書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

落合陽一

2021年05月07日 23時05分40秒 | 意識論関連

「共感の暴走」が問題であると落合陽一が述べていたが 「共感」という主観的感覚に過ぎない個人的好き嫌いを「自分の意識の本質」だと勘違い錯覚しているから「共感」が暴走するのである

落合はオルテガ:イ:ガセットの自由主義を尊重しているが オルテガは形式や手続きの尊重を主張しており 形式や手続きが持つ剛直性こそが寛大さや個人の尊厳を蔑ろにするものであり オルテガの主張はそもそも整合性がなく 意味がない

 

チャールズ:ダーウィンを挙げて「共感こそが必要」だと言っているが 生物進化の過程において結果的に組み込まれた「共感」は結果であって目的ではない

過失も含めて犯罪者には「罰で解決」だとみなす社会制度が現行の司法だが これに異を唱えても共感はない

主観的気分感情は「罰で解決」するものだという感覚(先天的行動バイアス)からはヒトという種の生物である以上逃れることは出来ないからである

感覚的に「共感」できようができまいが 論理客観的に合理性のあるものであれば「賛同」することはできるのであって ヒトという種の生物の先天的本能習性に過剰な期待を持つのは危険でもある

 

「みんな違って どうでもいい」と述べているが 個人の主観的に嫌いなものに対して「どうでもいい」という「無視」こそが他者に対する攻撃性放棄の構造にもなりうるのであり 嫌いな相手の存在を許容する寛大さにおいても結果的であれ発揮することになる

ことさら嫌いな相手を攻撃することに共感し歯止めがかからなくなるのは むしろ個人的に好きなことに熱中するものがないからであり 他者との共感だの評価承認を必要としない純粋行為があれば 個人的に嫌いなものであっても許容する寛容さも発揮できるのである

 

大衆論的な「しょうがない」「仕方ない」という言葉を厳密に言い換えれば「他に一切の選択肢も対策も存在しえない」という意味である

気分的「諦め」を正当化するために「しょうがない」という言葉を安易に用いることは 単なる努力放棄のためのはぐらかしに過ぎない

 

落合陽一は「一貫性は要らない」というが 客観的論理整合性は必要である そうでなければ安全性においては意味がないからだ

もちろん個人の主観的感覚には一貫性などないが それはあくまで「結果」であって「目的」ではない

女子が武装している映像に萌へたからといって 本当に女子が戦闘に巻き込まれている状態を望んでいるわけではない

ジェットコースターなどの絶叫マシンやお化け屋敷で恐怖を体験したいからといっても 本当に危険なものが許容されるわけではない そんなものはマトモな人間なら誰も望まない

あくまで安全性や持続可能性という社会的基礎の上に個人的好き嫌いが成立するのであって 決して「一貫性は要らない」などという無責任な話にはならない

 

 ◇追記:

「共感」というのは所詮は主観(感覚)に過ぎない

LGBTなどの少数派を尊重するのは 個人の感覚的には違和感があり 美形女子同士が仲良くしているのは素敵だなと思うが ハゲヲヤヂ同士が手を握り合っているのは嫌悪感しか持たないのだが 論理客観的には「同じこと」であり その意味においての「賛同」はできるのである

「みんな違って どうでもいい」という感覚は 嫌いなものは「どうでもいい」という寛容さが持てるのであり

主観的「共感」に頼れば合理性のある話であっても「賛同」もできなくなる

少数派の許容において「共感」という主観的感覚の多数決を求めても意味がない

個人的好き嫌いを抜きにして 論理客観的に合理性がある話に対しての「賛同」するのは 社会安全性や持続可能性への合理的配慮に基づく理性(人間としての本質的意識)である

