分の優位性でも妄想していないといられないような精神状態に追い詰められてしまっているので
イジメている相手が死のうがどうなろうが麻薬中毒患者のように「やめることが出来ない。」状態に陥っていることが少なくない
親大人から抑圧されて育った子には本質的な自発性が存在しないので、順位欲などの目先の欲望に無意識に流される以外に何も選択可能性が失われてしまっていて、もはや自分からは自分の行動が制御できない
そのため川崎の学生殺人みたいに自分では歯止めが全く効かない
本質的には意識が働いていないので、自分の行動結果が破滅に至る可能性よりも目先の環境によって促される感情気分に抗うことが出来ない
抗う本質的な「自己」としての意識がそもそも育っていない
はるかぜちゃんの家庭みたいに子供の自主性を尊重してくれる親というのは、実はそんなにいるわけではなくて
取り立てて望まれて産まれて来た子供ではないケースというのも、それなりに多かったりする
「老後の生活の面倒をみてもらうために子供を育てている」という話も聞いたことがある
それを「理性的」選択であると、文科系大衆観念上では解釈したがるが、そんなものは社会保障の不安からくる「強迫観念」でしかない
自分自身の意思を尊重されずに育った子供というのは、ほとんどもれなく自分の子供の意思も尊重しなくなる
いわゆる「虐待の連鎖」の構造で、これを文科系大衆観念上では「文化」と称して価値があるかのように認識するという無責任なことを漫然と続けるのだ
文科系大衆観念者という自発的論理検証が出来ないヒト達というのは、そもそも自発的に物事を考える意思がなく、自律的に「何が正しいのか。」を判断することも出来ない
自発的に物事が判断できなければ、「正しいこと」というのは親とか国家権力が決めることであって、当事者意識もない
…
当事者意識がないのだ
イジメがなくならない原因は自分ではなく、自分がおかれた環境とか制度の問題だと思っている
これはイジメに限ったことではなく、あらゆる「人災」の源でもある
なので、たとえ問題を認識(単に多数他人が問題だと言っているから問題なんだろうなと思っているだけの場合がほとんどだろうが)していたとしても改善するのは自分ではないと思っている
これが福島第一原発の非常用電源の津波に対する脆弱性問題においてはどういう結果を招いたであろうか
どんなに学力偏差値が高くても、大量の知識を「知って」いても、当事者としての「意識」の欠如こそがあらゆる「人災」の源なのである
Ende;
いじめゲームをしている君へ -ウィズニュース
はるかぜちゃんは親に恵まれているようだけど
イジメを平気でやるような子っていうのは親や家庭から乱れていることが多い
家庭内で抑圧されている子の場合、自己肯定感が希薄なため、イジメという安易な優越感を得ることに必死になっちゃっているんだと思う
「 想像してください。君があざ笑った子がはじめて立った日、はじめて歩いた日、はじめて笑った日、うれしくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。君がキモいウザいと思った人を、世界中の誰(だれ)よりも、じぶんの命にかえても、愛している人たちのことを。 そして、その人たちと同じように笑ったり泣いたりして君を育ててきた、君のお父さんやお母さんが、今の君を見てどう思うのか。」(はるかぜちゃん:ウィズニュースより引用)
おそらく何とも思わないような親なんだと思う
世間一般的にはイジメがある状態は生物学的に「正常」なので
イジメられるような「弱い」個体が自殺でもすることで、むしろより強い種への進化が促される必要悪だとでも思っていて
自分の子供がイジメをしていても、むしろ「ヒトとして優秀」だと思っていることも少なくない
ニーチェの「超人」幻想なども、こうした進化生物学的価値観を人間としての価値にこじつけたものである
一応世間的な体裁として「なにやってんだ!」なんて怒っていても、その意味としては「ばれるようなイジメやってんじゃねぇよバカが。」程度にしか思っていない
世の中の子供の全員がはるかぜちゃんみたいに大切に育てられているわけではないわけで
大半の子供の親は何も考えていないデクノボウだったりする
なにせ多数派で協調して優位な立場(ヒエラルキー/序列)を作り出す生物学的な「社会性(社会形成習性)」によって人間性を伴った倫理性が立証可能性が存在しうるかのように言い張る京都大学霊長類研究所の松沢哲郎が未だに科学的権威として扱われているくらいなので
生物学的にイジメが発生することはむしろ「正常」だと扱われてしまっているわけです
マスコミも大半がデクノボウなのでこうした非科学的オカルトが放置されちゃっているのです
イジメを必死になってやっている子というのは、イジメを行って自分の優位性でも妄想していないといられないような精神状態に追い詰められてしまっているので
イジメている相手が死のうがどうなろうが麻薬中毒患者のように「やめることが出来ない。」状態に陥っていることが少なくない
親大人から抑圧されて育った子には本質的な自発性が存在しないので、順位欲などの目先の欲望に無意識に流される以外に何も選択可能性が失われてしまっていて、もはや自分からは自分の行動が制御できない
そのため川崎の学生殺人みたいに自分では歯止めが全く効かない
本質的には意識が働いていないので、自分の行動結果が破滅に至る可能性よりも目先の環境によって促される感情気分に抗うことが出来ない
抗う本質的な「自己」としての意識がそもそも育っていない
はるかぜちゃんの家庭みたいに子供の自主性を尊重してくれる親というのは、実はそんなにいるわけではなくて
取り立てて望まれて産まれて来た子供ではないケースというのも、それなりに多かったりする
「老後の生活の面倒をみてもらうために子供を育てている」という話も聞いたことがある
それを「理性的」選択であると、文科系大衆観念上では解釈したがるが、そんなものは社会保障の不安からくる「強迫観念」でしかない
自分自身の意思を尊重されずに育った子供というのは、ほとんどもれなく自分の子供の意思も尊重しなくなる
いわゆる「虐待の連鎖」の構造で、これを文科系大衆観念上では「文化」と称して価値があるかのように認識するという無責任なことを漫然と続けるのだ
文科系大衆観念者という自発的論理検証が出来ないヒト達というのは、そもそも自発的に物事を考える意思がなく、自律的に「何が正しいのか。」を判断することも出来ない
自発的に物事が判断できなければ、「正しいこと」というのは親とか国家権力が決めることであって、当事者意識もない
…
当事者意識がないのだ
イジメがなくならない原因は自分ではなく、自分がおかれた環境とか制度の問題だと思っている
これはイジメに限ったことではなく、あらゆる「人災」の源でもある
なので、たとえ問題を認識(単に多数他人が問題だと言っているから問題なんだろうなと思っているだけの場合がほとんどだろうが)していたとしても改善するのは自分ではないと思っている
これが福島第一原発の非常用電源の津波に対する脆弱性問題においてはどういう結果を招いたであろうか
どんなに学力偏差値が高くても、大量の知識を「知って」いても、当事者としての「意識」の欠如こそがあらゆる「人災」の源なのである
Ende;