書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

社会的生活習慣病

2022年09月11日 23時34分44秒 | 意識論関連

権力だの物質的な富だの そういったいわゆる「世間的な成功」は個人にとっては何の意味もないものであり

どんなに権力や物質的な富を手に入れても 本質的な「自分」は満足することができず プーチンなどの独裁による強権的で身勝手な体制維持を「しなければいられなくなって」しまうことになる

ヒトというのは どうしても既存の自分の中の価値観を絶対的なものだと信じ込み あたかも自分で主体的に選択した「意志」であるかのように錯覚しがちだが 他人と比較して権力だの物質的な富だのを求めたがるのは 多数他人の価値観を鵜呑みにしているに過ぎない

ヒトは 多数が信じているものは正しいものだという錯覚をしがちで それが「常識」として脳に刷り込み「学習」されることで 本当は主体的には選んでいないものへの無駄な執着をも作り出してしまうことになる

「自己」というものが他人との関係性の中にのみ存在し 他人からの評価こそが自己の本質だと錯覚しがちな先天的習性があるが これはイヌなどにも見られる本能的な「社会性」が作り出す錯覚に過ぎない

多数他人から評価されると ヒトは安心する

多数によって自己の人格性や存在価値が保証されているかのように錯覚する

「マウント」をかけて他人を服従させることこそが まるで自分の存在価値であるかのように錯覚する

しかし よくよく考えてみれば 威圧的にマウントなんぞかけて他人を服従させるようなクソ野郎に人間としての尊厳があるのかと言えば

そんなものは最初からない

ところが残念なことに 自分の親が威圧的マウントをかけて子供を服従させることしか頭にないクソ親に育てられると ”本当の(自分の)人生”を見分ける能力を失い 他人との比較だけが人生の価値のすべてになってしまい 結局その価値観を「常識」として学習してしまい 同じような人生を自分の子供にまで強要するクソ親ができあがることで「連鎖」が生じ 社会の多数が威圧的「マウント」による統率協調的封建社会へと陥ってしまう最も大きな要因ともなっているのである

「マウント」をかけたがるヤツというのは 自分よりも順位序列が「上」と見なした相手には逆らわず むしろ媚びへつらい従属的に服従し 忖度して地位を得ようとする

その一方で 自分よりも順位序列が低いか 或いは同じであると主観的に「思った」途端に威圧的に「マウント」をかけてくるのである

自分よりも順位序列が「上」なら安心して忖度従属し 自分よりも順位序列が「下」なら忌み嫌って威圧的に「マウント」をかけてくるのである

これらの行動は全て動物としての「社会性(統率協調的社会形成習性)」によって促される本能習性に他ならない

イヌが統率協調的に獲物を捕食する能力があるからといっても それは獲物を捕食するには有利だが メスが子育てをする上においてはむしろ子供に危険が及ぶため 出産間近になると群れを離れてワンオペ育児を強いられる

それでもメスは 順位序列の高い暴力威圧的なオスとの配偶関係を求めたがる習性があり これは暴力威圧的な相手との交配を求めたメスの遺伝子の方が過酷な自然環境下においては進化的に拡がり易かったという「結果」に過ぎない

バカな生物学者共はすぐに「目的のために進化を選んだ」と説明したがるが 遺伝的進化というものに「目的」が存在する論理的根拠は何もなく 進化の全ては自然現象の「結果」でしかないのである

現代社会でも女性がDV男から逃れてワンオペ育児を強いられるのも 遺伝的進化の「結果」であって 暴力威圧的な男との配偶関係を持ちたがる先天的本能習性による「結果」に過ぎない

遺伝的進化として組み込まれた本能習性というものは 文明社会においては都合よく淘汰圧力によって収斂進化が引き起こされることはなく むしろ先天的本能習性は祖先の生息環境の影響を色濃く反映し 進化によって人間性が組み込まれることなどないのである

過去の生息環境において「拡がり易かった」習性や形質といった遺伝的要素は 淘汰圧力から逃れた現代人の「ヒト」においては都合よく人間性を発揮するようには進化が起きることはなく 生活習慣病と同様に悪化させる方向にしか働くことはないのである

東京電力福島第一原子力発電所の津波に対する脆弱性放置においても 日本大学田中英寿理事長体制の温存維持においても プーチンやヒトラーによる独裁腐敗政治体制の勃興においてもメカニズムは一緒である

学校でのイジメにおいても 学級内の8割が傍観放置してしまうのも 主観的に「怖い」相手に逆らわず 迎合的に忖度し 媚びへつらうことでイジメや差別は暴走的に過激化が生ずるのである

イジメや差別を集団統率的に行いたがるバカというのは 順位序列への執着心が生み出す先天的行動バイアス(動物的習性)であり 意識的(論理客観的)に主体的意思選択との区別をしなければ 自動的自然にイジメや差別が生じ 暴力威圧的な「マウント」による非人道的統率協調行動がなくなることはない

 

 

Ende;

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”自分の人生”があるから社会的にも責任を負おうとする

2022年09月11日 22時42分19秒 | 意識論関連

誰もが「“自分の人生”を(ひとりで)歩む旅人」のようなものです。みんなそれぞれ進むべき人生の道があります。
だから、結婚していようが、子供がいようが、自分は“自分の人生”を歩む必要があるのです。そのためには、精神的に自立する必要があるでしょう。

 コラムニスト・ひかり

 ↗出典:マウントをとらない人の特徴。とる人ととらない人の根本的な違い -mi-mollet 講談社

 

⇨この話はあらゆる「人(個人)」に言えることで 「マウント」の攻撃性が究極にまで達するとプーチンみたいな暴走にまで発展してしまうことになる

程度の差こそあれ 「自分の人生」を生きていない人は自律的な社会的責任を負うことをしなくなり 「人間」としての尊厳までをも失うことになる

 

 

Ende;

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