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

差別格差

2021年05月07日 14時00分15秒 | 意識論関連

高校が性別ごとの定員数を決めていると女子の方が平均点数が高いため不利になる傾向性があるんだそうな

いや そもそも学力成績で生徒を切って学歴で給料に差が出てしまうという社会構造自体が根本的に間違っている

学力成績が高いだけで自律的な社会的責任を負わないバカでも学歴だけは高くなり 経済的に有利になっても社会効率的な合理性はない

憲法における「教育の義務」って本来は「子供の学びを大人達が提供する義務」であって 試験の成績で区別して子供の学びが阻害されること自体が違憲状態だと言える

「教育の義務」という言葉を勘違いして「何が何でも学校に行かないといけない」とでも勘違いして生徒を自殺に追い込むバカな大人も非常に多いが この頭の悪さは憲法の趣旨を理解せずに試験の成績目当てに 漫然と「教えられたことを知っているだけ」という頭の悪さに起因するものである

 

とは言っても高校にも定員数ってのがあって 入りたい生徒が全員入れるわけではないという事情もあるんだろう

何も頭ごなしに受験の成績だけで排除せずに 通えなくてもWeb上では学びは提供されても良かろうと

Webだったら別に学生でなくても大人でも学びたいことは学べるようにできるわけであって どうせ公金注ぎ込むんだったら特定の教育機関に依らぬ公的な学習の機会を整備提供すべきであろう

学びというものが現状の経済格差によって偏ってしまうのは社会構造として間違っている

学力成績は偏っていても「個性」だが 成績で学び自体が偏ってしまうのは大人の無責任に因るものである

そもそも学力成績というものは人間としての知能の論拠が存在しておらず 学力が高いだけの無能なバカも少なくない

テロリストや通り魔の類も学生時代の学力が高い傾向が見られ 現状の学力成績というものが社会的役割としての機能を果たしていないのである

原発事故における無責任さも原因は一緒である

 

女性の脳というのは予め用意された定形的作業に適しており 工場での組立作業やレジや電卓の打ち込みといった能力が高い傾向があり これが現状の学力基準においては有利に働いている可能性もある

現状の学力成績基準だけで生徒を差別し 人生の選択肢を勝手に狭めてしまう現状の社会制度や構造の問題点を洗い出し 本当に社会にとって必要な人材や能力を育てられるようにすることが 教育というものにおける使命であり 社会効率上も合理的である

物理的に学校という施設に行かなければ使えない設備というものもあるのだろうけど Webリモートで学べることだって少なくはないはずである

ジェンダー差別問題も重要だが 学力成績で差別している現状の教育システム自体が根源的に間違っているのであって 主体的な学習意欲もないのに「学力成績が高いだけの無責任なバカ」が優遇されている現状の社会構造の不公平にもメスを入れる必要性がある

 

そもそも既存の制度や組織に何の疑問も持たない従順さを「社会性」だの「協調性」などと勝手に勘違いし 問題の本質(真理)を見抜けないバカが多すぎる

特定個人のアラ探しに明け暮れ 誹謗中傷をすることでマウンティングをとってかりそめの優越感に溺れているバカは非常に多いが 生物学上における先天的習性としての「社会性(結果)」が「人間としての社会性(意識的目的)」とは全く別のものであることすら認識理解できないバカばっかりである

生物やその遺伝的進化というものは全てシーケンシャルに起きた「結果」であって 結果をどんなに大量に集めてきても合理性のある「目的」の論証にはならない

「ヒトには無意識な目的が存在している」などというトンチンカンなオカルト観念を鵜呑みにしているからこそ 主観的感情に起因する個人的好き嫌いを意識の本質だと見誤り 暴力だの罰だので何かが解決したかのように勝手に錯覚しているからヘイトスピーチだのヘイトクライムが起きるのであり 同時に司法制度が犯罪の根源的原因究明にもならない

錯覚を錯覚だと識別するのが意識であり 人間としての意識とは客観的論理検証性(考え)である

他人の迷惑に配慮ができない糞DQNが なぜ糞DQNなのか なぜ糞DQNになったのか その原因を徹底的に究明し 再発防止のための合理性ある対策を行わないことには どんなに経済的な国際競争に勝っても社会は崩壊への方向しか向かわないのである

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする