生物学上の「社会性」というのは 統率的協調行動のことを指すのだが
これは決して倫理を伴う人間としての社会性を意味するものではない
ヒトの社会では時折封建的独裁に陥ることがしばしば見られるのだが
これは特定の独裁者に対する盲目的服従性というものが ヒトには先天的に習性としてあるからだ
権威に対する盲目性があるからこそ 統率的協調行動を行うことが可能であり それが生存価にとって有利に働いたからこそ ヒトという種の生物には先天的本能習性として残ったのである
権威などの特定個人に対する盲目的服従というのは それ自体に合理的目的があるわけではなく 単なる無意識な行動バイアスに過ぎない
「カッコイイ」という感情は ヒトの盲目性を促す最も基本的な思考バイアスであり 先天的な順位序列感情を満足させることが出来る
その気分的満足に何か目的があるかと言えば ない
ないのだが 何せ先天的本能習性として求めてしまうものなので 麻薬中毒患者のように異常執着しなければならないのである
例えるならば 高血圧患者が塩分を過剰摂取したがるのと同じようなものである
先天的な行動バイアスに過ぎない本能習性の全てに意味があると思ったら大間違いで 意味のないことや むしろ害になることに異常執着する非合理な行動習性というものも少なくはない
そもそも遺伝的進化というものは淘汰圧力によって促されるものであって 「死ななかった」という結果の集積に過ぎないので 論理的合理性の保証は何もないのである
合理的に選択された意識的「目的」というものは 遺伝的進化のメカニズム構造には最初から存在していないのである
先天的な本能習性としての統率協調的行動が生存にとって有利に働いたといっても それが暴力的洗脳による封建的独裁集団の生存にとって有利だった可能性を否定することは出来ない
狂暴な暴力集団が平穏な生活をしている人達を虐殺することなど 珍しいことではないからだ
◇
国会原発事故調査報告書において 事故の最も根源的な原因として「組織の利益を優先し、個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと。」であると記されている
なぜ「組織の利益を優先」したのか
それはヒトという種の生物には「自分が所属する組織には盲目的に服従し逆らわない。」という本能習性があるからだ
この生物学的な「社会性」というものは 特定行動にとって非常に有利に働くことがある
例えば戦争である
戦争という大規模な殺し合いを行うためには 統率的な協調行動は不可欠であり 恐怖を用いた行動抑制によって人工的に権威性を作り出し 命令に対して絶対服従するように「学習」させることが不可欠である
「学習」というと 大衆観念的には「頭が良くなる」ことだと安易に解釈しがちだが 間違った行動を「学習」すれば間違った行動しかしなくなることも また「学習」なのである
戦争などの淘汰圧力で生き残ることに人間性が必要であろうか
ナチス政権下において殺害された600万のユダヤ人には人間性が欠けていて むしろ殺害計画書の作成に邁進していた吏官の方には人間性があったと言えるのであろうか
仲間内にとって利益になる行動を採ることの全てが 倫理を伴った人間性の論証になるかと言えば
ならん
振り込め詐欺師が仲間内で飯を奢ることも利他的行動の一つではあるが これは仲間内の結束を高めるためのものであって 人間性や倫理を伴うわけでも何でもない
警察学校や自衛隊の内部でイジメや暴力が蔓延していても誰も内部告発することなく隠蔽されることも 「組織の利益」のためである
韓国のIT企業の会長があからさまな暴力パワハラを行っていられたのも 内部告発を一切しないという「組織の利益」に対する盲目的服従迎合性ゆえである
こうした先天的な「協調性」を 短絡的に人間性だと言い張るのはこじつけとしか言いようがない
国家憲法にわざわざ「基本的人権」や「民主主義」を明記しなくてはならないのは ヒトという種の生物はいちいち明文化しなければ簡単に封建的独裁に陥る先天的習性バイアスが存在するからである
