書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○オカルト性の認識。

2017年08月28日 12時01分08秒 | 意識論関連
体育会系組織では未だに暴力的威圧を用いて服従させるという手口が横行しているらしいが

これでは生徒の自律は育たず、組織から離れた際に社会的責任を負わない無責任なヒトを育てるだけであり

こうした教育方法自体がそもそも社会的責任を放棄した無責任なものなのである



「順位や成績、メダルの獲得のためには仕方ない」などと言い出すバカが後を絶たないが

本来、競技における順位や成績を獲得することがスポーツの目的ではない

成績や順位を獲得することが評価につながるからといって、本来の目的を忘れて選手や生徒の健康や自律(人間性)を蔑ろにして良い理屈は存在しないからである

そもそも教育の本質というのは、人間性を育てることであって、競技の順位や金儲けを目的にしてしまうのは本末転倒である

本質的な人間性とは何か、それは「自律的な社会的責任判断選択を行えること」であり。そのためには生徒の主体性や自主性を尊重することが大前提である

たとえオリンピックで金メダルを獲っても、暴力的指導者になってしまうなど、犯罪に手を染めてしまうのでは何の意味もない

特定能力だけを伸ばして多数大衆からその場限りの評価を得られても、人間性が育っていないのでは話にならない

本来スポーツというものは楽しみや健康のために行うものであって、多数大衆からのその場限りの人気取りを目的にするというのは極めて動機が不純なのである

感情的に怒鳴り散らす指導に耐える姿に「感動した」などという話を、文化系大衆マスコミは「数字(視聴率)が採れる」ことを根拠に正当化したがるが。その大衆の「感動」と引き換えに生徒や選手の人間性を蔑ろにして構わないという訳にはいかないのである

「多数決は民主主義制度だから仕方ない」などと言い出すバカも少なくないが、社会安全性や持続可能性を無視して、その場限りの「感動」ばかりを追求するという無責任が許されるわけではない

ヒトという種の生物は、「感動」などの気分感情的満足といった、その場限りの脳内麻薬のバイアスに流されがちな習性があるが。これこそが思考停止を促す「無意識」性の根源であり、人間性を喪失する大きな要因なのである。

スポーツの成績順位というのは、先天的な才能であったり、意欲や環境といった様々な要因の「結果」であって。たとえ順位がどうあれ、一生懸命頑張ったというその努力を称賛すべきものであって。「メダルが獲れなかったから、だらしない。」などと言い出すのは、身勝手で極めて不遜な態度である

アカの他人の成績で「日本人は優秀だ。」などと思い込みたいだけじゃねぇか

別に日本国籍の選手の成績が高いからといって、民族の価値が上がるわけでもないのに。スポーツに優生思想を持ち込むのであれば、もはや人間として最悪である

人間性の欠けたヒトの多数決で人気取りや大衆迎合をしているから、人間性の本質が何なのかを見失うことになるのであり。それ自体が既に無責任であることをマスコミも大衆も認識すべきである



こうした特定能力の順位や成績が人間性と無関係であるというのは、スポーツに限ったものではなく。学力成績や金儲けの能力においても同様であり、どんなに学力成績が高かろうが年収が高かろうが、社会全体の持続可能性や安全性に配慮が出来ないのであれば、人間としての価値は低いのである

長い間、生物学では生存こそが絶対的価値であるかのように扱われてきたが。目先の生存に適することが人間の価値になるわけではないことは、いちいち例を挙げなくてもわかるはずである

生物というのは、結果的に生存していたものを分類したに過ぎず。生物に目的など存在していないのであり。その結果的な先天的行動習性や特定能力の中から都合の良さそうな話だけ抽出枚挙してきて、進化(変異)の全てに意味や目的が存在するかのように言い張る進化生物学者達というのは、科学を逸脱したオカルトにしかなっていない

進化というものは、変異の結果生存に適さなかった種に対する強力な淘汰圧力の結果として、特定種が残ったという「結果」以上の意味など存在しておらず。未だに生物学者達の多くや文科系のマスコミは「○○のために進化した。」などという、あたかも「目的のために進化を選択した。」かのような説明をやめようとしない

それが、どんなに社会的に無責任なことであるかすらも、彼らには認識できないのであろうか



先天的に組み込まれた行動バイアスの全てに意味や価値が存在するはずだという合理的根拠のない観念が、優生学というオカルトを130年以上も放置し続けたのである

松沢哲郎ら京都大学霊長類研究所は、こうした従来の進化生物学上の大きな間違いを「なかった」ことにするために、様々な言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかしを駆使して大衆マスコミを煙に巻くであろうし

また、その煙に満足安心して思考停止するのであろう

実験室でチンパンジーが何をしようとも、人間の知能の本質としての「自律(社会的責任)」の証明には一切ならない。なぜならば、タッチパネルとエサを用いて誘導した行動の結果以上の何も出て来ないからである

自律的な社会的責任判断選択という人間の知能の本質なくして、いかに特定能力だけ高めても。それは知能の基礎土台がないのに外見だけ取り繕った虚構の能力でしかない

年収だの人気だの学力偏差値だの金メダルといったものは、特定の価値観に基づいた順位成績に過ぎず。それは人間としての価値の基準には全くならない

学校での組体操や部活動の過激化が社会問題としてとりあげられ始めているが、これらも指導者達が生徒の意思を無視して大衆からの評価や人気を得るための不純な動機に基づいた行動の結果である



巨大人体ピラミッド(一般的には「人間ピラミッド」と言われているが、人間性が伴わない上に人体実験性が強いので「人体ピラミッド」と呼ぶことにしている)というのは、旧日本陸軍のインパール作戦と同じ匂いが拭い切れない

人体ピラミッドを実行したがる指導者達の脳には、「精神的価値があるはずだ。」などという合理的根拠のない優生思想と同じような観念が渦巻いており。これこそが人間性を喪失させる最も根源的なヒトの脳の欠陥なのである

まさか過酷な人体実験をしても生き残れる個体だけに淘汰圧力をかけようとしているのであろうか

それで「感動」したからといって、社会的価値がどこにあろうか

バカに何言っても通じないんだろうな

バカだから

自分がオカルトに染まっているとは「思って」いなんだろうな

Ende;
コメント
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