ヒトという種の生物は簡単に洗脳することが出来る
正常性バイアスや確証バイアスといった錯覚によって ヒトは簡単に間違った認識を鵜呑みにして「これさえやっときゃ、全ては解決する。」かのような扇動に簡単に乗っかってくるからである
マキャベリはこう述べた「他人を騙そうとする者にとって、カモを見つけるのは簡単である。」と
他人を騙そうとする者というのは こうした真実は口にしない
その代わりに「他人の言うことを信用しないのは、人間性に問題がある。」などと称して言っている内容の全てを鵜呑みにさせるよう誘導するのである
大衆観念的にはマキャベリの方が狡猾なように見えるのかも知れないが 本当に狡猾な奴というのは気分が良くなる甘い話しかしてこないのである
リチャード:ドーキンス著「利己的な遺伝子」を読んだ文科系大衆マスコミの多くは「ヒトは進化の過程で常に人間性が発揮されるよう淘汰された」かのように錯覚することで あたかも自分が先天的に人間性が組み込まれた優秀な存在であるかのように勘違いして気分的な安心満足を得ることで大衆マスコミからの多数人気を得ている
そして こうした単なる大衆人気の多数決を論拠にドーキンスのお伽話を 科学的立証か何かと勝手に勘違い錯覚するよう誘導するのである
もちろん出版社は本が売れさえすれば万歳なので 内容が間違っていようが何だろうが「知ったことではない」
ジャレド:ダイアモンドのピュリッツア賞も 松沢哲郎の文化功労賞も 科学的論理検証の出来ない文科系マスコミや 生物学界という閉ざされた集団内部での評価に基づいたものであり 科学的に正しい理論である証明ではない
◇
「何を信じれば良いのかわからない」などという主張は 「とにかく何かを信じたい」という先天的欲求を満たしたいだけであって 自律的に論理検証するという人間としての本質的意識が欠けている証拠でもある
何を信じるべきなのかは 個人が自律的に検証すべきものであって 多数決に依存することは「原発の津波に対する脆弱性を放置」することと何の違いもない無責任な選択なのである
Ende;
これは決して倫理を伴う人間としての社会性を意味するものではない
ヒトの社会では時折封建的独裁に陥ることがしばしば見られるのだが
これは特定の独裁者に対する盲目的服従性というものが ヒトには先天的に習性としてあるからだ
権威に対する盲目性があるからこそ 統率的協調行動を行うことが可能であり それが生存価にとって有利に働いたからこそ ヒトという種の生物には先天的本能習性として残ったのである
権威などの特定個人に対する盲目的服従というのは それ自体に合理的目的があるわけではなく 単なる無意識な行動バイアスに過ぎない
「カッコイイ」という感情は ヒトの盲目性を促す最も基本的な思考バイアスであり 先天的な順位序列感情を満足させることが出来る
その気分的満足に何か目的があるかと言えば ない
ないのだが 何せ先天的本能習性として求めてしまうものなので 麻薬中毒患者のように異常執着しなければならないのである
例えるならば 高血圧患者が塩分を過剰摂取したがるのと同じようなものである
先天的な行動バイアスに過ぎない本能習性の全てに意味があると思ったら大間違いで 意味のないことや むしろ害になることに異常執着する非合理な行動習性というものも少なくはない
そもそも遺伝的進化というものは淘汰圧力によって促されるものであって 「死ななかった」という結果の集積に過ぎないので 論理的合理性の保証は何もないのである
合理的に選択された意識的「目的」というものは 遺伝的進化のメカニズム構造には最初から存在していないのである
先天的な本能習性としての統率協調的行動が生存にとって有利に働いたといっても それが暴力的洗脳による封建的独裁集団の生存にとって有利だった可能性を否定することは出来ない
狂暴な暴力集団が平穏な生活をしている人達を虐殺することなど 珍しいことではないからだ
◇
国会原発事故調査報告書において 事故の最も根源的な原因として「組織の利益を優先し、個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと。」であると記されている
なぜ「組織の利益を優先」したのか
それはヒトという種の生物には「自分が所属する組織には盲目的に服従し逆らわない。」という本能習性があるからだ
この生物学的な「社会性」というものは 特定行動にとって非常に有利に働くことがある
例えば戦争である
戦争という大規模な殺し合いを行うためには 統率的な協調行動は不可欠であり 恐怖を用いた行動抑制によって人工的に権威性を作り出し 命令に対して絶対服従するように「学習」させることが不可欠である
「学習」というと 大衆観念的には「頭が良くなる」ことだと安易に解釈しがちだが 間違った行動を「学習」すれば間違った行動しかしなくなることも また「学習」なのである
戦争などの淘汰圧力で生き残ることに人間性が必要であろうか
ナチス政権下において殺害された600万のユダヤ人には人間性が欠けていて むしろ殺害計画書の作成に邁進していた吏官の方には人間性があったと言えるのであろうか
仲間内にとって利益になる行動を採ることの全てが 倫理を伴った人間性の論証になるかと言えば
ならん
振り込め詐欺師が仲間内で飯を奢ることも利他的行動の一つではあるが これは仲間内の結束を高めるためのものであって 人間性や倫理を伴うわけでも何でもない
警察学校や自衛隊の内部でイジメや暴力が蔓延していても誰も内部告発することなく隠蔽されることも 「組織の利益」のためである
韓国のIT企業の会長があからさまな暴力パワハラを行っていられたのも 内部告発を一切しないという「組織の利益」に対する盲目的服従迎合性ゆえである
こうした先天的な「協調性」を 短絡的に人間性だと言い張るのはこじつけとしか言いようがない
国家憲法にわざわざ「基本的人権」や「民主主義」を明記しなくてはならないのは ヒトという種の生物はいちいち明文化しなければ簡単に封建的独裁に陥る先天的習性バイアスが存在するからである
ヒトという種の生物は簡単に洗脳することが出来る
正常性バイアスや確証バイアスといった錯覚によって ヒトは簡単に間違った認識を鵜呑みにして「これさえやっときゃ、全ては解決する。」かのような扇動に簡単に乗っかってくるからである
マキャベリはこう述べた「他人を騙そうとする者にとって、カモを見つけるのは簡単である。」と
他人を騙そうとする者というのは こうした真実は口にしない
その代わりに「他人の言うことを信用しないのは、人間性に問題がある。」などと称して言っている内容の全てを鵜呑みにさせるよう誘導するのである
大衆観念的にはマキャベリの方が狡猾なように見えるのかも知れないが 本当に狡猾な奴というのは気分が良くなる甘い話しかしてこないのである
リチャード:ドーキンス著「利己的な遺伝子」を読んだ文科系大衆マスコミの多くは「ヒトは進化の過程で常に人間性が発揮されるよう淘汰された」かのように錯覚することで あたかも自分が先天的に人間性が組み込まれた優秀な存在であるかのように勘違いして気分的な安心満足を得ることで大衆マスコミからの多数人気を得ている
そして こうした単なる大衆人気の多数決を論拠にドーキンスのお伽話を 科学的立証か何かと勝手に勘違い錯覚するよう誘導するのである
もちろん出版社は本が売れさえすれば万歳なので 内容が間違っていようが何だろうが「知ったことではない」
ジャレド:ダイアモンドのピュリッツア賞も 松沢哲郎の文化功労賞も 科学的論理検証の出来ない文科系マスコミや 生物学界という閉ざされた集団内部での評価に基づいたものであり 科学的に正しい理論である証明ではない
◇
「何を信じれば良いのかわからない」などという主張は 「とにかく何かを信じたい」という先天的欲求を満たしたいだけであって 自律的に論理検証するという人間としての本質的意識が欠けている証拠でもある
何を信じるべきなのかは 個人が自律的に検証すべきものであって 多数決に依存することは「原発の津波に対する脆弱性を放置」することと何の違いもない無責任な選択なのである
Ende;